表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/35

第20章 吐出草と高嶺の花

●これまでのお話

王様の紹介で、王立植物研究所を訪ねるエレン。

猫が食べてしまったドラゴンのたまごを吐き出させる植物があるかもしれないというのだがーー

 栄華を極めるとはこういうことか。王立植物研究所を訪れたエレンは、その絢爛さに圧倒されました。

 古代神殿を思わせる大理石の土台に、壮麗なガラス屋根をかけた新古折衷の巨大建造物は、溜息をつくような美しさ。光が燦々と降り注ぐガラスドームを支えるオリーブ色の鉄製アーチは、その曲線美で重厚な柱や壁に軽やかさを加え、風格がありながらも飛翔感のある、この稀有な美しさを生んでいます。また、来訪者を最初に出迎える破風には優美な彫像がふんだんに配され、正面広場の噴水からは清らかな水が迸ります。


 エレンはリンとフラッフィも来ればよかったのに、とひとりごとを言いました。巨大植物研究所、通称温室へ行くことが決まったとき、フラッフィは行く気でいました。しかしウォーホランディでのフラッフィの活躍を聞きつけたマスコミ関係者が、クリーニング屋報復事件の話を聞かせてほしいばっかりに、彼を離してくれなかったのです。思わぬ邪魔に、エレンは当てにしていなかったリンを誘おうかとも思いましたが、リンはエレンが誘う前にパスと言ったのでした。


 光を取り込む開放的な建物内に入ると、エレンは王様にもらったメモを頼りに教授の部屋を探しました。吹抜けの広間を抜け、白鳥をモチーフにした装飾的な手摺りの大階段を上り、柱に蔦植物が巻きついた回廊を抜けた先に、その部屋はありました。



  角を曲がってすぐ、エレンは息を飲みました。いままさに足を置こうとしている床に、淡い光の花園ができていたのです。エレンはとっさに下ろしかけた足を引き上げました。すると行く手を遮られた光は、エレンの足の凹凸に沿って、歪んだり引き延ばされたりしました。

 睫毛に落ちるこの美しい光の粒たちが、正面のステンドグラスの業であることに、エレンは気がつきました。黒い鉛桟が縁取る、色とりどりの幾何学的な植物の描かれた一枚絵が、アゲハ蝶の羽を象った扉に埋め込まれていて、そこに差し込んだ午後の日差しが、大理石の床に長く透き通った陰を落としているのです。

 「王立植物研究所 特任教授 ルデゥーテ」の名刺を見返すと、エレンは美しい文様が掘られた木の扉をノックして、流れるような書体で「NSOV」と書かれた色付きガラスの破風をくぐりました。


 エレンは最初、その部屋の主がお留守なのだと思いました。せっかく心を決めて元気よく挨拶したのに、部屋には誰もいなかったのです。エレンは人の部屋を覗き見するなんてよいことではないと分かっていましたが、かといってそのまま立ち去ることができませんでした。

 植物学者の部屋は奇妙なもので溢れています。天井まで届くガラスケースには、お母さんが本に挟んで作るしおりのような、うっすら黄ばんだ植物の標本がずらりと並び、色々な大きさのシミのついた作業台と棚には、使い込まれたフラスコやピペット、シャーレ、試験管に顕微鏡が並んでいます。

 口に栓をした、人間の顔のような植物が入ったガラス瓶に気をとられるあまり、エレンは足元に山積みになっていた書物につまずいて、載っていた虫眼鏡を危うく落としそうになりました。

 虫眼鏡を慎重に元の位置に戻すと、美しい装丁の本に虫眼鏡が集めた光の輪が生まれます。ちょうどエレンの背後の扉が細く開いていたのです。エレンはやはり草花のステンドグラスが配された戸をそっと開けました。



 柔らかい光に、頬を撫でる風。エレンは思わず目を細めました。曇りガラスの向こうにあったのは、この部屋を訪れたものしか知ることのない、秘密の屋上庭園でした。

 巨大な切妻屋根の裏側にあたるこの場所の本来の機能は、ガラス天井に覆われた研究所の左右両棟をつなぐことだけだったはずです。しかし日当りと風通しが抜群にいいこの場所を、植物学者が放っておくはずはなく、このような植物と人間の楽園にされたのでしょう。

 山形の破風の向こうには、ついさきほどまでいた王宮や大聖堂、オペラ座、それにそれを起点に十二本の通りが放線状に伸びている凱旋門も見え、街の新名所であるアイアンタワーの横には、ワインレッドの飛行船が浮かんでいます。太陽の光を反射させるガラス天井の緩やかなカーブごしに見る、ソール・ヌール・ヴァスト・アウストの街並は格別です。


「ばかな! なぜだ?」

振り返ると、白衣の男が、ちょうど植木鉢を投げ割ろうとしているところでした。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

エレンが慌てて止めに入ると、まるで植物のように自由奔放な髪の研究者は、びっくりして手を止めました。

 背が高く、意外にがっちりした体つきの男の人です。しかし白衣の下にのぞく丸首シャツは首元が伸び、ウエストまで上げた、決しておしゃれではないダメージジーンズと、履き古して黄ばんだスニーカーを身につけているせいで、どこか野暮ったい印象です。


「どうしてそんなことをするんです? 大切な研究材料ではないんですか?」

「大切か大切じゃないかって? もちろん大切さ! だってこれは僕のすべてなんだ。しかしどんなに愛情を注いでも見返りがないとしたらどうだ? 愛情も殺意に変わるってものさ」

エレンは恋愛経験ゼロのお子様でしたが、なんとなく分かるような気がしました。  

「一体何があったんです? 僕でよければ聞かせてください」

「えぇい。こうなればヤケクソだ」

もじゃもじゃ頭をかきむしると、吹っ切れたのか、研究者は理系らしく、無駄のない説明をはじめました。


 彼によると、いまこの鉢で研究しているのは「高嶺の花」。これは、現在は失われてしまった古代の品種で、いま育てている球根は中東の遺跡で発見されました。

 その遺跡は、絶世の美女だったゆえに、内面を見てくれる男性と出会えず、婚期を逃した悲劇の女王のものなのですが、副葬品のひとつだった球根を収めた入れ物には、こんな碑文が書かれていました。

『なにはなくても、それさえあればよかったものを』


 研究所に持ち込まれた当初、球根はすぐに芽を出すだろうと誰もが思っていました。しかし必要な条件は整っているのに、球根はまったく発芽しません。その主と同様に、丁寧な防腐処理をされていましたから、球根が腐っていることはないのに、権威ある研究者たちが手を尽くしても、「高嶺の花」は芽を出さなかったのです。

 

「妙な碑文があったから、僕は比較的斬新なアプローチもしてみた。音楽を聞かせたり、中東の水を取り寄せたりしてね。しかしこんなに至れり尽くせりなのに、こいつはどうにも高飛車で。もう万策尽きたのさ」

若い研究者は、お尻みたいに割れているベース型の顎を撫でました。

「『なにはなくても、それさえあれば』ってどういうことだろう?」

「さあね。しかしこうなるともう、僕らでは手に負えない。考古学者に委ねるべきなのかもしれない」

 考古学者? 考古学者が何をできるというのでしょう? エレンはふと、庭の手入れをするお母さんのことを思い出しました。お母さんは毎日水をやりながら、草木に話しかけています。「昨日よりずっと緑が濃くなったわね」とか、「きれいに咲いてくれてありがとう」とか。そしてそれがコツなのだ、とも言っていましたっけ。


「話しかけてみたらどうですか?」

エレンが唐突にこう言ったので、研究者は面食らいました。

「トークなら間に合っているよ。さっき君も聞いただろ?」

「あんな言い方じゃだめですよ。お花は女性と同じだって、お母さんが言ってました。優しく接しなきゃ、咲くものも咲かないって」

 エレンは試しに、「高嶺の花」に話しかけてみました。

「お花さん。僕、あなたが咲くところを見てみたいな」

すると、どうでしょう。植木鉢の土がみるみる盛り上がって、早回し映像のように、にょきにょき芽が出てきたではありませんか。研究者は腰を抜かしました。

「わぁ、やっぱり! あなたなら咲いてくれると思っていたんだ」

エレンが手を叩いて喜ぶと、「高嶺の花」はぐんぐん成長して、美しい群青色のつぼみまでつけました。

「お兄さんも何か言って。そうしないと研究成果は僕のものになってしまいますよ。でも心からお願いしないとだめですからね」

「え? なんだか照れるな・・・でもほんの少しでも咲いたら嬉しいのは事実だ。植物学史に残らなくてもいい。とにかく咲いてほしい」

研究者が本音を吐露すると、「高嶺の花」は憂いを称えた、しかし凛とした花を咲かせました。

「さ、咲いた! 『高嶺の花』が咲いたぞ! まったく信じられん! しかしどうして? 君は魔法使いか?」

研究者はエレンの両手をとって、飛び上がりました。

「お兄さんが、誠実に頼んだからですよ。なんたってこれは『高嶺の花』。他人への奢りのために近づいてくるものや、最初から諦めて挑戦しないものには心を開かないんです。きっと」

「たしかに私は、みんながだめでも自分だけは咲かせられると高を括っていた。しかしそういう心根がよくなかったのかもしれないなぁ。いや、君には礼を言わなきゃな」

研究者は、もじゃもじゃ頭を気恥ずかしそうにかきました。そして、そうか、女性も同じなのか、と呟きました。


「お礼なんて、そんな。でも僕、吐き気を催す草を探しているんです。猫が大きな石を食べてしまったので、吐かせてやりたいくて。お兄さん、知りませんか?」

「おいおい待ってくれよ。高嶺の花は中東ではなんて呼ばれていると思う?」

エレンはまったく検討がつきませんでした。しかし高嶺の花というくらいです。貴婦人とか、女王とかが妥当そうです。エレンがそう伝えると、研究者は満面の笑顔で、首を横に振りました。

「吐出草だ。古い文献によれば、これの葉は嘔吐を誘発するので、現地では薬草として用いられていた」

「まさか! では僕は、吐出草を育てたんですか」

「そうさ。しかし君は運がいい。これは効果が強すぎるので、服用するのは開花したあとでないといけないのだ。もし開花前に服用すると、吐きすぎて脱水症状を引き起こし、ひどいと死に至る。だからもし発芽しただけで、開花しなかったら譲ることはできなかった」

こういうと研究者は、蓋のついた試験管に吐出草の葉を一枚入れて、エレンに差し出しました。鮮やかな若草色の、まっすぐな葉です。


「普通、嘔吐を引き起こすのは毒性のある草かまずい草だが、これは毒がないばかりか、栄養価が高く、しかもおいしい! これを食べさせれば、あっという間。専門にしている僕がいうんだから、間違いない」

「専門家? ではあなたがルデゥーテ教授なんですか?」

エレンは素っ頓狂な声を上げました。植物学の権威と聞いていたので、真っ白な髪にしわだらけの老人を想像していたのです。それなのにまさかこんなに若くて、気取らない人だったとは。てっきり助手だと思っていました。

「仙人みたいな人だと思っていたのに!」

すると教授は頭をぽりぽり掻きました。

「僕だってもっとすごい人が来ると思っていたんだ。王様の賓客だって聞いていたから」

エレンは自分の服装を見下ろしました。かぼちゃパンツから白タイツの足がにゅっと生えている、あの出で立ちです。これでは小性と間違われても文句は言えません。エレンがたしかにと言うと、二人はお互いを見合って笑いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ