私の人生は
自分が悪役令嬢だった。
その事に気づいたのは十歳。
四つ上の兄が学校に行くために家を出る、と聞いた時だった。
兄が通う事になる学校の名前は『王立ときめき魔法学園』。
なんだそれ。
なんで中世ヨーロッパ風の世界観でそんな名前つけたんだ。
そう思った瞬間、一気に記憶の奔流に飲み込まれた。
そうして思い出したのは、見目麗しい男性を主人公が虜にしていくという物語。
そして、自分はその恋を邪魔するライバルで、主人公をいたぶる悪役令嬢という事だった。
なるほど。
この濃いブルーのつやつやストレートの髪も、きりっとつり上がったこの黒色の瞳も。
すべては悪役になるためにあったんだ。
うん。確かに悪役っぽい顔してる。
とりあえず、それに気づいた時、朝食もそこそこに自室へと下がった。
明らかに様子がおかしくなってしまった私に父母や兄は心配していたが、それを気にする余裕などない。
気分が優れない、体調が悪いと伝えれば、即座にベッドへと寝かされた。
いつも元気で病気もあまりしなかったため、周りの人は心配だっただろう。
だけど、私はただひたすらに不貞寝した。
突然の悪役通達は十歳の私にはいささか辛い現実だったのだ。
かわいい顔。高い身分、仲のいい家族。
自分は恵まれている。楽しく生きていくんだと思っていたのに。
私は主役じゃなかった。
それは私が悪役として生きていくために与えられた物だったんだ。
幸せに暮らしながらも、どこかにあった違和感。
ようやくわかったその正体は、私が悪という名の脇役である、という現実だったのだ。
その日、ベッドで泣いた。
主役になれなかった自分への弔いだった。
一昼夜泣いて、皆を心配させた頃、ようやく少し冷静になった。
思い出した記憶は主にこれから起こる事に関しての記憶だけだったのだ。
前世の自分の事に関しての記憶やこことは違う世界の記憶はほとんどわからない。
なので、人格にはほとんど影響はないと思う。
私はリーグシナ王国、バルクリッド侯爵が娘ライラックだ。
前世が何であろうとも、私が私であることに変わりはない。
だとしたら。
この記憶は天啓とでも言えるのではないだろうか。
何も知らないまま過ごし、悪となり、脇役の人生を歩む。
それが私に与えられた運命なのだとしても、記憶がある私なら変える事ができるはずだ。
ライラック・バルクリッド。
それは主人公が虜にする男の一人であるリーグシナ王国の第二王子の婚約者の名前。
記憶の中のライラックは第二王子を深く愛しており、主人公と第二王子を取り合うことになる。
その過程で主人公と闘い、時にいたぶり、ルートによっては友情を育んだりする。そんな立場だ。
主人公と第二王子が結ばれればもちろん婚約破棄。
しかし、主人公が別の人を選んだり、魅力が足りなかった場合は私がそのまま婚約者となる。
婚約破棄になった場合も糾弾されたり追放されたりはない。
ただ新しく婚約者を探さねばならない、とただそれだけだ。
いやぁ良かったね。
なんだかんだで普通に暮らせそうだよね。
……そう思わなかった事もない。
だけど、でも、やっぱり。
この脇役感。
結局は主人公次第。
主人公のおこぼれをもらう。
それが私の未来なのだ。
「そんなのやだ」
頭から被っていた、羽毛の薄掛けの中でボソリと呟く。
私は。
私の人生は。
「自分で決める」
そうだ。
そんなわけわからない物なんかに左右されたくない。
幸い、私はまだ十歳。
婚約者もいない。
件の第二王子とは婚約していないのだ。
第二王子との婚約を回避すれば、私は私の人生を生きていけるかもしれない。
そうと決まれば、こうして薄掛けを被っている場合ではない。
一刻も早く、それに向けて動き出すんだ!
バッと薄掛けを撥ね飛ばす。
「エミリー」
泣き腫らして、赤い目をそのままに、私付きの侍女を呼んだ。
一昼夜、簡単な食事しか取らず、ベッドに籠っていた私を心配していたのだろう。
はい、お嬢様と返事をして、すぐに傍まで来てくれた。
「わ、たしはこれから、いっぱい勉強します」
掠れた声とひくつく喉がうっとうしい。
「マナーももっと覚えるし、ダンスもいっぱいやります」
エミリーは私の顔を痛ましげにそっと見る。
いきなりの決意にびっくりしているだろうが、遮ることなく優しい瞳で最後まで聞いてくれた。
「パーティーで、すごいかっこいい人を見つけます」
最後にぐっと拳を握れば、エミリーはびっくりしたように目を大きくする。
その後、仕方なさそうに笑った。
「かしこまりました、お嬢様。ではまずはお召し替えを」
「そうですね。……お父さまはいらっしゃいますか?」
「はい。しかしこれから執務のお時間ですので」
「っ! では急いで服を」
もう、そんな時間!?
ピョンッとベッドを飛び降りて、エミリーを急かす。
エミリーは相変わらずの私に苦笑しながらも、急いで着替えさせてくれた。
「エミリー、お父さまにお話を聞いてもらえるよう、約束がしたいの!」
「はい、かしこまりましたお嬢様。旦那様はそろそろ御立ちですが、玄関に向かえば間に合うかと」
「わかったわ!」
着替えが終わり、扉へ向かえばエミリーがサッと開けてくれる。
その隙間を通り抜け、廊下に敷かれたふかふかの絨毯を蹴った。
「お嬢様っ、廊下はお静かに」
エミリーの焦った声を背中に早歩きで廊下を進む。
玄関ホールへと続く立派ならせん階段を下りれば、そこにはこれから出かけると思われるお父さまがいた。
「お父さまっ」
息を弾ませて声をかければ、私と同じ濃いブルーの髪がサラッと揺れ、つり上がった黒い瞳が私を映した。
……うん。この悪役顔。私の顔はお父さま譲りです。
「ライラック。体調は戻ったのか?」
優しいセリフとは裏腹に、その人を射殺せそうな視線。
だけど、その瞳の奥にある優しさを私は知っているので、気にせずぎゅっと腰に抱き付いた。
「はい、ご心配かけました」
「いい。それよりどうした?」
「忙しい時にごめんなさい。あの、お父さまとお話がしたくて……」
「そうか。今日はあまり遅くならん。夕食の後でいいか?」
「はい、ありがとうございます」
お父さまは顔が怖い。言葉も端的でちょっと怖い。
けれど、私にたっぷりと愛情を注いでくれているので、私はお父さまが大好きだ。
行ってらっしゃい、ともう一度強くぎゅっと抱き付けば、そっと頭を撫でてくれた。
ふふっと笑って、お父さまを見送る。
悪役顔の親子の一場面はあまり見たい物ではないと思うが、傍にいた使用人たちは微笑ましげにそれを眺めてくれた。