星空の下のあなたは
引き続きプレーリー視点です
ライラック様は遠いお方。
そんな事はわかっていた。
けれど、本当の意味では理解していなかったのだ。
ライラック様をサポートできればいい。
……それはなんてうぬぼれた考えだったんだろう。
いつも通りの夜会。
少しだけライラック様と話をして。嫌がらせをしてくる将軍の子息にそれを見せつけた。
その後は前もって決めていた通りに動き、思惑通りに事が進んだ。
後もう少し。
将軍の子息は煽ればすぐに手を出すかと思ったが、案外手を出してこない。
けれど、それも終わりだ、と思った所で、部屋へとつながる扉が開いた。
期を待たずして開けられた扉から、給仕がこちらへ向かってくる。
目の前で私の襟元を掴み、今にも殴り掛からんとしていた将軍の子息はハッとした顔をして、私から離れた。
……もう少しで計画通りだったのに。
さりげなく襟元を直しながら、じっと給仕を伺う。
なにか予定外の事が起こったのだろうか。
「ご歓談中。申し訳ございません。室内の空気を換えるため、扉を開けさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……あ、あ。構わない」
将軍の子息が戸惑いながらも、しっかりと返事を返す。
その声からはすっかり怒気が抜け落ちていた。
その事にここまでやってきたことが無駄になったのだと悟る。
将軍の子息はここが公爵家であり、問題を起こすのがまずい事を思い出したのだろう。
私の方をジロリと睨むと、取り巻きを引き連れて、室内へと戻って行った。
給仕は私達がテラスへ出る前と同じように、両開きの扉をテラス側へ開放すると、そのまま固定する。
そして、私へと一礼して、室内へと戻って行った。
……失敗、か。
ふぅと息を吐いて星空を見上げる。
煽るだけ煽って、その流れを中途半端に止めたままになってしまった。
これでは余計にこじれることになるかもしれない。
このままにして、向こうの動きを待つか、もう一度何か策を立てるか……。
そうしてしばし逡巡していると、開けられた扉から将軍の子息の声とライラック様の声が聞こえた。
どうやら、ライラック様が近くにいて、将軍の子息がライラック様をダンスに誘ったようだ。
……もしかして、給仕に扉を開けさせたのはライラック様なのだろうか。
ふとそんな考えがよぎって、そんなわけはないと首を振る。
ライラック様は自分の力を使わないお方だ。
ダンスが大好きで、それ以外は小さく微笑んで、すべてを流していく。
だから、偶然テラスのそばにいらっしゃったのだろう。
何もご存じないライラック様は将軍の子息の誘いを受けて、ダンスをするはずだ。
それで構わない。
ライラック様があのとろけるような笑顔を浮かべられるのなら、それでいい。
けれど、そんな私の考えはライラック様の凛とした声に消え去った。
「……私はダンスが好きです。けれど、人と話すのが得意ではありません。ですから、ダンス以外は誰のエスコートも受けませんでした」
……いつもの微笑みながらの話し方じゃない。
しっかりと芯があり、相手に何かを伝えようとしている……そんな声だ。
「……私はあなたの事を強い人だと思っておりました」
将軍の子息の事を言っているのだろう。
その凛とした声に胸がぎゅっと苦しくなった。
……もったいない、と思う。
凛としたその声も。
しっかりと将軍の子息を見ているのだろう、その黒い瞳も。
私への嫌がらせが始まったのはここ一か月ほどだ。
最初は少し肩が当たるとか、さりげなく爵位が継げない事を言われるぐらいだったが、先日、色のついた飲み物を盛大にジャケットに零された。
嫌がらせをされる理由は明確。
私がライラック様と話をするからだ。
先ほど放たれた、将軍の子息の言葉。
『お前のような爵位も継げない者がうろうろしてたら目障りなんだよ』
それは最もな言葉だった。
私とライラック様の関係を見た者はみなそう思うだろう。
爵位も継げない伯爵家の次男がバルクリッドの娘に取り入って、周りをうろうろとしている、と。
「あなたは……力があって、これからこの国の役に立つ方なのだろう、と。……今もそう思っております」
まっすぐなライラック様の言葉。
その言葉が私の胸にズクリと突き刺さる。
そう。将軍の子息には力がある。
けれど、私にはそれがなくて……。
……きっと、テラスの扉を開けさせたのはライラック様なのだ。
いつもは使わない力を使って、扉を開けさせた。
そして、今、将軍の子息と向き合い、私への嫌がらせを止めようとしてくれているのだろう。
「私はあなたの力にはなれません。どうぞ私にはお構いなく」
――遠い。
策を巡らせ、殴られる事しかできない私と。
「パーティを楽しんでください」
たった一言。
ダンスを断る、その行為だけで物事を動かせるライラック様と。
星空の下。
輝く場所から離れたテラスで、ようやくその距離が見えた。
……せめて長男だったら。
夢見るぐらいは許されたのだろうか。
将軍の子息であれば、手を伸ばす事が許されただろうか。
もっと容姿が良く、家格さえも飛び越えるほどの何かがあれば……。
どうしようもできない事が胸の中でぐるぐると渦巻く。
遠いお方だ、と言った、母の言葉が胸にずしりとのしかかった。
わかっていたはずなのに。
私の手をとってくれるライラック様をいつしか身近に感じてしまっていた。
一人、テラスで息を吐く。
すると、ライラック様がテラスの扉の方へと歩いてきて……。
胸の中の思いを処理できないまま、その姿を見ていると、凛とした声がテラスに響いた。
「アーノルド様」
室内からの灯りを背に受けて、しっかりと立ったライラック様。
艶やかな青い髪が光を弾き、きらきらと輝いている。
本来なら、私では決して手が触れられない。
そんなライラック様が私の名前を呼ぶ。
「外の空気が吸いたいのです。……エスコートしてください」
初めてかけられたその言葉。
いつも私から声をかけることはあったが、ライラック様からエスコートを頼まれる事はなかった。
こんな日に。
こんなタイミングで。
ようやくライラック様との距離を理解した私に、こうして手を取る機会をくれる。
落ち着きたくて空を仰げば、そこには満天の星。
「はい。ライラック様。……よろこんで」
なるべく落ち着いて見えるようにライラック様に近付き、そっと手を取る。
そして、テラスの端へと歩いた。
ほんの少しの時間なのに、その時間が永遠のように錯覚する。
ライラック様の指先の少しひんやりとした温度がじわじわと胸に広がって……。
テラスの端へとつき、そっと手を離して、夜空を見上げた。
「きれいな星空ですね」
「……そうですね」
言葉をかけて、星空を見上げるライラック様の横顔に視線を移す。
きれいな黒い瞳がなんだか少し濡れていて……。
「アーノルド様は優しいです」
遠いあなた。
「……気が利きます」
私の助けなど必要なくて。
「……立ち振る舞いも素敵です」
きちんと一人で立てるお方。
「いつも……しっかりしていて……」
小さな微笑みはいつも完璧で……。
その姿に誰も何も言えなくなる。
「ダンスが上手です」
……でも。
ダンスをすれば笑ってくれるから。
私を見て、とろけるような笑顔を浮かべてくれるから。
「ライラック様はダンスがお好きですからね」
「はい」
いつも通りの微笑み。
この微笑みの下にたくさんの感情がある。
初めて会ったあの時のように、きらきらと輝くあなたがいる。
貴族として生きるには少し不器用で……。
懸命に努力をして、今がある。
……それがとても尊いと思うから。
「ライラック様。私は問題ありません。どうぞ、室内へ」
あなたがいる場所はここではない。
もっと光あふれる場所。
夜の闇に包まれたテラスから室内へと視線を向ける。
そこは明かりに照らされて煌々と輝いていた。
……ライラック様のいるべき空間。
「私はダンスが好きです。……でも、アーノルド様とこうして話すのも落ち着きます」
「……そう、ですか」
私に構う必要などないのに。
あの場所で、たくさんの光を浴びるのがあなたにはふさわしいのに。
「アーノルド様が私をエスコートして下されば、中に戻ります」
ライラック様は室内へと向けていた視線を戻し、ツンと上を向く。
……何よりもダンスが好きなあなたが。
私の名を呼んで、共にテラスにいてくれる。
こんな事に巻き込んでしまった事が申し訳なくて。
殴られるしかできない力のなさが情けなくて。
手を煩わせてしまった自分が不甲斐なくて。
でも、その横顔から目が離せなくて……。
あんなに力を使うのを嫌がっていたライラック様が私のために力を使った。
……その所為であの人に見つかってしまったかもしれない。
私の力では守れない。
私ではあなたの隣に立つことはできない。
だから――。
ぎゅっと唇を噛み、ライラック様を見る。
暗い夜のテラス。
濡れた瞳は星の光をより一層反射してきらきらと輝いていた。
――あなたを光あふれる場所までお連れします。
あなたがずっと輝けるよう。
幼いころに見たあの笑顔が、ずっと続くように。