Round4
「哲学者はさも嬉しそうに語る。世の不幸を、人の惨めさを、愛の嘆きを。彼等の口から語られるものは真理でなどではなく、唯の愚痴であり、不平不満と呼ばれるものだ」
おもむろに図書室の机に登り、哲学書を開きながら、さも哲学者のように振舞っているのは何故だろうか?
理解しようとする僕が愚か者なのか?
ココちゃんは何故そんなにドヤ顔が出来るのだろうか?
よし、ここはいつもと趣向を変えて放置としよう。
「それにしても蔵書の数が半端ないね。この中から図書カード一枚探すなんてどんだけ鬼畜なミッションだよ」
「かの者は愚かにも人の言葉を理解できなかった。当然だろう、かの者はおおよそ人と呼べる容姿をしていなかった。頭は禿げ、目は糸を縫ったかの様に細く、口からは異臭を放ち、体はまるで泥に覆われているかのように滑りを帯びていた。見よ、あの浅ましく書物を漁る姿を、まるで近代魔法映画のワンシーンではないか。何を求め彷徨う、何を求め書を貪る、幾年探し続けようと君が人になれる知識など有りはしないのだよ。どうやら理解できたようだね。どうしたんだい?震えているのかい?よもやまさか私の声が届くとは思っても見なかったよ、それも書物で得た知識の欠片かい?もしくは・・・」
「だぁらっしゃぁぁっ!!!!!!」
トルストイ{{戦争と平和}}それは対立する二つの国で生きている人々の様々な人生描写が描かれた名著と呼ばれる作品。
4冊にも渡る歴史物語は、この時代の今この時、僕の手を離れ、許し難き少女の許へと投げ放たれた。
ココちゃんはそれを身をよじるだけであっさり躱し、深くとても澄んだ目をしながら僕にこう言った。
「いきなり何をするのかしら?いよいよ末期状態?」
「数秒前にテメーが人様の事をこれ以上なく罵ってくれやがった事はもうお忘れですか!?ココちゃんの方こそいよいよマジで末期なんじゃねぇ?」
僕の言葉を受けてココちゃんは一瞬、時が止まったかのような空白の中で、その深く澄んだ目のさらにその深奥に刻まれた苦悩を押し隠すかの様に言葉を紡いだ。
「そうね、私が余命いくばくも無い事によく気付いたわね。君の言うとおり、私の症状は末期よ。まさかこんな冗談みたいなやり取りで気付かれるなんてね。運命というものも皮肉が効いているわ」
沈黙の時間が流れる。風は闇に溶け届かない、手のひらにかいた汗にこの上ない不快感を覚える。
「嘘つくな、そんな訳ないだろ?」
「ええ嘘よ、君の存在並みに下らない冗談よ」
「ぶっ殺してやらァァァ!!!」
「図書室では静粛に、、、お願いしますわ」
何の気配もなく、空気の澱みもなく、僕達の気付かぬ間に、黒い衣裳を纏ったソレは僕達の傍に居た。
「ごきげんよう、木乃宮さん。子飼いの従者を連れての散歩にはとてもとても良い夜みたいですわね」
「・・・・・槻島高校顧問司書、道玄坂薙」
ココちゃんが今日初めて見せる緊張した面持ちで、確信をもってその名を呼ぶ。
槻島高校顧問司書、道玄坂薙。
この学園で過ごす生徒なら必ず一度は耳にした事がある怪談。
曰く、其は学院の魂である。
其は学園の全てを掌握し、蓄積している。
其は存在しながらも知覚されない。
其は知識をもって人を狂わす魔物だ。
故に出会った者は消え去り、出会えなかった者だけに語り継がれる偶像。
其はこの学園の宝庫の番人。
故に顧問司書と呼ばれる。
「その様な怖い顔をなさらないで下さいまし。何の因果か、こうして再びあいまみえる事が出来たこの僥倖とも言うべき現実を唯唯、享受いたしましょう」
「私は二度と貴様に会いたくはなかったわ」
「当然ですわ、本来なら二度目など無い状態で尚、御自分に奇跡が起きない事くらいは理解できておられますでしょう?」
「あいにく、奇跡や偶然といった人任せの類は信じていない人間ですので、司書様におかれましては名残惜しくはありますが早々に退場して頂きます」
拙い丁寧語を使ったココちゃんは会話を早々に切り上げ床を駆ける。
彼我の距離はおよそ5m、全体重を獲物に乗せるには十分な距離だ。
音も立てず、重なる二つの影。
「あらあら嫌われたものですわ、勇気ある行動ですわ、えぇまさに蛮勇ですわ」
ココちゃんの全体重を乗せたナイフ(あれは僕のだ)は司書様が持つ分厚い図書に阻まれていた。
「人間とは精神である。精神とは自己である。ある哲学者の残した言葉ですわ。今の貴女はその哲学の体現とでも言うべきでしょうか?過信する訳でもなく、ありのままの自分を信じ己をカタチ作る。実像を保ちながら偶像としても説明がつく、何とも不安定な存在。素晴らしいですわ、これは芸術ですわ。その体は自己で形成されている故にあまりにも脆く、崩れやすく風化しやすい。にも関わらず貴女は知識、経験、力量、おおよそ非凡な才能をもってこれを保つ。例えるならば氷の彫像に絶えることなくドライアイスを補充し続けている状態とでも言いましょうか。零度以下の閉ざされた世界とはいえ、その世界では万物を司る存在として君臨し、全てにおいて有能かつ、全てにおいて突出している存在。この世界の言葉では、その存在は天才と呼ばれる部類に位置するでしょう。素晴らしいですわ、感動してしまいますわ、実に実に滑稽な在り方ですわ」
一息でそれだけ語ると、司書様は手に持った図書からナイフを抜き、仕切り直しと言わんばかりに言葉を続ける。
その姿は舞台役者の様に堂にいったものであり、僕の様な凡人を惹きつけて止まない。
「少しでも識のあるものならば、解は自ずと導かれてしまう。天才は氷の彫像であるが故に熱を持つことは許されない。ましてや自分の内側に灯火が芽生えれば最期、跡形もなく溶け、流れ、蒸発する。儚いものですわ、実に無残なものですわ。ならば初めから自らを形作る自己など、精神など持たなければ良かったのに」
先程の衝突の時に痛めたのか、ココちゃんは右手首を摩りながら言葉を返す。
「キルケゴール『死に至る病』ですか、強大な自己を拠り所にした者の末路。大変興味深い話ですが、あいにくと哲学関連の書物には飽き飽きしていまして。言葉遊びで人を欺く程度の低い御仁には、ろくな奴がいない。そうでしょう?司書様」
「あらあら心外ですわ。等しく興味を持たない私がこんなにも焦がれているというのに。見えていますわよ、とてもよく見えていますわ。貴女が何を考え、何を想い、何を憂い、何に憎悪を抱くのか。束の間の逢瀬、もう少し共に楽しく語らいあおうじゃありませんか」
例えるならば刃と闇。
殺す対象が知覚出来ない故、ソレが暗いことしか分からない。
ソレが黒いことしか分からない。
だから普通の感覚を持つ人間では身動きすらとれない。
これが学園の怪談と謂われる所以。
ところで、、、僕のこと忘れてるよね二人とも。
しゃーなし、ここいらで少し出張らせてもらいますか。
考えようによってはここで司書様に出会えた事は僕にとっては僥倖だ。
「ココちゃん、取り込み中のところ悪いんだけれど、少しその人と話しさせてもらえないかな?」
「・・・・気持ち悪い、この空気の中でも雌と見れば見境なく軟派?発情期かしら?」
「違ぇよ!!!その人は司書なんだろ?だったら僕達の探してる図書カードの在り処にも心当たりがあるんじゃないかと思ったんだよ!!テメーのその初対面殺しの僕の悪口マジで止めてもらえない?」
「ポッ、軟派されたのは初めてですわ」
「オイコラ司書!テメーも照れてんじゃねぇよ!!そんな態度取られたら・・・脈アリかと思っちゃうじゃん。期待しちゃうじゃん。自重しやがれ!!思春期なめんな!!!」
「まずは文通から始めれば宜しいでしょうか?「ごめんさい、あなたとは生理的にお付き合いできかねます・・・」こんな感じで如何でしょうか?」
「潔く拒否ってんじゃねぇよ!ツッコミ要素満載じゃねぇか。そもそもいつの時代の人よ?文通にすらならないよ!終わっちゃたよ!片思いにも満たない恋じゃん!」
「そうですわね、、、とてもとても悲しい恋ですわね。近松門左衞門も真っ青の悲恋ですわ」
「アンタが勝手に勘違いして殺しちゃった恋と同列に語られた『曽根崎心中』にごめんなさいと頭を下げやがれ!」
なんだかすんげぇ疲れるんですけど、学園の怪談、深層よりも深き黒、そう呼ばれるほどの御仁がこうも鋭くボケてくるなんて、、ちくしょう、見誤っていたのは僕か。
僕の周りに集まるのはこんな奴ばっかりかよ。
がっくりと膝をつき、項垂れた僕の頭を見下ろしながら、司書様は好機とばかりにその目をキランッと輝かせる。しまった、防御が間に合わない。
一足飛びで距離を詰められる。
「くふふっ、たーのしっ」
僕の目の前で静止した司書様は、おもむろに懐から財布を取り出すと僕に向かって小銭を一枚、放り投げた。
暗がりでよく見えなかったので注意しつつも恐る恐るソレを拾うと、、なんと何の変哲も無い5円玉であるという事が判明!
これをどうしろと?
頭の中が?マークでいっぱいになる僕を見ながら、司書様は満面の笑みを浮かべて
「ご縁がありますよーに♡ですわ」
・・・なるほど、さすがは学園の怪談。
まだこの期に及んで遊び足りないと申されるか。
いいだろう、受けて立ちましょう。
体が歓喜に震えているのがわかる。
そうだ、僕の本質であるツッコミにおいて、全力を出す時が来たようだ。
後悔するなよ顧問司書。ツッコミの嵐、御身に篤と味あわせてくれよう!!
「そもそも5円だっ、、ぷぎゃ!!」
横合いから突如放たれた一撃になんとも情けない声が出る。
「あら、ごめんなさい。今まで生きてきた中でも5本の指に入るくらい気持ち悪い顔をしていたものだから、つい反射的に矯正してしまったわ」
横合いから僕に拳をお見舞いしてくれた本人は悪びれる気ゼロ。
ぜんぜん反省してない態度でココちゃんが冷静にのたまう。
「しかし無様ね、鼻血まで流して何をそんなに興奮する事があるというの?己の立場を弁えなさい、君は特別に気持ち悪い存在なのだから。自覚症状をしっかり持ちなさい」
再び僕は膝をつく。
何故、彼女は味方だったはずなのに、、、ほろほろと頬を涙が伝う。
そもそも鼻血はテメーの拳のせいなのに。
僕はそんなに悪いことをしたのだろうか?
否!!断じて僕は間違えていない。
観客の期待に応えてこその役者。
ツッコミこそ花道。
悪いのは全て僕以外なんだ。
ならどうすればいい?
簡単だ。壊してしまえばいいんだ。
全てをスクラップにしてしまえばその上で役者は踊る。
無に帰れ!空に還れ!全部全部亡くしてくれよう。
「セイッッ!!!」
「ぷぎゃ!!!」
またしてもココちゃんの左ナックルが顔面にクリーンヒット!
悶絶しつつも心はハングリー精神を失わない。
立てるか僕!膝にきているぞ!
「その顔は非常にくだらない事を壮大に誇張している顔ね」
「はい。すいませんでした。僕はくだらない人間です、ゴミです、ゴミクズです、ごめんなさいでした」
「ゴミクズ以下?訂正なさい、未満よ」
「おんどりゃぁぁぁ!!ええ加減にせえよコラ!!人が下手に出でりゃいい気になりやがってぇぇ!!」
またしても図書室の一角で睨み合うことなる僕とココちゃん、そして
「あっつ、あっつ、ですわぁー。羨ましい限りですわ。妬ましい限りですわ」
両手を頬に当てて、クネクネと気持ち悪い動きをする司書様。
あんた、、最初のキャラ設定は何処いったよ?崩壊にもほどがあるだろ。
ココちゃんはココちゃんでまたしてもその司書様を射殺すように見つめてるしさぁ。
二人の間に何があったのか知らないけど、いい加減にしてくれいかな。
ほんと、なんだこの奇想天外空間!どうしろってんだ、なんて心で愚痴を吐いていたとき、
「キーンコーーン、カーンコーーン、キーンコーーン、カーンコーーン」
突如、夜の学校に響き渡るチャイム。
そんな、まさかそんなはずはない。
この学校は下校時刻である18:00のチャイムを最後に翌朝の7:30までチャイムは鳴らないはずだ。
そんな事、もちろん事前に調べてあるし、何よりなんで今この時に作動したんだ?
僕たちが学校に忍び込んで2時間以上も経過しているのに、今まで一度も鳴らなかったじゃないか。
突然の非常事態に額から汗が零れ落ちる。
ココちゃんも訝しげな顔をして図書室に備え付けれているスピーカーを睨む。
嬉しそうにぱぁんっと顧問司書が手を打ち鳴らす。
「実に、実に愉快な時間を過ごさせて頂きましたわ。心より御礼を、心よりの名残惜しさを」
そう言って僕に一枚の図書カードを手渡す。
「膂力も魂も充分。鋼よりも固く、ガラスのように繊細な少年少女に万来の拍手を。膂力がなければ二度目の邂逅でその身を壊していたでしょう、魂が足りなければ初めての邂逅で心を壊していたでしょう。然らば重畳、進みなさい、見えない自由を殺すために。戦いなさい、己の真価を試すために」
纏った黒衣を翻しながら、くるくると狂狂と回りながら槻島高校顧問司書は歌い上げる。
そして僕達の目を見据えてこう言った。
「抗いなさい、誰にも理解されぬほどの地獄に」
『全壊』 小さくつぶやき床を蹴り距離を詰める。
でも狂気をまとった僕の目の前にはココちゃんが立ち塞がり、流れるように自然にナックルを喰らう。
「ぷぎゃっっ!」
「そこまでになさい。ちょっと挑発されただけで本気モードだなんて情ッさけない」
すいません、そんな事より頬が痛くて痛くて。泣きそうなんですが?
「あらあら惜しいですわ。もう少しで貴方の魂を味わうことが出来ましたのに」
ニタァッとしたひどく嫌悪感を覚える笑みで顧問司書が僕を見ながら笑う。
まるで捕食者のように、まるで悪魔のように。
「行きましょう、もうここに用はないわ。君もいつまでも這いつくばってないで立ち上がりなさい」
そう言ってココちゃんは跪いた僕の胴体を蹴り上げる。
非道すぎる。
痛む頬とお腹をさすりながら、我先にと図書室から出て行ったココちゃんを追い掛ける。
「バイバイですわぁ」
その声に振り向けば、そこには誰もおらず、見渡す限り不気味な程に書架だけが並んでいた。
--其は学院の魂である。
--其は学園の全てを掌握し、蓄積している。
--其は存在しながらも知覚されない。
--其は知識をもって人を狂わす魔物だ。故に出会った者は消え去り、出会えなかった者だけに語り継がれる偶像。
---其はこの学園の宝庫の番人。故に顧問司書と呼ばれる
嫌な寒気を覚えて背筋がブルっと震える。
いまはただ、先を急ぐとしよう。
次は家庭科室だ。