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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
95/104

95.命

 倒れ伏している少女へと駆け寄り、鮮血に染まる小さな体を掻き抱いて揺さぶる。体格差もありあまってかその小躯が大きく左右へと振り回される。首が据わらない赤子の如く力なく振り子のように揺れる。


「アリス!」


 血に染まった体は冷え、咽せ返りそうな鉄の匂いを全身に染み込ませてしまっている。小ささに対して想像以上に重い。血の気を失った幼い顔立ちは人形のように白く陶磁の如し。

 セイギは指先でそっとその唇をなぞる。赤に彩られた口唇はその色合いも相まってその存在を主張する。幼稚な相貌にその深い赤は違和感どころか、蠱惑的である。セイギは背筋にゾッとしたものが走る。ほんの数瞬、息をすることすら忘れ去っていた。そして初めて奴隷商の言葉の意味を理解した。


 ――その紅が微かに震えた。


「生き、てる?」


 口許へ耳を近付けてみれば僅かな呼吸音が聞こえ、手首に指を当ててみれば確かな脈動を感じられる。

 その命のサインを確かめると、セイギの体は重力に負けたように地面へと引き倒されていた。額を強く地面に打ち付る。加減も何もないその衝撃は鋭い痛みを発し、脳震盪でも起こしかねない。そしてアリスを抱えている腕のみとは言わず全身が震えていた。


「は、はははは……」


 息の漏れるような笑いが口から溢れ落ちて行く。

 今までは『死』を見つめることしかしてこなかったセイギにとって、純然たる『生』の息遣いは陶酔を呼び起こすものであった。セイギは酩酊したように地面とアリスを掻き抱く。 視界に入るモノ・・に気が付いていない様子で。それは一瞬でもセイギの下した情の残骸、あるいは戒め。本当に気が付いているのかいないのか、それはセイギ自身にとっても分からないことだった。どこか頭の中の冷静な部分がそれに気がついてはいるが、思考する回路にはその事象は一切上ってはこない。


 ――紅い血が流れる。


『生』と『死』の対比が強調される。鉄の香りが、狂った脳を熱した鉄の棒で引っ掻き回すようにかき乱す。だからセイギは歓喜する。腕の中の少女が生きているだけでどうしようもなく心が躍り、魂が揺れる。故にセイギの視線は生者にのみ与えられる。

 そんな世界を照らし出す光があった。歓喜の時は眩い閃光に照らし出され、よりその赤の世界が強調される。まるで祝福の明かりのようにもあるそれは、終焉を迎えるための光であった。凄まじい熱気を伴ったそれは世界を滅ぼすための悪意。セイギとアリスを滅さんとする業火。全てをなかったことにするその炎弾を、確かにセイギは見ていた。セイギの歓喜も、願いも、誓いも、憎しみも、愛情も、すべてが飲み干されようとしている。

 だからセイギは一つだけ願う。祈る。求める。請う。信ずる。決断する。


「死ね」


 セイギ達に差し迫っていた剛球は、はてとその自存を疑ったように闇と邂逅し、互いを分解するようにしてその存在を残さずして死んだ・・・。セイギの望んだ世界にはその火炎は生きて・・・いてはいけなかった。結論はただ一つ、セイギの周囲を覆う一瞬の静寂がそれであった。


 阿鼻叫喚の世界を生むはずの炸裂弾が一切の音も立てないことに気が付いた黒竜は違和感の正体を伺うためにを向ける。滑るように空中を飛翔し、翼の一掻きでその目的地へと到達する。

 睥睨するその先、小さな一つのつがい・・・の姿があった。顔を黒竜へと向けさえしないその雄の様子は雌の死を悼んでいるようにも見えた。本当にそれだけであったのならば黒竜はそのつがいを食って終わりのはずだった。しかし、その姿を見つめるだけでその場にホバリングしていたのは、本能と言うべきものに違和感を覚えたためだった。

 見た目にはただの人間。到底竜に敵うはずなどない矮小な小躯。吹けば軽く飛んでいきそうなひ弱なそんざいであるはずのそれは、なぜかその身に伴わない歪な違和感を携えていた。言ってしまえばそれは、人の形をした人ではない何か。弱小の形を象った不気味なもの。無害を謳った劇薬。それを認めた瞬間、黒竜は全力を尽くすことに一切の躊躇も無かった。一気に息を吸い込んで殲滅のための炎を一気に収縮させる。持てる力を以てしての全力の≪竜の息ブレス≫。皆人を塵芥へと帰す圧倒的な熱源が射出され、厄災と表される悪意の権化がちっぽけな存在を吹き飛ばさんと差し迫る。だがしかし、その一撃はこともなさげに宵闇とともに消える。炸裂することもなく、吸収されたわけでもなく、何もなかったかのように空虚に消えた。込められたはずの魔力も一切の残滓を残すことなく、微塵の痕跡さえも残ってはいない。

 竜はその意味を知る。だがそれを容易には認めることは出来ない。竜としての矜持プライドが安易に認めることを許してはいなかった。竜に能う権能など、存在していいはずがなかった。世界の覇者たる竜が、地べたを這いつくばるウジ虫に圧倒されていい理由など、皆目存在するはずもなかった。


 ゆるゆると黒い雄が首を上げる。その表情は歓喜に満ちているようで、悪意を纏っているようで、恐怖に慄いているようで、あらゆる表情を孕んでいるようでもあった。矛盾しているようで一切の矛盾を含んではいない。奇妙なバランスの上で成り立っているその表情は、しかしそれでいて脆さを含んではいない。強固な自信に裏打ちされていることは間違いがなかった。

 その風体はまるで王者のように揺るがない。()たる自身が存在しているようにさえ見える。世界の何もかもが些事であり、気に留める必要性さえ感じていないように。障害など、ありえないとでも考えているようで。



 まるでそれは――神。突き抜けた情動は不可侵の領域を築いているかのようでもあり、神聖なものであるかのように振る舞っている。しかしそれは信仰するものが存在するはずもない邪な何か。圧倒的な力で全てを統括しかねない息のつまりそうなものだ。

 竜は湧き上がるその感情を噛み殺す。ありえない、ありえない。恐怖など感じているわけがない、そう自身に言い聞かせて。能わない可能性など存在しない、無理やりに納得させて。


 セイギの口唇が下弦の月を描く。――嘲笑っていた。見下していた。

 愚かな自身を捨てると決めた。甘えた己を殺した・・・。大切なもの全てを奪おうとする世界を認め、理不尽でふざけた世界を殺す・・と決めた。それこそが【死神】としての本分・・であることに間違いがなかった。

 腕に抱いたアリスとリズを更にきつく抱きしめた。それは柔らかくて硬くて、暖かくて冷たくて、小さくて更に小さくて、決して忘れることも手放すことも出来ない。

 そのためにはまずは目の前にある障害を退けなければならない。同時に思い出すのは絵本で語られていた伝説。【双無き者】の伝承。世界が怯える災厄の象徴。そして鋭い痛みを伴う甘い記憶。

 そんな記憶をすべて横へと追いやる。考えなければならないのは、今をどうして守るべきなのかと言うことだ。恐怖は介在しない。喪うこと以上の恐怖が存在するはずがなかった。それ故にセイギは正面からその四肢を見据える。最強で、凶悪で、何者よりも力を以てして現代を支配する万能の王を。


 一人と一頭の黒眼が邂逅せしその時、世界に暗黒が満ちた。



 ――世界に再び黒の華が、咲き乱れた。

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