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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
91/104

91.理性なき爪

普段と比べるとクッソ長くなったなぁ。

でも切れなかったので一括で投稿します。

 セイギの頭を真っ先に(よぎ)ったのは≪竜の墓場≫のふわふわ担当の女性。雰囲気からすればニポポの台詞が最も似合わない人物とも思える。恋破れたニポポの視点ということも相まってそのような評価が下った可能性が濃厚だった。

 分かりやすく言ってしまえば私見、私怨とでもなるのか。


「何があったんだ?」

「何があった……か」


 重い口を嫌々に、尚且つそれを晴らすようにニポポの口から語られていく事実。



 ***



 セイギ、リズと別れてからの≪竜の墓場≫の行軍は至って無難なものであった。道を遮る強大な敵はなく、天候は時折潤すように雨を降らせる程度。この上なく順調な足取りであっても油断はなかったが、恐ろしいほど呆気なく竜の棲息していた山のふもと村へと辿り着いた。


 村の雰囲気は暗く、子供でさえ外ではしゃぎ回ることもない。村人は皆鬱屈とした様子で屋内へと閉じ籠っていた。物静かな村は不気味なほど静まり返っており、その癖痛いほどピリピリとした空気と共に神経は限界まで張り詰めていた。その空気を目の当たりにした≪竜の墓場≫は自らの役割を強く意識せざるを得なかった。


「こいつは酷いな」


 ゴルドスがその空気をそう表現した。それに同意してレイラ、ユニアスが頷く。


「こんなに酷いことになってるなんて思わなかったわ」

「でもそのために私たちが来たんだよね」


 ユニアスの言葉にアレックスが頷いた。残るニポポはと言うと、四人からやや距離を取って佇んでその光景を眺めていた。この時点で既に拗ねていた訳ではなかったのだが、どうしても一人あぶれてしまう空気があったのも確かだった。その証拠にアレックスに触れそうな位置にユニアスが、ゴルドスの側にはレイラが立っていた。特にゴルドスとレイラの関係は気付けばいやに親しげなものに変わっていた。今まではゴルドスの一方的な想いだけだったにも関わらず、レイラの持つ人を寄せ付けない雰囲気、あるいは壁が消えていたのだ。二人の会話はいつもと変わらないものの、どことなくか距離が縮まっていることにニポポは気付いていた。レイラの瞳が時折優しげにゴルドスへ向いていることを意識したのもほぼ同時期。

 正直ゴルドスとレイラがそう言う関係になったことに関しては、大してショックを受けてはいなかった。素直にゴルドスを祝ってやれるくらいに二人のことは大切に思っていた。ただ少し、二人の間にいたはずのニポポの居場所がなくなってしまったように感じて息苦しかったのもまた事実であった。


「ニポポ、どうしたんだ?」


 ゴルドスの声色は優しい。元々面倒見のいいゴルドスは周囲へと気を配るのが得意だ。ただそこにレイラが絡むだけでその利点は大きく狭まってしまうのが難点なだけで。


「なんでもないよ」


 ゴルドスへと心配をかけまいと、ニポポはそう言った。セイギたちと出会ってから、ニポポの我が儘さは鳴りを潜めた。最も大きな原因はアレックスとユニアスの関係であったが、だからと言って二人のことを嫌いになったわけではない。ばつの悪さと羞恥心。それらからまともに対峙することに苦手意識を覚えてしまったのだ。

 ニポポはこっそり、本音を隠す術を覚えた。皮肉なことに失恋はニポポを少し大人にしたのだった。


 不和と言うわけではない。しかしそれは確かにしこりであった。感じ取っているのはニポポのみ。他四人はその感覚に鈍いのか、それが更にニポポを孤立させてゆく。


「それじゃあ行こう」


 ニポポの思考を遮ったのはアレックスの促す声だった。一同深く頷く。それはこの旅路の終焉へと赴く終わりの始まりの言葉。



 竜の巣は山中深く。木立が連立する鬱蒼とした樹林の中。あらゆる視線からその身を隠すかのようにひっそりと自生している。それはかつてのひ弱き存在の名残なのか、強者の驕りなどあろうはずもなかった。

 それでもその存在が及ぼす影響力は大きく、登山を開始した≪竜の墓場≫が生物の一切を目にすることはない。山中虫の一匹や二匹、当然のようにいるべきところが、視界に入ることもない。閑散と言うよりも死んだように静まり返った山の雰囲気は、生理的な恐怖を煽り立てる。


「なんだか気持ち悪いな」


 ゴルドスの言葉が端的に示していた。肌を撫でるようなゾワリとした感覚もある。それをプレッシャーと呼んでいいものか、それは誰にも判断が付かなかったが何かしらの知覚がある事は間違いがなかった。


「本当にこっちな訳?」


 訝るニポポの声も当然。先の見通しも十分に利かない現状、どうして竜の居場所が分かるとか。先導するアレックスはしかし微塵の揺るぎもなかった。


「この先にいる」


 だからそれを論拠を持って語れと言っているのにアレックスの口からは感覚的なものしか語られない。的を射ないそれに不安も募るが、アレックスの【称号】を鑑みればそれもあながち間違ってはいないのかも知れない。それでもニポポの些細な反骨精神はささくれ立っている。


「いなかったらどうするのさ」

「ニポポ」


 ゴルドスがニポポをたしなめた。ニポポは今のは自身が悪かったことを自覚しているのか、顔を背けて視線を反らす。


「いや、いる」


 ニポポの態度に怒りを表すことも、戸惑うこともなくアレックスは言い切った。いつもは腑抜けきったような表情で如何にも眠そうな表情をしているはずが、今だけは何かを見据えるように眼光鋭く前方を睨みつけていた。アレックスから放たれるその目にも見えそうなオーラにニポポもゴルドスも、レイラも息を呑んだ。


「アレックス」


 そのアレックスの手を優しく握る。そしてアレックスはそれを優しく握り返す。一瞬だけ柔らかな表情をユニアスへと投げかけた。


「えっ」

「うそっ」

「おお……」


 悟りきったかのように表情の一切を変えなかったアレックスのその表情はあまりにも予想外で、誰もが驚きを隠せずにいた。そしてそれを真正面から受けた人物は硬直でも起こしたように惚けていた。


「行こう。全てを終わらせに」


 アレックスはユニアスの手を引いて歩き始める。アレックスの失いたくないもの、それを守るために始めたこの旅に終焉をもたらすために。



 * * *



 少し開けた傾斜のほとんどない場所。そこには一頭の純白の白竜がいた。あまりの神聖さに思わず膝を折ってひれ伏したくなる衝動をどうにか押さえ込む。その力を以てして《竜の墓場》を睨みつけていた。闖入者に対する威嚇だ。



 ――グルルルル。



 白竜の喉から威嚇の声がこぼれ落ちる。【双無き者】とは言えど、不死身ではない。されるがままにすることも出来ず、目の前の脆弱な存在を威圧する。本来であればあらゆる生物はその圧力の前に逃げ出すはずが、それらは一瞬身を竦めたものの、逃げるような様子を見せない。

 やむを得ず白竜は折っていた足を立ち上げ起立した。体高はおよそ四メートル。前傾姿勢も相まって威圧感が凄まじい。


「ついに来たか」


 アレックスの表情が更に引き絞られる。何故か負ける気がしない。これさえ乗り切ってしまえば自身に課せられた荷を下ろすことが出来る。無駄な気負いもなく適度に力が抜けている。


「行くぞ!」


 アレックスの掛け声を合図に《竜の墓場》が散開する。レイラとゴルドス、アレックスが前衛に。ニポポとユニアスが後衛に回る。レイラがヒットアンドアウェイで敵を翻弄し、ニポポとユニアスが遠距離攻撃で敵の注意を分散させる。ゴルドスが攻撃を受け、アレックスが【竜殺し】の力を以て殲滅する。

 レイラは圧倒的な速さをもって白竜に肉迫する。両手に揃えた剣をその皮膚に叩きつける。片や対人用のソードブレイカー、片や肉を叩き落とす中国刀のごとく湾曲した刀。しかしそのどちらも傷を負わせるのに適わない。ゴムのような弾力が叩きつけた手に反射する。


「うっ、った!」


 そのまま白竜を足場に後ろへと飛び退る。だが竜もそれを安易に見逃してはくれない。空中でそう簡単には体勢を整えることの出来ないレイラにそのあぎとが差し迫る。そのままであればレイラは噛み砕かれて一巻の終わりであったが、竜の目を的確に打ち抜くように飛び込んだ矢に気付いた竜が顔を反らしたことで惨劇は回避された。

 竜が息を吸い込む。それは《竜の息ブレス》の前準備。その動作を感知したニポポは竜の眼前で爆発を巻き起こす。その爆炎を煙幕にアレックスが駆け寄る。特筆すべき点もないブロードソードをそのままの勢いで叩きつける。先程のレイラとは対照的にまるでバターのようにその皮膚が断ち切られた。現在その剣には【竜殺し】の力が付与され、一般的な剣であるにも関わらず頑強な皮膚を断ち切るに能うのだ。

 白竜の悲鳴の声が上げられる。今までに遭遇したことのないその痛みは白竜を悶絶させるに十二分であった。最強と言われるその存在であるが故に、重傷とも取れる傷を負ったことなどない。


「浅いかっ!」


 アレックスが狙ったのはその健脚。その体躯を支える足は文字通りの土台だ。攻撃を仕掛ける際には少なからず地面を踏みしめる反作用が必要となる。それを奪ってしまえば攻撃の弱体化は免れない。そしてそれを立証するように白竜のアレックスをはじき飛ばそうとした尾の一撃は精細さを全く欠いていた。明らかに速度の落ちたそれにニポポの魔法が間に合う。アレックスはニポポの援護により大きく白竜との距離を取ることに成功する。


 その隙にユニアスの矢が白竜の顔面を強襲する。それを嫌った竜は片手で顔を庇うように矢を避ける。矢自体がその鎧の前に効果を残すことはないが、それは視界を奪うのに絶好の効果をもたらした。視界を奪われているその一瞬を見逃さず、前衛組が一斉に攻勢に移る。

 始めに白竜のもとへ到達したのはレイラだった。しかし白竜は気にも止めた様子を見せることもない。最も脅威的なのはアレックスただ一人。それ以外は有象無象でしかない。恐るるに足らず。そう考えられたとレイラは悟る。


「舐めるなトカゲッ!」


 虚を突いた顔面に飛びかかる攻撃。それを無視することは能わない。左腕でレイラを撃ち落とさんと振るわれるも飛び出したゴルドスの盾に遮られる。


「ぐぅっ!」


 重い一撃がゴルドスに襲いかかる。骨が軋み悲鳴を上げている。踏ん張りが利いていない以上耐えきることは出来ずに吹き飛ばされる。それが狙い済ませたかのようにアレックスの方向へと飛ばされる。


「大丈夫かっ!?」

「すまん邪魔した!」



 ――キュルルルルルルルゥ!



 甲高い声が天を衝いた。疎ましい羽虫に苛立ったかのような叫びだ。

 それに続くのは《竜の息ブレス》の連射。そこに込められていたのは風属性の魔法。一発一発が大樹をなぎ倒す威力を持ち容易にそれを受けることは適わない。しかしゴルドスはそれを余裕を持って受け止めていた。ゴルドスの盾に込められていたのは対風属性の魔法。ニポポの唱えた魔法が的確にゴルドスを支援している。


 ゴルドスの影から一人が飛び出した。白竜はそれを目で追った。それが先程傷を負わせた存在であると感じただから。しかし、それはレイラの姿だった。白竜はその思惑を感じ取り、慌てて反対側へと視線を向けた。そちらからも影が飛び出してくる。だがそれは小さきもの、ユニアスの姿だった。

 白竜が完全にアレックスの姿を見失った隙を見逃さず、アレックスはレイラの影から飛び出した。二段の罠が完全に功を奏した瞬間。これが旅を続けてきた仲間の身に染みた連携だ。


「これで終わりだっ!!」


 アレックスの剣が白竜の首にかかる。避けようと首を反らすもそれが適うことはなかった。まるでそこには何もなかったかのように剣が滑らかに竜の首を両断した。竜の目が見開かれ悲鳴を上げようとするもそれをするまでもなく竜の意識は暗転した。

 ズズンと重量物が落ちる振動が起き、意思を失った巨躯が倒れ伏し砂煙が一斉に巻き上がる。流れ落ちる血はおびただしく紅く、騒がしさも嘘のように静寂が戻る。

 予想以上に呆気ない幕切れにアレックスは現実を取り戻すことができない。もっと激しい応酬に浅くはない傷を予想していただけに拍子抜けだ。腕の一つや二つ、持っていかれる覚悟はしていたものの、ほんのカスリ傷程度しか負っていない。


「終わった……のか?」


 肩で息をするアレックスがそう呟く。それに肯定をする声はない。ただただ静寂が、静けさを取り戻した世界が暗にアレックスの思考を肯定していた。


「ついに……竜を殺した……!」


 アレックスの歓喜の声。【竜殺し】としての役割を終え、呪われた運命から解放された。これで大切なものを失うおぞましい世界の理から解き放たれた。ついに平穏を取り戻すことに成功したアレックスのその声は今までの抜け落ちていた感情全てが一気に吹き返したかのようでもあった。


 喜び勇む《竜の墓場》にフッと黒い影が落ちる。それを訝んで見上げれば、そこにいたのは何もかもが黒に染まった漆黒の竜。黒の双眸は白竜の亡骸へ向けられていた。


「えっ……?」

「そんな……竜が、もう一体……?」


 黒竜は白竜の傍らに降り立った。そして鼻先でその身体を押して反応がないことを確かめる。そこには未だに温もりが残っていることは間違いないだろう。黒竜は何度も同じ動作を繰り返す。

 無駄だ。既に首が切り落とされている。いくら【双無き者】とは言えど、それは致命傷を超える致命傷だった。


「シッ!」


 軽く息を吐いて力を込める。飛びかかるのはアレックス。後ろにはレイラが続く。アレックスの剣戟をまともに受けたはずの黒竜はしかし全くの無傷だった。


「馬鹿な……っ!」


 それに怯むこともなくレイラが追って飛びかかる。そんな《竜の墓場》を気にもしていなかったはずの黒龍が動いた。それは軽く払うような左腕の動き。それだけのはずなのにその速さは先ほどの白竜とは比べ物にもならない。


やっ……」


 黒龍の腕がレイラを撃ち落とさんとした直前、レイラの体が不自然な動きで後退した。ニポポの魔法が無理やりレイラを下げたのだ。無理矢理にした動きのせいでレイラの三半規管が狂うものの攻撃の直撃を受けるよりは少なくともましなはずだった。

 目の前を通り過ぎる腕の風圧がレイラの頬を殴りつける。直撃を受けていたらとゾッとしない。

 いつの間に走り寄ったのか、ユニアスがアレックスの傍らに立っていた。その耳元に口を寄せ、何かを囁いているようにも見える。それを疑問に思う直前、刺すような重圧を感じて――


 黒龍が《竜の墓場》を睨めつけていた。それは人間で例えるのならば憎悪の感情だ。その鋭い殺気に《竜の墓場》は蛇に睨まれた蛙よろしく身動きが取れなくなる。

 その瞬間を狙いすましたかのように黒竜が呼気を深める。それは敵を滅さんとする一撃必殺の前触れ。魔力が爆発的に増大していくのを感じる。ニポポが対炎属性の魔法を慌てて組み上げるが、その力の差を感じ取って諦めが真っ先に立つ。


(これじゃあ防ぎきれない!!)


 そして直後に《竜の墓場》の目の前で閃光が炸裂した。それはまるで目の前で太陽が誕生したかのような現実離れした光景であった。ニポポが組み上げた魔法は無かったかのように砕け散る。それを咄嗟に腕を突き出してアレックスが防ぎ、ゴルドスがニポポとレイラの前に立ちふさがった。


 閃光という光の檻が消え、ソロソロと開けたレイラの目の前には逞しい背中が飛び込んできた。続いて視界に入るのは光が弾ける直前の光景の面影さえ残さない焦土。


「ゴルドス!大丈夫なの!?」

「……俺は、【堅牢の盾】、だからな……」


 レイラは庇ったゴルドスの身体の無事を真っ先に確認する。しかしそのゴルドスの身体は取り返しのつかない程にボロボロだった。アレックスが【竜殺し】の力で《竜の息ブレス》を最小限に抑えたとは言え、その余波は人の身など簡単に滅ぼしうる力であったのだ。顔の至る所に火傷の痕。剥がれ落ちた皮膚の下から覗くピンク色がその傷の痛々しさを強調する。そして金属製であったはずの盾の大半は溶解し、ゴルドスの手は盾と融和しつつあった。


「手が……」


 レイラの目が悲哀を帯びる。誰がどう見たところでゴルドスのそれ・・は既に手遅れだった。もはや手の形を見て取ることは出来ず、鉄塊に腕を突っ込んでいるようにしか見えない。

 そんなレイラの視界の端を、黒い影が駆け抜けて後方へと走り去っていった。


「ユニアス!?」


 影の正体、ユニアスはきつく呼び止めるレイラの声に振り返ることなく、アレックスの身体を引き摺るようにして森の奥深くへと消えた。

 どうしてゴルドスの前に立っていたはずのユニアスが駆けることが出来たのか、なぜアレックスはユニアスのするがままになっているのか、一瞬いくつもの疑問が頭を過るものの、それ以上にユニアスのその行動が困惑を招いていた。


「嘘……」


 そんなレイラの呟きの横、吹き飛ばされて樹木に叩きつけられたニポポは一瞬飛んでいた意識を取り戻した。そして朦朧とする視覚の中、初めに見た景色はアレックスに肩を貸して疾走するユニアスの姿だった。


「……え?」


 その光景の意味が理解できない。視線の前方にはレイラとゴルドス。そして取り残されているニポポ。目の前に君臨する巨竜は幻などではなく、その中で唯一と言ってもいい切り札の【竜殺し】が逃走しているという事実に現実感を抱くことさえ出来ない。



 ――ユニアスとアレックスが、逃げた……?



 失った現実感を取り戻させたのはゴルドスの叱責だった。


「逃げろっ!レイラッ!ニポポッ!」


 ゴルドスが竜の尾を受け流した。力が拮抗しない時点でその芸当は人間としてはありえない。【堅牢の盾】であるからこそどうにかそれをこなすことが出来ている。だが、それでも真正面からその力を受け止めることは出来ない。力の差が有り過ぎたのだ。それが分かっていたからこそ受け流すという選択肢を取った。そして【竜殺し】のいない今、レイラとニポポを守れるのはゴルドスだけだった。


「ゴルドスも!」

「俺はっ、ぐっ!」


 竜のなぎ払うような腕をどうにか躱す。点ではなく、面での攻撃は躱すにしても非常に神経を使う。それこそ針の穴を通すようなものだ。


「俺は竜を引き受ける」

「そんな無茶よ!私も……」

「大丈夫だ!……ッチクショ!……ほら、俺には勝利の女神さまが付いてるしなぁ!!」


 洒落っ気でも効かせたのか、ゴルドスは視線をレイラに投げかけてから普段のゴルドスからは聞けない軽口が投げられた。それが意図していたものはあまりにも甘く優しい拒絶。そしてレイラもその意味に気付く。

 それが最善手であることは分かっていた。それを納得できるかどうかは、全くの別問題だった。それでも納得できない理不尽を取れるのが冒険者である。時には過酷な選択を選び取ることが出来なければ、生き残ることは出来ない。

 そしてレイラは骨子に染みて冒険者であった。『死んでもいいわ』なんて口にすることは絶対に出来ない。命が大切なことくらい、自分が一番分かっている。


 だからレイラはゴルドスに背中を向けた。そのままニポポの元へと走り寄り、逃げるよ、と一言声を掛けて走り去った。ニポポはレイラを呼び止めることが出来なかった。

 ゴルドスを一人取り残すことを一番後悔しているのは、レイラの涙が証明していたからだ。




「さぁて」


 好いた女を守るために捨て駒になる。それはまさに冒険譚の脇役の末路だった。すり切れるほど何度も何度も繰り返し読み返した絵本。大好きな英雄の物語。何度も挫けても立ち上がる勇気。悲しい別れ。それを乗り越えて手に入れた真の平和。心が踊り絶望し感動した。だが事実は絵本とは対照的に夢見た勇者になることも出来ず、竜を滅することも出来ない巫山戯た幕切れ。


 死の恐怖はあった。すぐにでも逃げ出したい気分だ。足が震えていた。喉が渇いている。絶望に苛まされていた。けれど今こうして竜と対峙できているのは後ろを逃げているはずのレイラの存在だった。折角思いが通じたというのに。後悔がないわけがない。呪わないはずがない。レイラ、レイラ。思い出すのはその蠱惑的な身体と柔らかな乳房、そして脳を蕩けさせるような香りと嬌声。思いの通じ合ったその瞬間。


「へっ、俺にはもったいなさ過ぎたか」


 生存本能からだろうか、死ぬには死ねない情景が思い出されていは恐怖の前に消えてゆく。


「クソ竜が!人間様を舐めるんじゃねえぞ!」


 ゴルドスが憎まれ口を叩く。ただでは死んでやれない。その決意の表れでもあった。



 ――グオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!!



 まるで答えるように黒竜が雄叫びを上げる。そしてゴルドスは折れそうな心をねじ伏せて竜と向き合う。




 響き渡る咆哮を背に、レイラとニポポはゴルドスを見捨てて逃げ続けた。

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