90.リア充
※サブタイはフラグではありません
「懐かしいな。元気か?」
目の前の青年はセイギよりも上背がありスラリとしていた。少し線の細い印象を受けるが、実際に近くで見てみれば無駄のない身体に適度に筋肉が付いており非常にバランスが良い。
セイギと対峙するニポポの態度は非常に気さくであった。以前の反抗的な態度はまるで嘘であったかのように爽やかな笑顔。セイギは毒気が抜かれた様子でニポポに向きあう。その邂逅は予想だにしないものであったが、特筆すべき点もなく思うこともなく無難に答えるのであった。
「……ああ」
「それは良かった」
何故か歯が白く光った。これがイケメンの力だとでも言うのか。セイギは目の前の男をマジマジと観察する。黒に近い紫紺の髪に蒼い瞳。神秘的な深い色は視覚を吸い込むようでニポポの魅力を十全に引き出していた。
「俺も元気だぜ?」
(確かにそうだろうな。女二人も連れて)
内心に言葉を秘めたが、よくよく考えてみればセイギ自身も女二人連れだということに気が付いた。片やグラマー二人、片やお察し。それはヒエラルキーとも言える違いだったのかもしれない。そんなことを心の端に上らせていたセイギ。
(ああ、ごめんリズ!何でもないから怒らないでくれ。……下さい!)
セイギの内心を見抜いたリズによって注意されている幻想を抱き、セイギはリズへと謝罪を向けた。
そんな一人相撲のセイギの心の内など知らず、ニポポはセイギに質問を重ねる。
「こんなところで何してるんだ?」
「ねえニポポくん、この子だあれ?」
「お友達?」
ニポポの質問を遮るのは両脇の二人の女性。ニポポに質問をかけるのは自身の存在を気にかけるように促しているからだ。正直に言えばセイギの存在などどうでもいいと考えてでもいるのだろう。全く興味のない顔でセイギを見やっている以上、それは間違いがなかった。
「ああ、古い知り合い。あの頃は俺もやんちゃだったなぁ」
「えー、ニポポ君がやんちゃー?信じらんなぁい」
「そうやってまた騙そうとしてるんでしょー?」
「えっ、バレた?」
「ほらやっぱりぃ」
「ニポポ君ってやっぱりお茶目ぇ」
勝手に盛り上がっている三人を冷ややかな目で見つめるセイギ。正直面倒な現状に終止符を打ってしまいたい気分でもあった。確かに懐かしい存在ではある。しかしそれは同時に幸福であった時代の遺産である。それを振り返ることは同時に鋭い痛みを伴うことを意味していた。喜んで触れていたいとは思いがたい記憶であった。要は忌避すべきモノ。しかしその記憶を上回るのは冒険譚に喜び花開くリズの笑顔。だからセイギはリズの思いを優先させることを選ぶ。
一方、相変わらずアリスの目は冷たい。冷ややかな目とは行かないが、感情のこもらない視線はその意味合い以上に尖って見える。ニポポとの邂逅が何ら意味合いを持たない以上、アリスにとっても気にかける必要のない事象でしかない。
「セイギはこれからどうするんだ?俺たちはこれから……」
「ちょっとニポポ君!恥ずかしいからやめてよぉ」
「ニポポ君ってばエッチなんだからぁ」
ハートマークでも語尾に付いているのか、言葉は嫌がる素振りを見せつつ口調は甘い。それが自身に向けらているものであれば鼻も高いのだろうが、それが他人へのものであればただの鼻につく態度だ。
「セイギもこれからその子と?」
「えー?」
「嘘ぉ?」
そう言葉を向ける女二人の視線は冷ややかだ。セイギの傍らに佇むのは精々が十二三歳の小娘だ。それも恐らく生娘の。言わばそれは特殊な趣味を持つ人種だろう。人によっては生理的な嫌悪感を抱かざるを得ない。その意を含んだ視線がセイギへと向けられたのだ。人によっては褒美とも取れるだろうが、また別の人にとってはその視線だけで憤死出来るかもしれない。
「エリザベートちゃんはどうしたんだ?怒られるんじゃないか?」
そんな両脇の二人を気にした様子もなくニポポの軽口が飛ぶ。それはどういった意図が含まれていたのかセイギには全く分からなかった。ただ懐かしい話でもしたかったのかも知れない。決して侮蔑の視線が込められていない以上、悪意がないことは確かだった。ただ悪意のない言葉だからといって、それが人の心に傷を付けないと言うわけではない。ましてや何を言って良いと言うわけでもない。ただ、気を病まない今のセイギにとってそれは調度いい機会とも言えた。
本来であれば晒し者にするようで気が咎めるのだが、懐かしさも相俟ってか、セイギはそのローブの内に抱えていたリズをニポポへと向き合わせた。
「ッ!」
「ひっ!」
「キャー!!」
三者三様の反応。セイギはそれを可笑しい反応として笑いかけた。
「リズはここだよ。リズ、懐かしいだろ?ニポポだ」
「うっ……」
ニポポはセイギの言葉に足を釘付けにされたのか、逃げ腰でありつつもその場を逃げ去ることは出来ない。
そんな状況で現実を取り戻したのは両脇に立っていた女たちだった。
「しっ、【死神】っ!」
「殺されるぅ!!」
先程までの表情はどうしたのか、まるで異なり必死の形相を浮かべて二人はその場を逃げ出した。
そんな二人を訝しげな視線で見送りつつ、どうでもいいかとセイギは捨て置いた。今はリズとニポポの対面を成立させてやりたいという思いの方が強かった。
「リズ、覚えてるか?≪竜の墓場≫にいた内のニポポだ」
「……おい」
リズに話し掛けるセイギに制止の声をかけるニポポ。言葉を遮るのはある意味当然の事だ。止めずにいられるのはセイギの言葉の一切を聞き流しているか、それとも何の感情も抱かない人間くらいなものだろう。
「お、お前は……いや、それはエリザ……【死神】……?」
一挙に増えた情報にニポポは混乱を隠し得ない。なにせ初めに得た情報はセイギが頭蓋を抱えているという視覚的な情報で、その衝撃は計り得ず、到底考え得ない予想を超えた答えであったからだ。冷静になれと言う方がより困難であろう。
ニポポは愕然とした様子でセイギの腕の中のリズを指差している。
「なに言ってんだ?リズはリズに決まってるじゃないか」
ニポポの言葉の意味が分からないようにセイギは答える。首を傾げているのはわざとらしさの欠片もなく、本心からそうしているようにも見えた。
「いや、だって、それは――」
「それ、じゃないだろ?」
急激に鋭さを増した視線。ニポポはそれを正面から受け止めることが出来ない。ただでさえ【死神】と聞いて困惑を隠し得ないのに、そこに突き刺さる視線に対して回避以外の選択肢を選ぶことなど出来るはずもなかった。
――【死神】の噂はあらゆる国でまことしやかに囁かれていた。それはシュティングでも同様、いや、だからこそ、と言い換えても良いのかもしれない。学徒の街、そこは平和であればこそ、よりスリルと愉楽を求めるべき場所となる。つまり【死神】という話題はうってつけの話題とも言えた。
それはニポポの耳にも届いていた。例え自身に興味がなかろうが、周囲が興味を持てばそれを広げようと勝手に話を語り継いでいく。それはまるでウイルスのように自己を増殖し感染してゆく。ましてや交遊関係が女性中心であるニポポにとって、噂話とはある意味寝物語と同義であった。そのニポポが【死神】の噂を知っていることは至極当然の事だった。
セイギが腕に抱えたリズの姿。それはまさしく噂を体現したものに違いなかった。
「本当に、お前が……【死神】……?」
ニポポが尋ねる。それは確認の意味でもなく、ましてや質問ですらない。受け止めきれない現実を逃げ出すための誤魔化しに過ぎなかった。
それでも現実は冷静で、無情に過ぎない。
「そうらしいな」
セイギの回答は是。【死神】という【称号】を意にも介さないといった態度でニポポに答える。それを答えながらセイギの手はリズの頭を撫でている。それはまるで生者に対するもので、どうしたところで拭える違和感ではなかった。
ニポポの背中にゾッとしたものが走る。目の前のそれが決して正しくはない、ちぐはぐとした歪な何かだという認識しか覚えられない。
(頭がイカれてやがる……!)
それはニポポがかつて味わった絶望であり拒絶。悲劇で喜劇で愛憎で幻像で過去にして今。かつて垣間見た狂気の一端。
ニポポに訪れたのは恐怖だけではなかった。同時に覚えたのは怒り。それは憤怒とも言える強い感情。しかしそれを素直に出せるほどニポポも無謀ではない。黙って口を閉ざすことでその波を堪え忍ぶ。寄せるその異常を見過ごすだけ。
「ああ、そう言えば≪竜の墓場≫ってどうなったんだ?失踪したって聞いたんだけどまだ竜と戦ってるのか?」
「ッ!」
セイギのその素朴な疑問にニポポの表情が引き攣った。それは隠していた現実を暴く心ない言葉。
答えたくはない。しかしどう答えればいいのか分からない。誤魔化してしまうべきなのか、それともそれをしてはならないのか。ニポポにとって目の前の存在は騙りを許してくれる存在なのか。
ゴクリと一つ、唾を飲み込む。
「……≪竜の墓場≫は、解散した」
「え?」
その言葉の意味を今一つ聞き逃してしまったセイギが聞き返す。ニポポの表情はどれ一つ取っても真剣であり、謀っている様子は微塵も見受けられない。
ニポポが語ること、それは全て真実。
「俺たちは負けたんだよ、竜に。………あのクソビッチのせいでな」




