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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
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89.Run Run Run

 セイギの手にかかる重みが増したところで駆けていた二人の足並みは緩やかなものへと変わった。


「……はぁ……はぁ、セイギ、さん」


 疲労困憊とでも言えようか、アリスの息は切れ切れでいかにも息苦しさを訴えかけているかの様だった。


「私をお売りになるのでしょうか」


 何ら感情の籠らない表情でアリスが正面からセイギを見ていた。感情が乗っていないはずの視線でありながら、何故かセイギは自身が咎められているような錯覚に陥った。


「お前は売らない」

「そうでしたか。失礼致しました」


 咄嗟に否定の言葉を放ったものの、セイギの中に何ら答えが出ているわけではなかった。

 そう言うアリスの表情が晴れることもない。ただ冷静に事実を受け止め、そう謝罪を述べるだけ。

 そこでセイギは未だに握っていた手に気付き、その温もりをそっと(ほど)いた。


 セイギは目的もなく闇雲に足を運ぶ。二人の元へ戻るべきなのは理解していた。しかし、易々と引き下がれるほどセイギの切り替えは早くはない。

 アリスは何を問い詰める訳でもなく、従順にセイギに付き従っている。



 そもそもセイギと二人の間で【奴隷】に対する認識がどうしようもないほどに異なっていた。かつて垣間見た異世界の受け入れがたい事実。【異号】がどうだの、【奴隷】がどうだの、正直セイギにとってはそんなことはどうでもよかった。【称号】がどうした。そんなもののために人としての尊厳を奪われて迫害され、あまつさえその命を――


 セイギの全身から殺気が立ち上る。本来目に見えない筈のそれは黒い靄を象ってセイギを取り巻いていた。



 ――『そこの【奴隷】と誰かと重ねてはいないだろうね?』


 グレンの批判。全く辛辣な言葉であるがそれは正鵠を射ていた。誰かと重ねている?それは言うまでもなく未だに腕に抱えた存在だ。

 所詮他人なんてどうでもいいと考えているセイギにとって、尊厳がどうだのと訴えかける心算など欠片もない。こうしてアリスを連れているのだって人間らしく生きてほしいなどご立派な考えがあってのことではない。目の前にいるその存在が迫害され、虐げられてきたという事実があるだけだ。その証左にアリスとは他の【奴隷】に心をくだくことなど一切なかった。偶然出会い偶然翡翠の目をしていて偶然譲られた【奴隷】だからこそ、今こうしてセイギの傍らにある。

 言い換えてしまえば、セイギの気紛れで連れられているだけだ。そこをグレンに突かれた。それも最も触れられたくない部分に言及するようにして。

 あのまま怒りに任せてしまえばセイギはその力を余すところなくグレンに振るっていただろう。情も湧かず、躊躇いなど持つこともなく。それこそ作業のように。だから逃げた。頭の中の唯一冷静な部分がそうさせた。

 いずれセイギがグレンを殺してしまう可能性、それは決して少なくない。そもそもグレンがセイギに突っかかる以上、それは避けては通れぬ道だ。セイギの冷静さが振りきれるのが先か、セイギが取り合わなくなるようになるのが先か、それともグレンが今の態度を改めるのが先か、それ次第で未来は大きく異なっている。


「……ふぅ」


 ここで大きくため息を一つ。冷静さを取り戻すためにそうしていたが、流石に冷静になるどころか(ことごと)くの気力が尽きてしまった。言うまでもなく、セイギたちは迷子だった。


 無駄に歩き回ったせいで足には疲労が溜まっている。そこでようやくセイギは後ろに付き添い従ってきた小さな存在を思い出した。

 アリスの表情は変わらない。無表情が表情であるとでも言いたげな様子で憮然とも見える仮面をしていた。


「アリス、疲れてないか?」

「いえ、まだ暫くは問題ございません」


 セイギの心遣いも容易く流される。いや、流されるのとはまた別だ。なるべく主の気を遣わせないため、それに尽きる。とは言え無理をしたところで迷惑をかける可能性がある以上、限界は正確に告げる必要もあった。


 セイギは頭を掻いた。正直どうしていいのか何一つ思い浮かばなかったからだ。

 グレンがいなければ満足に旅も出来ない。食事を摂るための金銭など持ち合わせている筈もない。今日泊まるための宿も分からない。次に何処へ向かえばいいのかさえも分からない。


【死神】だからと言って、世界を変えられる訳でもない。その日暮らしさえ満足には出来ない愚かしい高校生。それがどうして【奴隷】を引き取ると言えるのだろうか。

 ――人らしく生きていて欲しい。それを願うだけがこんなにも難しいことだとは考えてもいなかった。


「アリス」

「はい」

「迷子だ」

「はい」


 一人じゃ何も出来ない。それを痛感した以上、体裁を取り繕う必要性は皆無だった。


「俺は【死神】だ」

「存じ上げております」

「けど一人じゃ何にも出来ない」

「……はい」

「情けないやつだな」


 ははっ、と自身を鼻で笑う。言うことは一人前、やることは半人前以下。あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて反吐が出る。悲嘆に暮れて自棄になっている割りには未だに世界に甘えたまま。自分の足ですら立とうともせず、伸ばされる手を払い除けようと駄々を捏ねてばかりだ。


「そんなことはございません」


 アリスの瞳がセイギを貫いていた。その言葉が決して本心ではないことは流石に分かる。分かるが、アリスのその双眼で見つめられると本当にそうなのではないかと錯覚してしまう。


「……とにかく、グレンたちに謝るか」

「かしこまりました」

「けどその前にどうやって合流するかだな」

「そうですね」


 初めて訪れた知らない街。グレンたちの居場所はおろか、宿の場所さえ不明だ。


「はぐれたら何処に集合なんて決めて……ん?」


 言いかけたところで一つ思い出す。まず何処へ向かうつもりで大通りを歩いていたのか。その最中にセイギが何処かへフラリと消えてしまったというトラブルが事の発端でもあるが。


「そうか、中央の広場……」


 同じ考えでいれば恐らく二人は広場へ向かっている可能性が高い。見知らぬ小道を捜索するよりもそうした方が効率が良いのは火を見るよりも明らかだ。

 そしてグレンのことだ、セイギが頭を冷やせば合流するより他ないという結論に至ることは既に計算済みだろう。憎たらしいと言うか、まるでグレンの手のひらで踊らされている現状に腹を立てるより他なかった。


「ひとまず、広場へ向かおう」

「かしこまりました」


 目的地は定まった。あとはそこへ向けて歩みを進めるだけだ。


「……どっちだろう」


 が、既に前途多難。


「……アリス、道分かるか?」

「申し訳がございません。道に不案内ですので、お教えすることは出来かねます」

「あー、そうか……」


 セイギは眉間にシワを寄せて思い悩む。しかしそれも僅かな瞬間だった。


「おし、適当に歩くか」

「かしこまりました」


 まさかの行き当たりばったり強行軍であった。道を聞けばすぐにでも分かりそうなものだが、生憎と周囲には一つの人影もない。建ち並んでいるのが住居だとすれば人影の一つや二つ、あったところでおかしくはないのだが、それすらも見受けられない。


 とりあえず道幅の広い道を探して歩き回る。基本的に道幅の広い道を辿れば最終的には大きな通りへ繋がっている筈のため、これは決して悪くはない選択肢だった。


 人がいた。それはとても艶やかで扇情的な格好をした女だった。丈の短いスカートから覗くむっちりとした太ももは男の視線を計算しての露出だろう。そして上半身。豊満なその胸部を勿体振らずにここぞとばかりに主張していた。十中八九、すれ違う男たちの妄想のお相手ともなり得よう。

 流石に視線が吸い込まれているセイギの横で、アリスはペタペタと自身の太ももや胸を撫でていた。セイギがそれを視界の端に捉えると、アリスはセイギに対峙する。


「セイギさん」

「な、なんだよ」

「セイギさんは、小さい方が好みなのでしょうか」

「違うわっ!」


 至って不名誉な勘違いだった。


「すみません。夜伽はさほど得意ではないので……」

「しないぞ!?」

「実際の経験はありませんが、その分開発の愉しみがあるとは聞き及んでおります」

「何でする前提なんだっ!俺はそこまで鬼畜じゃないぞ!?」

「……それでは何故私を?」

「いや、それは……」


 言葉を淀ませるセイギ。正面からそれを聞かれてしまうと答える言葉に詰まってしまう。明確な理由なんて有りはしない。モヤモヤと形にならない思いがその答えだからだ。それを言葉として表すことが出来ない。



 そんな問答をする二人の視界の隅を美女二人を連れた男が歩いていた。女の方はやはり露出度の高い格好をしており、商売女であることがそれとなく伺えた。男の腕は女の肩へと回され、その手は柔い肩を撫でるように蠢いていた。両手に花とはまさにこの事であろう。

 男が何かを呟くと女たちが笑う。これぞコミュニケーション能力の行き着くべき最終地点に違いなかった。

 男の顔は端整で高身長。時に浮かべる笑みは無邪気そのもので顔の作りから来る怜悧さとのギャップが著しい。それもまたその男の魅力でもあるのだろう。女の視線を集めるべくして産まれてきたような容姿である。天は二物を与えたもうた。


 セイギは特に意味もなくその男へと視線を向けていた。


(何処に行ってもチャラいやつはいるんだな)


 内心失礼に当たりそうなことを考えつつ、ボーッとその表情を伺っていた。と、男の視線がセイギへと向けられた。同時に男の顔が一瞬引き攣る。

 男は同時にその足をセイギたちに向けて踏み出していた。唐突の出来事に心構えの出来ていなかったセイギは些か慌てる。そんなセイギの様子など構うことなく、男がセイギへと対峙する。


「セイギ、か?」


 確かに時間の経過を考えるとおかしくはないのかもしれない。以前よりは確かに幼さは抜けて大人びた顔をしているものの、その溢れる表情はかつてのものと酷似していた。


「……ニポポ?」

ニポくんは爆発したらいいと思うよ。

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