88.一分と本分
少し話が無理やり過ぎた気がしなくもない。次話で回収しないとなぁ。
「あ、いた!」
そう大声を上げたのはリックだった。人混みに紛れて消えたセイギを探していたのだろう、ようやく見つけたことにやや不満の色が籠っているように聞こえるのは決して聞き間違いではないだろう。
「頼むから迷子はやめてくれよ」
グレンが苦笑、あるいは失笑の声を漏らすが、セイギの隣の存在に気が付くと些か表情が引き攣った。
「……私の目には【死神】くんの他に一人いるんだが気のせいだろうか」
最初に口を突いて出たのは皮肉めいた言葉。もしくは軽率にすぎる行動を批難する言葉だったのかもしれない。
「え、誰」
グレンの言葉にリックは初めてその存在に気付き、驚愕の声を上げた。リックの視線の先、表情をピクリとも動かさない能面のような少女。自身が好機の視線に晒されているというのに、微塵も怯んだ様子を見せない。子供らしくなく、ある種の不気味さを放っている。
そんなことを露知らずにセイギが少女へ促すと、幼い見た目に反して声変わりの終わったやや低く力のある声が響いた。
「始めまして。私はセイギさんの【奴隷】、"アリス"と申します」
アリス――セイギの与えた少女の名前。世界に刻む少女の楔。
しかし、アリスの言葉にリックもグレンもいい表情はしなかった。【奴隷】とは庇護される存在だ。少なくともこの旅路、足手纏いとなる存在は忌避されるべきだった。そしてリックが表情を顰めた理由――【奴隷】とは愛玩でもあると言えば通じもするだろう。目的は何にせよ、【奴隷】を連れ歩くのは風聞には宜しくない。それ故にいい表情をするわけがなかった。
「何故【死神】くんは【奴隷】を連れているのか、まずはそこから聞こうか」
グレンの声が真っ直ぐに突き刺さる。安易な行動を理論的に咎める。反論の余地もなく、私見の入りもしないように。それがグレンのすべき正しき行動なのだから。
「ボクもそこは聞いておきたいなぁ」
想像以上に冷たいリックの声。生理的に許せないのか、その表情は歪んだままだ。柄にもなく髪の毛の一房を捕まえては捩るように手遊びをしている。至って態度の悪いそれは不満の表れなのか。セイギは初めて見るその態度に若干の驚きを隠せない。
ふと目に入ったリックの猫耳が微かに後ろへ伏せられていた。
「【奴隷】っていうのは、そんなに悪いことなのか?」
セイギの素朴な疑問が意表を突いたらしく、二人の表情が一瞬間の抜けたものになる。
「はっ、なっ、何言ってるの!?【奴隷】だよ!?悪いに……」
「お嬢ちゃん、声が大きいよ」
グレンにたしなめられ、リックはハッと口許を押さえた。
「あ、ごめんなさい……って、ボクはお嬢ちゃんじゃない!」
「はっはっは」
「いやそれは別にどうでもいいんだけど」
「どうでもいいってどういうことセイギ!?」
「いつものことだろ、気にすんなよ」
そしていつもの空気が戻るも、傍らに静かに佇む存在は影のようでありつつも、少なくない存在感を放っている。リックにはやはりそれが気にかかったのか、表情は再び真剣なものへと戻る。
「【奴隷】っていうのはやっぱり良くないものだよ」
「だからなんでだよ」
さっぱりと言った表情で首を傾げる。頑として否定を続けるリックに対して疑問の声をぶつけるセイギ。その質問にどう答えるべきなのか考えの纏まらないリックはその単純な質問に答えることができない。
子供の『どうして空は青いの?』という質問に答えるのが難しいのと同様である。
「えっと、それは……」
――【奴隷】だから。
それでいつもは済ませてきた。【奴隷】だからあまり関わっちゃいけない。【奴隷】だから連れ歩かない方がいい。【奴隷】だから汚れている。
そう信じてきた。それが全てだった。それが事実だった。皆がそう言っていた。だからそうなんだ。そうやって納得してきていた。
それに"なぜ"という言葉で聞かれても答えることが出来ない。出来るわけがない。
「【奴隷】だからだよ」
問答を続けていたリックの代わりにグレンが答えた。グレンはそれが間違ってはいないと確信しているかのように答えている。それは思考停止の結論なのか、セイギには判断がつかない。何故ならばグレンは淀むこともなくハッキリとそう言いきったのだから。いくら議論を重ねたところでその確信をそう易々とはひっくり返すことは出来ないだろう。それに別にセイギはグレンの見解をひっくり返そうとも考えていない以上、答えが提示された時点で問答は終わっていた。尤も、セイギがそれに納得しているかどうかはまた別の問題ではあったが。正直、全く納得していないことは今のセイギの表情を窺えば直ぐにでも分かる事だった。
グレンがそう断言したことにリックは安堵していた。グレンは【奴隷】だからとそう言いきったのだからリックが間違っているわけではない。世間一般から外れていないことに安堵するリックと、それを冷静な瞳で見つめているグレン。
「【奴隷】はどこかに売ったらいいんじゃないかな」
「えっ」
いい考えが思いついた、とでも言いたげな顔でリックがそう提案する。そんなリックの傍ら、その言葉にセイギの表情が消えた。なにを言っている?ナニヲイッテイル?
「リック、今なんて言ったんだ?」
セイギは聞き返す。その言葉の意味を理解できなかったからだ。もしや聞き違いかもしれない、そう思っての言葉だった。当然、その希望が叶うことなどない。
「だから【奴隷】を売ってきたらいいんじゃないかって言ったんだけど……」
「……売るって、どういうことだよ」
セイギの声は震えていた。ゆっくりと、その手のひらを握りこんで拳を形作る。その眼は剣呑の色を濃くし、セイギの内にある怒りを表出させる。
自身の言葉のどこに怒りを覚えたのか、リックは微塵も理解できていなかった。それよりも今のセイギの怒りの矛先が自身へ向かっていることに恐怖を感じることしか出来なかった。――リックはそう、失言したのだ。
「……あの、セイギ、怒ってるの?」
「質問に答えろよ」
堪えるようにして漏らした声。それは何かに耐えているようであった。それがいつ噴出するものなのかも分からず、リックはビクビクとセイギの視線から逃れるように視線を彷徨わせていた。
「【死神】くん、【奴隷】を売るっていうのは……」
「俺はリックに聞いてるんだ。少し黙ってろ」
グレンがそんなリックを助けるように言葉を継いだが、そんな救援も一言でセイギにバッサリと切って捨てられる。言葉を挟むことを禁じられたグレンはやれやれと肩を竦めて見せた。これ以上無理に言葉を続けたところでセイギは納得もしないだろう。あるいは、その怒りを一身に受けることになるかもしれない。それでも言葉を続けるのは、考えなしのただの馬鹿か確信犯だけだ。当然グレンはその二者ではなく、呆気なく引き下がる。そんなグレンに救いを求めるような視線を投げかけたリックであったが、それはグレンのふざけたウインクで躱された。
「リック、どうなんだ?」
水を差されてもなおセイギの言葉はリックを追い詰める。
「う、売るっていうのは、その、需要のあるところに【奴隷】を引き取ってもらうことで……」
「人を?売るのか?」
「え、だから【奴隷】……でしょ……?」
その言葉を聞いてセイギの表情が呆れへと変貌する。どう言葉を言い換えたところでリックには通じない。リックから返ってくるのは『【奴隷】』ただその一言。だから?どうして?そんな疑問の声を耳を塞いだように聞かない態度はあまりにも強固である。理論が全く通じないことを悟ったとも言うべきなのか。
「リックはそれでいいと思ってるのか?おかしいだろう、そんなのは……!」
リックはセイギの言葉に益々困惑した。【奴隷】なのだから売る。【奴隷】を養う余裕がないのだから金に変える。その理屈のどこがおかしいのか、どこをどう辿っても理解へ繋がることはなかった。
「……そもそも【死神】くんは何故そこの【奴隷】を連れて行こうと考えているんだい?まさか善意とは言わないだろう?」
「……善意?」
リックの態度に諦めを感じたような表情のグレンが別の質問をセイギへと投げかけた。話題をすり替えるためなのか、それとも会話のイニシアチブを取ることが目的だったのか。だがグレンのその言葉に首を傾げたのはセイギではなくリックだった。どうして【奴隷】を連れて行くことが善意に繋がるのか、その過程が理解できなかったのだ。リックのその疑問に果たしてグレンもセイギも答えない。
「なんでって……」
「【死神】くん、君はよもや、そこの【奴隷】と誰かと重ねてはいないだろうね?」
「ッ!!」
セイギは言葉を失った。その言葉の意味を掴むことは出来た。出来たが故に言葉を失わざるを得なかったのだ。その表情に朱が走ったのは羞恥なのか怒りなのか、セイギは正面からグレンを睨みつけた。グレンはその視線をまるで気にした様子を見せることもない。
「アリス、アリス。うーん、アリス、ねぇ」
何度もその名前を口にする。その音を何度も確かめるように。味わうように。そしてセイギに見せつけるように。
「どこかで聞いた――」
バチッ、と何かが何かにぶつかる音がした。いつの間に肉薄したのか、セイギの拳がグレンの手のひらに受け止められていた。本来であれば顔面へと吸い込まれるはずだったそれはグレンによってあっさりと阻まれたのだった。腕は震えギリギリと力が拮抗している様子が見て取れる。歯を食いしばって力を込め続けるセイギに対し、余裕の表情のグレン。
「私はただの事実を述べただけだよ」
「知るか!人をおちょくりやがって!」
「私はいつでも真剣だよ」
「どこが真剣なんだよ!」
「私たちは死んだら終わり何だよ。当然竜なんかと対峙すれば即終了」
「だからそれがどうした!」
「私たちの生死は【死神】くんにかかってるんだよ」
「俺に関係あるか!お前たちが勝手についてきてるんだろうが!」
「お嬢ちゃんはともかく、私は仕事だからね」
「仕事がどうかなんて、俺が知ったことか!」
「君はただ竜を殺してくれさえすればいい」
「なんで俺がお前の――」
「"リズ"」
冷水を浴びせかけられたかのようにセイギの身体の芯から冷え込んでいく。当然忘れているわけではない。リズとの思い出を守るためにセイギは今もこうしてここにいる。それが不本意であっても、そうせざるを得ない理由がある。譲ることなど到底出来ることはない心の絶対領域。
「私たちに【奴隷】を連れて行く余裕はない。考えない力のない人形なんていらない」
「人形なんてそんな言い方は――」
「お前の本分を忘れるな"セイギ"」
グレンの冷たい視線にセイギの息が一瞬詰まる。何かを言い返さなければ、そう思っても乾いた唇からは微かに息が漏れる音しか聞こえていなかった。何か考えなければ。考えなければ。
気付けばセイギはアリスの手を引いてその場を駆け出していた。




