85.奴隷商 エブノ・イルンガ
新しいヒロインッ!リックの立場、危うし!!
「あっ……」
小さく漏らしたセイギの声は誰にも聞こえていなかったのか、イルンガは影の人間を更に呼びつけていた。
セイギの前には三人ほどの女性が並び立っていた。
まずは一人目、翡翠の目をした赤毛の少女。
次に二人目、セイギと同じような年頃の少女で目と髪のどちらもが金に彩られていた。その頭部には狐の耳が生えており、臀部には恐らく尻尾も生え揃っていることだろう。肉体面で言うと、十二分に発達していると言える。健康的なその身体は抱きしめると非常に心地の良いものをしているのがわかるだろう。
そして三人目。こちらはセイギよりも若干年上の女性。淡い栗色の髪に青く透き通った瞳。そしてその体つきは単純に示すならば豊満。どこにつけても柔らかな反応が返ってくること請け合いだろう。女性自身も自身の魅力に気がついているのか、セイギを挑発するような視線で見つめており、香り立ちそうな妖艶さを醸し出していた。
その三人が並び立ったところでセイギの視線はただの一点に釘づけになっていた。セイギを正面から見据えてくるその瞳。翡翠のそれ。何度も思い返すそれは今までセイギには何も与えてくれなかった。思い描いていたそれが突如として目の前に現れた今、セイギは素直に驚愕していた。
イルンガはセイギのその反応に驚いているようであったものの、すぐさま表情を整える。
「【死神】様はそちらの【奴隷】がお気に召しましたか?」
イルンガはセイギのその反応をそうしたものとして捉えた。そうするとなるほど、セイギの性癖とは些か特殊で眉を顰めるようなものであることには違いがないだろう。
「あ、いや、そんなわけじゃない」
「いえいえ、ご謙遜なさらずとも」
イルンガの表情は完全に緩んでいる。目的としていた反応を得ることが出来たとでも考えているのか。セイギの言葉を聞き入れる様子もなく翡翠の少女を手招きで呼びつけた。
「この娘はヒト族の娘です。特筆すべき点はございませんが母親は美人であった点から将来は期待できるでしょうな」
厭らしい笑みを浮かべる。下卑た表情は人に不快感を与えるものだが、それを意に介した様子も見せることなくイルンガは言葉を続ける。
「とは言っても【死神】様には関係ないことでしょうが」
「なにを考えてやがる」
「趣味嗜好とはそれぞれでございますし」
「何を言ってる」
「小さい子供は御し易く、また未熟な果実とでも……」
「何を勘違いしてんだっ!」
イルンガが驚愕の表情を浮かべていた。確かにセイギの反応は少女に興味を抱いたものだった。それゆえに確信を抱いていたのにそれを否定する強い言葉をぶつけられたのだ。損得勘定に敏いはずの商人にとって人の感情を読み取ることは出来なければその損益も激しくなること請け合いである。当然イルンガにとってもそれは承知の上、自身の洞察力には過剰でもなく不足でもなく十分に見合った評価を下していた。
セイギの目に浮かんだのは好奇の視線だった。それゆえの対応であったがそれも完全に否定された。セイギの様子からはそれが自身の性癖を隠すための体裁の取り繕いではないことを感じ取っていた。
「で、では【死神】様はどのような【奴隷】をご所望で?」
「そもそも俺は【奴隷】なんて欲しくもない。それに、なんでお前は俺が【死神】だって知っている?」
「ああ、言葉足らずで申し訳がございません。お近づきの印に是非にとでも思いまして」
イルンガが慌てて頭を下げる。
「もう一つの質問については?」
片方の質問に対しての回答は得たが、もう一方の質問に対しての回答は得ていない。それゆえにセイギは質問に対する回答を促す。答えを急かされたイルンガは慌ててその答えを口にする。
「はっ、先程も申し上げました通り、私めは情報を取り扱っておりまして、【死神】様は漆黒の髪と瞳を持ち合わせていると伺いました」
「だからそれが俺だと?」
「本来はもう少し早く到着するとお聞きしておりましたが本日までずっと探しておりました。もしや見逃してしまったのかと不安になってはおりましたが」
その言葉が意味するのは例の宿場町でのあの件のことであろう。あの件がなければ馬車でそのままシュティングへ駆けつけていただろうに。それが適わなくなったために行程が一気に遅延した。
「【死神】様は私めが考えていたよりもずっと聡明なのでいらっしゃいますね」
「は?」
突然の賞辞にセイギは顔を顰めた。それが何を意図しているのか掴めなかったからだ。
「あ、いえ。キルゲの人間を滅ぼしたとは思えない冷静さだと思いまして。お気に召したのでしたら……」
「どういうことだ」
イルンガの言葉はセイギの詰問に遮られた。
「ええ、ですから落ち着いてくださいませ。お話させて頂きます。【死神】様のご意向に逆らうことはございませんので」
「いいから話せ」
「は、それでは」
イルンガは畏まった様子で滔々と語る。吟遊詩人もかくやという流暢さだ。
それによるとあの宿場町で起こった件は全て【死神】によるものになっているらしい。それこそセイギの憤慨を受けるべきものである。なお、その噂に関しては既に国民の耳にもそれとなく伝わってしまっているのだという。当然噂である以上背びれ尾びれがついて回るのは仕方のないことであるが、その中でも一貫して伝わっているのは
1.【死神】によるキルゲの人間の駆逐
2.【死神】はアールニール王国の【異号】
3.腕に抱えた髑髏
のこの三点であった。セイギがどのような容姿をしているのかは未だ伝え渡っていないらしい。真っ先に伝えられるそれが何故伏せられているのかは理解できないが、それも追々伝えられることであろうということ。
「違う……」
セイギの呟きは当然人の消失に携わる部分に関してだ。主要して伝えられる三つの情報のうち、それだけが明らかに違う。
セイギにとって不名誉を被ることなどもはやどうでも良い。しかし、この度の不名誉は決して笑って見過ごすことのできる類のものではなかった。なぜならばその中に人の悪意が見え隠れしていることがわかったからだ。
「私もそのように考えておりました」
「お前が?何故?」
「いえ、ただ損得勘定をさせていただいただけです。【死神】様がキルゲを滅ぼす利点がなかっただけのことです」
本当はそれ以外の理由も複数あるのだが、その全てをわざわざセイギに語る必要もないため、イルンガはそうとだけ答えた。
「だから俺に接触を図った?」
「その通りでございます」
いやにイルンガの腰は低い。これもすべて【死神】の機嫌を損ねないための精一杯の策なのかもしれない。正直に言えばこれはあまりにも無謀だ。街を全滅させる力を持っているかもしれない存在と対峙し、尚且つそれとパイプを作ろうとするなど。下手を打てば軽く自分の存在など吹き飛んでしまうと言うのに。
そしてイルンガはその命を賭した賭けに勝った。
「なかなか凶行だとは思わないのか?」
「損して得取れ、が私の座右の銘なので」
「大した神経だな」
「恐縮です」
この二人が出会ったことは偶然出会ったのか、必然であったのか。イルンガが翡翠の少女を連れていたのは、少女の瞳がリズと同様のものであったのは、運命であったのか。
神であればその答えも知りうるかもしれないが、世界にはその答えを知る者はなかった。
――ましてやセイギが知る由もなかった。




