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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
84/104

84.学徒の国 シュティング

 ――シュティングは学徒の国である。


 この国は特例として決して戦火に巻き込まれない国として認められている。所謂いわゆる不可侵条約が締結されている。

 なによりも稀有なことに、ドグマグラ大陸全土によりその条約が遵守されていることにその特異性を見出すことが可能であろう。


 なんでもかつて、【英雄】が学びの場として築いた村がいつしか大きな力を持ち、そして一つの大国へと成り上がったのだという。ただそれだけではこの国の独立性が保たれていることの理由にはならない。

 かつての【英雄】の言葉を守るため、代々【異号】が国を守り続けてきていることもその理由の一つである。また、【英雄】によって恩恵を受けた国々も数え切れない程に存在している。

 例えばとある国がこの条約を破棄してこの国に攻め入った場合、条約を締結している他国全てからの攻撃を許容することに他ならない。そして【英雄】に弓引く存在として認められる以上、無縁孤立となること請け合いである。

 幼い嫡子を送り出し、他国とのパイプを作るための政界的な役割もこなしている以上、この国を無理に落とす必要は決してなかった。


 更にこの国においては宗教が全面的に禁じられている。それは当然宗教間での火種を事前に防ぐためである。かつての長い歴史を振り返れば、三つの指に数えられる戦争の理由の一つとも言える以上、それは仕方のないことだった。


 こうした事情の上で、シュティングという国は成り立っていた。


「賑やかだな」


 学生の街という謳い文句からなんとなく陰気な空気をイメージしていたセイギにとって、それは予想外なものだった。それはかなりの偏見とも言えるが、別に研究者の集りではない。自身の高校時代を振り返れば、バカの一つや二つは平然とこなしていたことを思い出せる。


 街中には雑多な人混みがあった。人とは限らず、亜人に下手をすれば魔物と勘違いしてしまいそうな謎な種族もいた。

 そのどれもが笑い、悩み、怒っている。しかし、どの表情にも世界を揺るがさん程の悲哀は籠ってなどいない。


 ――世界が、モノクロのフィルター越しに見えた。


 戦争のない国というのは人が生活を営むのに最重要とも言える。奪われる憂いがないというのは人の生活を潤沢にし、心を穏やかにする。心に余裕が出来れば衣食住を満たした後に求められるのはそう――娯楽だ。

 そうなれば賭け事やゲーム、趣味の教室、スポーツ、お茶会などが発展していくのは目に見えた事だろう。言うまでもないが、そうした場所に色町が栄えていることも至極当然であった。


 シュティングは住むのに絶好な国であるが、それ故に基本的な物価は高い。そして当然税金もかなりの額となる。こうなると高収益者しか住まうことは出来ないのだが、そこは学徒の国ということで学生に対しての特例も多い。当然それにも幾つもの制約があるのは言わずもがなである。


 そしてシュティングはその特性上、争い事に関してはかなりシビアである。街中に置いての些細な喧嘩であっても厳密な処罰があり、規則で雁字搦めの様体である。そうした故もあり、シュティングの治安は上質で、犯罪件数ほぼゼロという驚異の数字を叩き出していた。


「活気があるね」


 リックがセイギに同調するような声を上げた。その言葉はあるいは人の存在を喜んでいるようでもあった。


 現在三人は街の中心の広場へ続く通りを歩いていた。街の外れだったからか、幸運にも馬を預けられる宿場が見付かったのは幸先がいいとも言える。


 御者や馬はあの宿場町で失った。影も形も残っていない以上、生死の確認を行なうことは不可能だ。捜索は早々から諦め、次の町で足となる馬を買ったのだが、セイギは騎乗などしたこともなく、一から教わることになった。騎乗も決して悪くはないのだが、やはり現代で自転車や車に慣れていた感覚からか、当然のごとく違和感を覚え、なおかつ味わったことのない疲労や筋肉痛を味わうはめになった。

 なんでもコツがあるらしいのだが、未だにセイギはそれを理解できていなかった。だから街に着いたセイギの感想は『やっと着いた』と言うものだった。これもまあ仕方のないことだ。乗馬には普段は使わない筋肉をふんだんに使用する。むしろ随分と様になったことに敬意を表するべきかもしれない。


 とまれシュティングに到着した一行は始めに広場へと向かっていた。情報収集だの食料調達だの、そういった類いのものも必要であったが、それ以前に街の地理一切が不明だ。インフォメーションを得るにはまず中心からと言うのが攻略の最速手段だというのがグレンの言だった。

 歩くセイギはフードを被らずにその黒髪を晒しているが、物珍しいものがありふれているせいか、露骨なまでの好奇の視線は集まらない。ここでは隠していた方が怪しい人物として認識がされる可能性がある以上、必要以上に秘匿する意味はなかった。やや密やかな声も聞こえてくるものの、さほど開けっ広げでない以上とやかく言うこともない。


 そんなセイギの目の端に一つの影が映り込んでいる。大通りから一本入った小路。そこにはやや痩せこけた相貌のひょろっと背の高い男がニヤついた表情でセイギへ手招きを繰り返している。一見して怪しい男、二度見して裏社会に生きるその筋の人間だと分かる。


 シュティングは犯罪率が低い。ただし、犯罪が無いわけではない。そして見付からなければそれは犯罪ではない。温和な生活とは言い換えてしまえば退屈な日常であり、その裏には常に影が付きまとう。シュティングに潜む闇もまた黒く根深い。


 本来であればそれに関わることもなくこの場を立ち去るのが最善手。それは当然セイギにも分かっていた。それなのになぜか、セイギはフラフラとその男の元へと歩き出していた。

 セイギの先を歩いていたグレンとリックは人混みの多さもあり、いつの間にか離脱してしまっていたセイギに気付くこともなく先へと進んでいってしまった。


 セイギがその男の前へ立つと、男はニヤついたまま路地の奥へと進んでいく。その背中を追いかけるようにして付き従う。小路は入り乱れ、方向感覚が優れた人間だとしてもすぐさまにその位置を見失わせてしまう天然の迷路のようであった。

 男は速くも遅くもないペースで歩き続け、時折セイギの存在を確認している。セイギはそれに言葉をかけることもなく無感情に追い続ける。


 ふと、陽光が射していた。

 入り組んだ小路の中でも少しばかり道幅が広くなっているのか、空を覆うようにしてそびえていた家々の軒が途絶え、中天高くに登った太陽がセイギの顔を明るく照らし出していた。


「あなたが【死神】様でいらっしゃいますね?」


 男がセイギにそう声をかけた。相変わらずその表情には悪意の篭ったような微笑が浮かんでいる。「そうだ」と気怠げに呟いたセイギの言葉に男の口角が更に上がる。


わたくし、様々な商品を取り扱っております商人のエブノ・イルンガと申します。以後、お見知りおきを」


 男は恭しく頭を下げた。しかし、その態度も今までの容貌から鑑みると不信感しか募らないものであるのは当然だった。

 そもそもなぜこの男は隠れるようにこうしてセイギとの接触を図ったのか、商人と名乗ってはいるものの、なにを取り扱っているのか、そもそも何故セイギの【称号】を知り得ているのか。それらは全て次の男の言葉に含まれていた。


わたくしどもは情報や――ほら、奴隷どもを取り扱っておりまして――」


 男が影に声をかけるようにして何かを呼び出した。

 影から現れたのは赤毛の少女。まだ年若い――むしろ幼い。背は低く栄養の状態も良くはないのだろう、細いというよりも痩せこけたという印象が強い。そして何よりもセイギに衝撃を与えたのは――その翡翠の双眸がセイギを捉えていたことだった。

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