83.器
少し短め
「いずれにせよ他国からの干渉が始まったことに違いはない」
グレンが場の空気を纏めるようにそう言いきる。
ここでセイギが先程の言葉を問い詰めたとしても、グレンは恐らく何も語らない。故にセイギは口を噤んで視線を投げやった。リックは対照的に大きく首を上下に振って頷いた。
「【死神】の名前は既に知れ渡っていると考えていいだろう。あとは文字通り竜殺しを果たすだけだ」
それがこの旅の最終目標。リズとの平穏を守るためにセイギに課せられた忌むべき目的。
同時にリックにとっての切り開くべき未来。
そしてグレンにとっての――
「しばらくはどこからもちょっかいは受けないとは思うがこの先何度も衝突や奇襲なんてものがあるだろうな」
グレンの表情はまるで辛酸を舐めたようなものだった。
【異号】に立ちはだかるのは【異号】。突出した力がなければこの苦難を乗り越えることは出来ないだろう。セイギにとっては障害ですらないものさえグレンやリックにとっては絶壁足り得もするだろう。それが
分かっているからこそのグレンの表情。
リックも同様に悟ったのか、その表情はやや硬い。
「けれど私たちは進むしかないんだ」
それはグレンの覚悟であった。
* * *
陽光射す屋外は昨日の雑多な喧騒を喪失していた。沈黙した宿場町に響くのはがなるように鳴き喚く鳥類の声と思い出したように吹き付ける風の音だけ。
「……いやに静かだな」
セイギの問いかけに誰も答えない。グレンは黙々と旅路の準備を続け、リックは困惑したようにセイギとグレンの表情を窺うだけだ。
「別に早朝って訳でもないし……」
「宿のご夫妻も居なかったし……」
セイギとリックが首を傾げる中、グレンは一切の言葉も発さずに荷物を背負い上げた。
「おいグレン、何か知ってるのか?」
その態度に疑念を抱かない訳がなかった。グレンは何かを知っていてわざとそ知らぬ態度を取っている。セイギの中にそうした確信があった。
「……ここにもう人はいない。恐らく全員死んでいるだろう」
「は?」
「え?」
グレンの口から語られたのは突飛もない話であった。誰もいない、だから死んでいる。そう言われて即座に納得することはどだい無理がある。
「なに……言ってんだ?」
「この町の人間は全員死んでいる。私たちを除いてな」
「だから、どうしてそうなる」
「……【死霊喰い】有るところ、生者無し、だったかな」
「……ふざけてるのか?」
「いいや、言葉のままの意味だ。ここに生き物は残っていない。私たちと、死霊だけだ」
「なんで……」
「それくらい、分かっているだろ?」
「……」
セイギもリックも、口を噤んで周囲へ視線を走らせる。しかしどこにも人影はなく、生き物の息遣いは殆ど聞こえない。
「これが私たちの歩く道だよ」
悟りきっているのか、それとも諦めて諦めてしまったのか、グレンはポツリと呟いた。
「……俺はこんなことをするために竜殺しに行く訳じゃない」
セイギが毅然とした声でそう言い張った。嫌々な旅路であっても、決して他人の不幸を望んでいる訳ではない。理不尽なものには不平等を感じるし、不快感だって覚えもする。セイギはその感情を声にしたつもりだった。
「ボクもこんな事なんておかしいと思う」
リックも同調するように声を上げる。しかしグレンの表情は変わることはなく、ただ冷静に二人の表情を見やるばかりだった。無遠慮なその視線に物を言いたく感じるのはやむを得ないことだろう。現にセイギもグレンに対して否定の言葉を発していた。
「なんでお前はそんなに冷たいんだ。何か思うことくらい、ないのか……!?」
グレンの視線はブレない。逆に正面からセイギの視線を受け止め、強く見返す。その強い視線にセイギは次に発するべき言葉を失った。
「まず始めに私が思うのは、【死神】くんがその言葉を発するのか、ということだね」
その口調にやや皮肉めいたものが含まれていたのは決してセイギの気のせいではないだろう。グレンの瞳は憂い、呆れを湛えたようであり、その視線に人情味の欠片を見出すことは出来ない。そして当然、それはセイギの癪に障る。
「何が言いたい」
「君が今までにどんなことをしてきたのか、忘れたとでもいうのかい?」
グレンは怯むこともなくセイギの言葉に返答する。
少なくともセイギは、世界のために、人のためになにかをしようと考えてきたわけではない。ただ思ってきたのはただ身近な、手の届くだけの幸せを願っていたことだけ。不幸を振り払うための最小限の力の筈だ。だからグレンに問い詰められる謂れはないはずだ。
だがセイギは何も言い返せなかった。
――世界なんて、どうでもいい。
かつてセイギの心に芽生えた思い。あるいは呪い。
リズを失った世界は色も音も心さえも失われた。リズさえいれば。リズさえ生きていれば。他の万物がどうであろうと関係ない。
だからそれ以外のものの価値なんて路傍の石ほどの価値さえもなかった。本当にどうでもよかった。心の端にもかからない、些事以下のもの。
セイギの心など、グレンにとっては筒抜けも同然だった。浅はかな思考をまるで嘲笑うかのように指摘された。偽善の心を、晒された。
本当はどうでもいい。自分の手の届かない命の価値など、ないに等しい。
――安い言葉を叩くな。
そんなグレンの声なき非難が、聞こえた気がした。
完全にセイギは沈黙し、リックだけがやや困惑したような表情で取り残されていた。
そのリックの表情を見ていたグレンはリックに語りかけるように言葉を放つ。
「お嬢ちゃんも、何かを捨てる覚悟はしないといけないよ」
「ボクはお嬢ちゃんなんかじゃない。それに、何かを切り捨てるって考えも好きじゃない」
リックは正面からグレンにそう言ってのけた。視線はぶれることもなく、自身の正統性を信じてやまない自信の表れだった。
その返答に何かおかしな点でもあったのか、グレンがフッと笑う。馬鹿にされたように感じたリックは頬を膨らませるものの、グレンの先制の謝辞によって言葉を封じられた。
「いや、すまない。……そのままでいい。お嬢ちゃんが望むのならそのままでいい」
「だからボクはお嬢ちゃんじゃないっ!!」
最終的には今や定型となったやり取りへと落ち着く。
そんな二人のやり取りをセイギは傍目から眺めていた。
正直なリックに対してセイギの答えと言えば。卑屈な自身との違いをまざまざと見せ付けられたような気がしていた。
セイギは自身を恥じる。しかしそれは表面を取り繕っている浅ましい自分に対してではない。器の小ささを見せ付けられてなお、反省も後悔も、羞恥すら感じていない本当に底の浅い自分を見つめ直してのものだった。
――本当は、その恥すらもただの取り繕いであったことに気付いていながら。
* * *
足を奪われたセイギたちは次の最寄りの村、街へと歩き通した。馬ですら相当時間のかかる道程を歩き通し、更にセイギのペースに合わせて馬を駆ったせいか、次の国<シュティング>へ到るのに一月もの時間を要したのであった。
ようやく次の展開に繋がりました……!




