80.【死神】としての力
「僕はユノー・アスク。よろしく」
自らをユノーと名乗った青年は一歩セイギへと歩みより、手を差し伸べた。友好の証とでも言うのか、微笑を湛えたまま。
その挨拶に答えようとセイギも一歩、歩みを進める。その手を握ろうと腕を上げかけたところでセイギの前にグレンが滑り込んできた。
「お前は誰だ」
今日二度目の問いかけ。正体不明の存在。警戒するのが当然であり、セイギのように無用心で接触を図れるのは、同じ日本出身の人間だけであろう。
「だから僕はユノー・アスクだって」
「そう言うのを聞いているんじゃない」
グレンの詰問に呆れたようにユノーが肩をすくめた。
「君はいったい何を聞きたいんだい?」
「それはこっちのセリフだ!!」
グレンの質問にまともに答えようとはせずにのらりくらりとユノーは弄ぶ。
「僕はユノー・アスクだ」
ユノーは強くそう言いきると、グレンを一睨みした。恐ろしいほどの怒気はない。下手をすればそこらにいる住民の方がよっぽど恐ろしいレベルだ。
「……そうだな。お前はユノー・アスクだ」
それがどんな意味を持っていたのかセイギには与り知らない。何がグレンをそうさせるのか、ただそれだけの言葉にグレンは追及の手を緩めて納得してしまう。
「ちょっと待て!おかしいだろ!」
そのグレンに待ったをかけるのはセイギ。グレンのその態度の豹変に違和感を持たないわけがない。まるで掌を返したような行動は流石にセイギでも見逃せない事象であった。
「何が可笑しいんだ?」
「いや、だからお前が……」
「俺が?」
「そいつが……」
「ユノーが?」
「ユノーに誰だって……」
「ユノーはユノーだろ?あと【死神】くんが何を言いたいのか分からないんだが」
「だって変だろ!?お前はユノーに何処の人間だって聞いてたじゃないか!」
「はぁ?ユノーはユノーだろ?別に何処の人間だって良いじゃないか」
「どうしたんだよ!お前の方が訳が分かんないよ!」
まるっきり会話の合わないグレンとセイギ。込み上げる怒りを歯を噛み締めて堪えて いる。そんなセイギの袖が引っ張られた。
セイギがそこへ視線を向けると、上目遣いでセイギを見つめるリックの姿があった。
「なんだよ、リック」
腹立ち気味の所に気を引かれたセイギの声は、やや苛立ったものに聞こえたのかもしれない。リックはセイギの視線から顔を背けた。
「……ごめんなさい」
掴んでいたセイギの袖から、リックの腕が力なく落ちた。
その光景を目の当たりにしたセイギは、やや冷静さを取り戻し、今した自らの行動を慌てて戒める。
「あ、ごめん。違うんだ。いや、そうじゃない。……すまなかった。俺も冷静じゃなかった」
セイギの謝罪を受けたリックは、見るからに明るさを取り戻す。よくもまあ、ここまで感情に真っ正直に生きられるものだとセイギは思った。
「どうした?」
「あ、あのね」
「僕に内緒話しないで欲しいかなって。ね?お嬢さん」
密かに会話を交わしていた二人の間にユノーが飛び込んだ。そして同時にその視線がリックを射抜く。
「はい、そうですね」
「え、リック!?」
グレンに続き態度が豹変するリック。それは外部からの意志が働いているに違いなかった。ではその意志とは何処から働いているのだろうか。
この時点でセイギもリックの言わんとしていたことが分かった。この異常な現象、その由来は目の前の青年ユノーの【異号】によるものに間違いなかった。
「お前何をした……?」
「いや、僕はなにもしてないよ?ただお願いしただけだよ?」
「なんだよそれ……!」
ユノーは相変わらずにのらりくらりと追及を避け続ける。その捉え処のなさは柳のようである。それが当然セイギを苛立たせもする。
「言っておくと僕は怪しいものじゃない。それは分かるよね?」
ユノーがセイギを正眼から見つめてそう言った。けれどそれはセイギの求める答えではないし、舐めたような態度がただ癪に障るだけだった。
「お前の言っている意味が分からない」
その言葉に対してユノーは首を傾げるばかりだ。何かを呟いているようにも見えたが、その言葉を聞き取ることは出来ない。
拳を固く握りしめるセイギ。爪が掌に食い込み、強く握りしめたことで腕が震えていた。
いつの間にか袖を握り直していたリックが敏感にセイギの機微を感じ取っていた。
「どうしたの、セイギ?」
「いや、……」
「ふぅ~ん、【死神】くんはセイギ君って言うんだ?」
リックの問いに何故かユノーが反応する。そのタイミングに私意的な何かを感じる。
「……俺の名前がどうした?」
「いや別に?」
またしても答えない。何を考えているのか、検討さえつかない。
「それじゃあセイギ君、本名はなんて言うのかな?」
「……答えると思うのか?」
「それもそうだね。じゃあお嬢さん、セイギ君の本名、教えて貰ってもいいかな?」
「かしこまりました」
「リック!?」
「セイギ君は黙っててね」
ゆらり、とユノーが揺らめくようにセイギに接近し、視界がぶれたかと思えばいつの間にかセイギは床に倒れ伏していた。腕を極められ、全体重をかけて押さえ付けられている。セイギがどう抵抗しようとも、ユノーがびくともすることはない。
「離せっ!離せよっ!!」
「少し黙ってて、くれないか?」
ユノーはそう言うとセイギの頭を強く床に押し付けた。セイギの頭は床とユノーの腕の間で板挟みになり、擦り付けられるゴリゴリという音が上がった。
セイギは口を開くことさえ出来ず、結果的に沈黙することとなった。
「それじゃあお嬢さん、どうぞ」
「セイギの本名は、セイギ・タナカです」
それを聞いた瞬間、ユノーの表情に笑みが浮かぶ。それは決して好意的なものではなく、邪なものを過分に含んでいた。
ユノーは決して無害な存在ではない。むしろ世界に敵意を悪意を振り撒く害悪、あるいは厄災にも似た存在だ。何が稀薄だ、何が神聖だ、これ以上に邪悪な存在がこの世界にあるだろうか。
「そうか、セイギ・タナカ君かぁ」
ユノーの手に力が篭る。頭が砕けそうなそのその圧力にセイギは呻き声を上げることしか出来ない。
口の端から唾液が溢れるが、手でそれを拭うことも出来なければ口を引き締めることさえ出来ない。
「これが【死神】の力か……」
ぼそりと呟いたユノーの言葉が何を意味するのかセイギの頭は理解することは出来ない。ただ激痛の狭間に意識が漂うだけ。
「試してみても、良いよね?」
ユノーがセイギにそう問いかけた。当然セイギはそれに答えることが出来る筈もなく、ユノーは一人で頷き納得していた。
「それじゃあ君が僕の【死神】としての最初の被害者になるわけだけど、光栄に思ってくれても良いよ」
ユノーが何を言っているのか、やはりセイギには分からない。腕が痙攣するようにピクリピクリと跳ねている。
「それじゃあ、バイバイ」
――パチン。
軽快な音と共に、セイギの頭が弾け飛び血の大輪を咲かせた。




