76.宿る
しばらく更新しなくてごめんなさいm(__)m
目覚めた二人を待ち受けていたのは、グレンの呆れたような表情だった。露骨に批判をすることはないものの、その顔にはやや不満の色が色濃く残っていた。リックはそれに対して卑屈そうに顔を伏せるが、逆にセイギは勝ち誇ったような表情を向けて煽りに拍車をかける。そのセイギの表情に冷静さを取り戻したのか、グレンは一つ溜め息をついた。
「いいご身分だな」
「その通りで」
グレンの軽口にセイギが乗っかる。本気で言っているわけではない以上、それ以上の発展を見せる様子はない。その横ではリックが恐縮そうに縮こまっているのが対照的であった。
「……すみません」
「いやいや、別にいいよ。寝られる間に寝ておかないとね」
セイギに対する態度との落差は酷く、ジロリとセイギはグレンを一睨みした。それをすっとぼけたように華麗に無視するグレン。その二人の滑稽な漫才に、申し訳なさそうに顔を歪めていたはずのリックを破顔させた。それを眺め、まるで意図的であったかのようにグレンは満足そうに頷いた。
「今日はこの宿場町に一泊する」
グレンが顎で指した先。馬車の外には家々がずらりと並び立ち、多くの人々が行き交いをしている。通りは活気に溢れ、忙しく右へ左へと動き回り、まるで回游魚の如くあくせく働いている。城下町とは違って一秒たりとも無駄にはすまいとでも言わんばかりのその殺気にも似た気迫に、セイギとリックは少しばかり気圧された。
「うわぁ……」
「すげぇ……」
感嘆の声を漏らす二人の様子はまさに年相応とも言った限りで、和やかな雰囲気が流れる。二人ともに好奇心をそそられ、その空気を是非とも体験したいとその態度から分かりやすくも滲み出ていた。
セイギにとってその程度の人混みは嫌になるほど知ってはいたが、一年以上文明の発達も味わえない質素な生活を送ってきたのだ、その生活との乖離は感嘆するに十分であった。
それを眺めていたグレンの横顔に、僅かに微笑みが浮かんでいたことに誰もが気付かなかった。
「この宿場町は建国以来ずっとありのままの姿を保っている」
グレンのその言葉に周囲を見回せば、軒を連ねる家々は古き模様を色濃く残し、どことなく郷愁を誘う。簡易に木々を組み合わせて作られた厩舎。黒く煤けた屋根の低いレンガ造りの家。屋根では風見鶏が緩やかに躍り、灌漑で育てられた麦が青々と胸を張っている。
その中でも人々の活気は止まず、それが何故かこの風景にはやたらとしっくり収まっていた。
「いい景色だ」
グレンは同意を求めるとも、一人呟くとも言えない様子で心情を吐露する。それに賛成はしなかったが、セイギはそれに全面的に同意だった。
どこか憧れていた懐古的な情景。人々の活気は先へ進むエールのようで、セイギを勇猛な気分へとさせる。このミスマッチにも似た雰囲気は、唐突にセイギに下町の雰囲気を思い出させた。実際セイギが住んでいたのは一般的な住宅街であり、駄菓子屋や銭湯と言った郷愁の強い建物が建ち並ぶことはなかったが、セイギの心の中にはそんな故き時代の光景が深く根を張っていた。
「こんな町見たことないなー」
素直に感嘆の声を上げるリック。その表情は好奇心をそそられた子供のように明るく、今にも走り出しそうな視線で周囲を見回している。
いかにも子供らしい態度を取っているリックが視界に入り、一瞬でも我を忘れたセイギは己の行動を恥じた。それでも腕に抱えた重みを思いだし、郷愁の思いを伝えるように心の中でリズに語りかけた。語りかける言葉は決して明確ではなく、曖昧な感情のままの形を保ち続けている。それでもセイギはその言葉がリズへ届いていると確信していた。
「ねえ、あれは何?」
「あれは馬用の厠だ」
「うえっ」
子供のようにはしゃぎまわるリック。何が彼女をそうさせるのか、いつも以上に箍を外したその態度には、わざとらしさも嘘っぽさも含まれてはいない。それが生来の性質だと言うことがありありと伝わってくる。
「あれは?」
「あー、……あれねー」
グレンの口が急に重くなる。それも当然なのだろうか、リックの指先が指しているのは一見の棟。店先には老婆が一人座り込み、客を引き寄せているようにも見える。ただし、その客と言うのが男のみだ。そして今まさにその店へと入ろうとするその男の横顔は、如何にも厭らしく微笑んでいることが見てとれた。
「あー、なんか分かった」
「そうか……」
そうリックは告げ、先程の無邪気さがまるで嘘であったかのように冷静な表情を取り戻していた。それは夢の国で遊んでいたところで、現実を見せ付けられたせいで興醒めしたような表情であった。
その表情は何かを諦めてしまったようなもので、それを見ていたセイギは強く心を揺さぶられた。そんな心情を誤魔化すかのように、腕の中の存在を強くかき抱いた。
誰もそんなセイギを見てはおらず、それ故にセイギの心情を知るものはいない。
――当然、セイギ自身もだ。
* * *
セイギたちが連れられたのは良くも悪くも至って普通の、平凡で普遍で古民家風の、民宿そっくりの宿だった。当然天蓋付きのベッドがあるはずもなく、弱ったスプリングが悲鳴を上げる安物のベッドが部屋の大半を埋めていた。
「うわぁ、酷い……」
そう呟いたリックだったが、それはリックの生活基準を如何なものかと如実に語っていた。
分かりやすく言うと、一般高校生の自室――つまりかつてのセイギの部屋と同等の部屋を"酷い"と言い切れる生活を送ってきたのだ。セイギは些かムッとした表情を見せたが、挙動不審とも言える動作で部屋を見回していたリックはそれに気付かない。
「それじゃあ、おやすみ」
時刻はまだ昼を回ってやや経った頃、アフタヌーンティーを楽しむような時刻である。セイギの丸きり見当違いの挨拶は、やはりそれ相応の苛立ちを感じていることを表していた。それは見るからに理不尽な八つ当たりではあったものの、リックは実直にそれを咎めるようなことは出来なかった。
セイギのことを恐れているつもりはないが、やはり精神が安定していない状態では何をするのか決してわかったものではない。なにせ【死神】。神の名を冠したその【称号】は究極的な【異号】。人智の及ぶべくもない異常、超常、非常。セイギにその気が無くともふとした拍子にリックは簡単に死ぬ。それがあまりにも非現実的すぎて実感出来ない。実感は出来ないながら、何故か身体は明確にそれを覚えている。現にセイギの軽い悪意に対し、リックの手は小さく震えていた。軽く笑いながらその手の震えを止めようとしても、リックにはその震えをどうすることも出来なかった。
セイギが悪人でないことは分かっている。同じような年の、同じような少年だ。それなのにこんなにも違う。
――人と神はワカリアエナイ。
近くて遠い。それがリックにとっては嫌になるような距離感だった。
「ふ~ん。アイツが【死神】ですかァ」
喫茶店のオープンテラスの一席、遠目に二人を眺める姿があった。
また新しい登場人物が……




