72.深淵
今回は短め
「と言うわけで獣人族の耳なり尻尾なりを見るってことはおっぱいなりお尻なりをじっと見てるのと同じようなことな訳。オーケー?」
「変態変態変態変態変態……」
「どう見てもオーケーじゃないだろ、この状況……」
セイギをジト目で見続ける獣人は延々と批難を続け、グレンは愉快そうにそれを眺めている。
グレン曰く、獣人の耳や尾は感情を如実に語ってしまうものらしく、それをじっと眺められることに忌避感を感じるらしい。それこそセックスアピールとはいかないが、それに準ずる類いのものであり、出来る限りそれを隠したがるものだ。それを踏まえて見て見ないフリをするのが暗黙知である。
そしてそんな常識も知らないセイギは知らず知らずのうちになかなかに嫌らしい具合でセクハラを行っていたのだ。
「変態変態変態変態変態」
まるで壊れたレコーダーのように同じ言葉を繰り返す獣人に、反省の意を示していたさしものセイギであっても、この鬱陶しさには辟易とした感情を隠し得なかった。
当然その鬱陶しい文言をどうにかして遮ってやろうと画策する。
「お前女だろ」
「変態変態変態変態へんボクは男だ変態変態変態」
(こいつ間に入れてきやがった!)
そんな馬鹿馬鹿しいやり取りを繰り広げ、そしてセイギは疲れはてた。一歩引いてニヤついているグレンの態度も合わさってセイギは心底帰りたいと思っていた。正直何処でもいい。この鬱陶しいのから解放され、リズとゆったり過ごしたい。何処へ向かうかなど知りはしない。正直何処でもいい。本当にどうでもいい。
「あー、はいはい。俺が変態でございますよー。すみませんでしたー。それじゃあバイバーイ」
獣人の言を遮って言いたいことだけを言ってのける。これが如何に清々しいことか。お座なりに謝罪を済ませ、そのままセイギは踵を返し、その場を後にしようとする。
当然、このしつこさからも分かるように獣人はおいそれとセイギを見逃したりはしない。
「逃げるのか!この変態っ!そんなローブを被って如何にも変態らしい格好じゃないか!!」
セイギはそれを負け犬の遠吠えのように聞いていた。正直そんな言葉など気にするまでもない。そんな言葉はセイギには届きはしないし傷つけもしない。そのときまではそう思っていた。
「それにその髑髏、すごく気持ち悪い!!」
セイギの肩がピクリと跳ね上がり、その足が完全に止まった。
その反応に違和感を覚えたのか、獣人は続けようとしていた言葉を飲み込んだ。
首だけを傾げるようにして後ろを振り返ったセイギ。そこには先程までの笑いや呆れ、面倒や優越感と言った感情の一切が鳴りを潜めていた。代わりに見てとれるのは空虚にも似た、深淵のような闇。何もない。何も見えない。
ヒッと息を吸い込む音が聞こえた。それが自らの悲鳴であったと獣人はついぞ気が付かなかった。
「今、何て言った?」
軽い問いかけ。答えを返すことはそう難しい事じゃない。けれど本能的にそれはダメだと訴えかけるものがあった。それをしてしまえば決して取り返しの付かない結果に至ることは明白であった。
「う、あ……」
セイギの無言の睥睨に何も言葉を発せない。ともすればこれが命を握られる感覚とでも言うのか。背中を冷や汗が伝い、その感覚がえらく明確に感じられる。五感がより敏感になり、この空気さえも息の詰まりそうな鋭い痛みを伴っているようにさえ思えた。
「何も言わないんだ」
興味を失ったようにセイギはそう告げた。その言葉にこの空気の終わりを感じたのか、気が抜けて肩が落ちる。しかし、セイギの言はそれで終わりではなかった。
「次に言ったら、殺すよ?」
獣人の全身の毛が一斉に逆立つ。軽い口調であったが、眼前の【死神】は容易くそれを実行すると確信があった。耳は完全に倒れ、尻尾は足へと巻き付き、全身を縮こめている。視線は低くチラチラと窺いはするもののセイギを正面から見詰めようとはしない。
セイギはそんな様子をどうでも良さそうに一瞥すると、顔を正面へと戻し歩みを再開する。
そのセイギの背中を引き留めることなく二人は見送る。その背中には威厳というものもなければプレッシャーと呼べるものもない。ただのショボくれた中肉中背の少年の姿にしか見えない。しかし、そこに宿るのは身の丈に余った甚大な暴力。
グレンはその笑みの張り付いた顔を諦めのようなそれへと変え、一言、ポツリと呟いた。
「理不尽だろ?……だから関わらない方がいいって言っただろ、お嬢ちゃん?」
今度は獣人の少女には、それを否定する言葉を発せなかった。
* * *
嘆いていた。
何度も夢を見る。繰り返し繰り返し、同じ夢を見る。それは最も幸福な時間。愛すべき存在。望んだ空気。
目覚めては空虚に襲われる。それは過ぎ去った過去。失くしてしまったもの。未来永劫、見ることも叶わない夢。何度も何度も同じ絶望を繰り返す。
最も大切な存在を理不尽にも奪われ、既に寄る辺など残っているはずもなかった。
弱小の存在の癖に奸計を凝らし、手を出してきたことを後悔させてやろう。
皆殺しだ。
人類全て、尽くまで滅ぼしてやろう。
根絶やしだ。遺伝子の一つ、残させやしない。
許しを乞うても赦しはしない。どんなに泣きじゃくろうとも踏みにじって焼き払って食い殺してやる。
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクイ
感情の一つ、残っていやしない。あるのは空虚な器とそれを真っ黒に染め上げる深淵にも似た深い憎悪。
弱小な存在だと目を瞑っていたことは間違いだった。それが付け上がらせてしまった原因であるのならば尚更だ。
後悔してももう遅い。隣の存在は既にいない。もういない。――もういない。
だから後悔させてやる。恐れさせてやる。滅ぼしてやる。
――殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロス
ただそれだけを誓って黒き存在は目を閉じた。
それにしてもこの獣人の少女、一体誰なんだ(笑)




