71.first impression
まだ名乗らない……!
男にも女にも見えるその人物は、母子を背後へと庇う。その姿勢は勇ましく、いかにも正義といった出で立ちである。見るものが見れば即座にセイギを犯人だと断言しかねない状況でしかない。
彼、あるいは彼女の表情はキリリと締まり、中性的な顔立ちも相俟って人々に嘆息をさせる美術品のようだ。唇は薄く一文字に引き絞られている。琥珀色の大きな目を釣り上げるようにして睨みつけるその威勢はセイギの姿勢を正させるには十分であった。鼻梁は真っ直ぐに通り、鼻はまるで直角三角形を描くようであった。深緑でストレートの髪は頬の横で切り揃えられている。
なによりも目立つのはそのピンと立った黒い猫耳猫尻尾。村にはそういった人物が溢れかえってはいたのだが、実際に間近でまじまじと見るとそれはまさに動物と同じように細かな毛が密に生え揃っている。見た限りでは非常に柔らかげな印象を受け、その極上の毛並みに触れてしまえば中毒になることは間違いがないであろう。
そして当の本人であるセイギもそんなボディ・コンタクトの衝動を堪えつつ、現状に困惑していた。
衝動的に子供を追いかけたのだが、実際にどうしようという考えの下で行った行動ではない。逃げる子供に対してその背中を追跡したに過ぎず、当然拳骨程度の仕置は考えていたものの、明確な殺意を以て追尾したわけではない。
それがどういうことだろうか。セイギの目の前で子供の母親らしき人物が土下座をし始め、子供の命乞いをしているのだ。まるでセイギを愉快犯でもあるかのように恐怖を浮かべた視線で見つめ、媚びるように遜るようにセイギに謝罪をしているのだ。
――不本意だ。それがセイギが率直に感じた感情だ。
(俺を愉快犯みたいに見やがって……)
憤慨と同時にセイギの意識をある存在が掠め、不意に腹部がキュッと締まるような錯覚に陥った。セイギは思わずその箇所に手を当てる。
同時に目の前の人物が親子を逃がす。親子への注意が一瞬逸れた隙の行動であった。その判断は素早く正確。そしてその行動は具にセイギを観察していた証拠だった。対峙した相手の動作を見落とすことなく、拾えるだけの情報を拾う。そしてそれを最適解へと繋げるのだ。実際は例え距離があってもセイギの力を持ってすれば命を奪うことなど容易い。やろうと思えばこの村を全滅させることなど片手間でも行える。目の前の人物はそれに一切気付くことはない。当然だ、その人物はセイギを"人間"として見ているのだから。勿論そんな内心などセイギには知る由もなかった。
眼前の人物の年齢は非常に若くも見えるが、その行動は間違いなく厳しく洗練されたものであった。セイギはそれになんとなく気付き身を固くもしたが直ぐに弛緩することになる。
「おお、【死神】くんも逢引とはやるねぇ」
セイギの横から巫山戯た声がかかる。残念ながら聞きなれてしまった声は喜色が含まれているようでそれがセイギの感情を波立たせる。
「【死神】……?」
黒い猫耳がピクリと動く。顔の側面、髪の合間には薄橙色の耳と見受けられる器官は存在せず、頭部に備え付けられたそれが聴覚を司る器官として機能しているらしかった。そんな猫耳の挙動に気を取られつつ、セイギはグレンの言葉を流してやる。どうせ話をしたところで誤魔化しや聞き流し、あるいは虚言まで吐いてくるだろうことを想像したからだ。それゆえセイギはグレンと言葉を交わすことに価値を見いだせなかった。
そんなセイギの心を知ってか知らずか、グレンはまるで演説をするかのように流暢にその猫耳獣人へと説明を開始する。
「そうさ。そこに御座します方こそ【死神】様なんだぜ?」
「そんな【死神】だなんて……」
「本当さ。【死神】くんは竜を殺すために旅に出てる訳」
「竜を……」
「正直あまり関わらない方が身のためだと思うよ、お嬢ちゃん?」
「ボクはお嬢ちゃんじゃない!!」
グレンの最後の言葉にその人物は逆鱗に触れたかのように憤慨する。その変わりようにグレンは一瞬驚愕の色を示したものの、すぐにそれを取り繕って笑顔へと戻る。
「それは失礼しました、"淑女"」
グレンのフォローするような言葉に猫耳までもが震え、尻尾の毛が逆立つ。それはグレンの失言に業を煮やした証拠であり。
「ボクは男だ!!」
自称男性から怒声が漏れたのである。
* * *
「いや、済まないね」
相変わらずの笑顔でグレンは謝罪の意を告げる。その笑顔は如何にも胡散臭く、猫耳が警戒するようにグレンへと向けられる。それも詮なきことだとセイギは思う。
セイギの偏見も混じってはいるが、グレンの何を考えているのか分からない腸を思えば、警戒しない訳にはいかない。現にセイギもグレンに辛酸を嘗めさせられたようなものだ。そう易々と心を許すことなど出来はしまい。
「私はグレンダー・マオリ。こいつは【死神】くんだ」
顎で指すようにしてセイギを示す。それが若干腹立たしい行為ではあるが、グレンのことだ、もうなにも言うまいと誓ったセイギはその感情を無視する。
対して猫獣人は訝しげな顔でセイギをまじまじと見つめている。その耳は後ろへと折り畳まれ、小さくなってしまっている。それはまるで怯える動物そのものである。紛うことなくそれは恐怖の気色であった。
「【死神】くんも名乗るかい?」
そんな猫獣人の内心を察したかのようにグレンが軽口を叩くようにセイギに話しかけた。その軽口に乗るのも面倒ではあったが、名乗らないような文化に浸って来たわけでもない。それは当然失礼にもあたり、耳をそばだてているグレンに渋りつつ名乗りをあげる。
「……セイギ・タナカです」
そのセイギの自己紹介にも大した興味を持たないような様子でグレンはふぅんと鼻を鳴らした。まるで馬鹿にしたような様子の態度にセイギは苛つくも、いずれにも興味を示さないような態度であるかのように振る舞う。実際、感情が落ち着いてしまえば興味を抱くものなどなく、どこでもいいから腰を落ち着けられる場所を望み始めた。
「君は本当に【死神】なのかい……?」
猫獣人が恐る恐ると言った様子でセイギに話し掛ける。セイギの思考に不意に『好奇心は猫を殺す』という諺が思い浮かんだものの、流石に出会って僅かな人物を唐突に殺そうなどとはそうそう思わない。思いきり耳を伏せているその様子にセイギは思わず吹き出しそうになる。
「いや、俺自身としては分からないんだがそうらしい」
自然とセイギの声が明るいものへと変わる。セイギの様子を訝しんでいるのか、猫耳がピクピクと震える。少し頭を上げては伏せ、上げては伏せを繰り返す。セイギの視線に気が付いた獣人はその耳を慌てて手で隠した。
「へ、へへへ変態!!」
「え?」
何故か半分涙目でセイギを睨み付けている。その仕草は不埒な視線を遮ろうとするものであり、当然遺憾の意も含まれている。
「あー、そういうのはダメだよ」
何故かグレンからダメ出しがされる。確かに不躾な視線であったことは否めないが、それが何故変態という評価へと繋がるのかセイギには今一つ理解できなかった。
とにかくセイギは、『変態の死神』という如何にも不名誉な第一印象を戴いたのだった。
猫耳は正義!




