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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
70/104

70.弱者と強者

やっと出番ですよ

 日は高く、気温は非常に穏やか。湿度も適切な高さであり不快感を煽るものひとつない。

 ティータイムを楽しむことも出来れば、午睡に浸ることも可能だ。洗濯物を干すことも出来れば、ピクニックに赴くことも(やぶさ)かではないだろう。

 外を駆け回る子供たちの声が空へと響き、大人たちはそれを温かい視線で見守る。


 その中でも一際目立つのが、その人々の特徴的な耳や尻尾。――彼らは獣人であった。

 セイギたちがたどり着いたのは獣人の村『グルニカ』である。整備された道からするとこの村は非常に森が多く、人の手が込み入っていないことが見てとれる。比較的自然が多く、深呼吸をすれば樹木の香り漂う森林浴を楽しめるだろう。


 セイギは肺に溜まった空気を一気に吐き出し、逆に大きく息を吸い込む。それはまるで肺を洗浄するかのような行為だった。


「気にしすぎだろう」


 あまりにも大仰なその行動にグレンが苦笑する。しかしセイギはそれに一切取り合わず、再び深呼吸を繰り返すのだった。

 グレンが袋の中身を告げてからかれこれ五時間、馬車は特に止まる様子もなく、中では男二人と生首が同居するばかりであった。異臭が気になり窓を開けたものの、当然腐臭は袋の中からするものであり、大した効果は得られなかった。

 その強烈な香りは脳を刺激し、一度嗅げば顔を歪ませるには十分だ。それと長時間共にあったのだ、臭いが移らない訳がなかった。しかし逆に長く共にあったせいか、セイギの嗅覚は麻痺を起こし始め、現状が全く把握出来ないでいた。――風呂に入って服も洗いたい。旅路も始まってからまだ一日、既にセイギの心はあの家の浴槽へと向かっていた。これを前途多難と言わずしてなんと言うのだろうか。


 セイギは肺の中の空気が完全に入れ換わるまで何度も深呼吸を繰り返したのだった。



 * * *



 セイギの前を行き交う人々は皆が皆笑顔の人物ばかりであった。そして一様に手持ち無沙汰で立ち尽くすセイギを眺め、怯えたようにそそくさとその場を立ち去るのであった。セイギはその視線にただ戸惑うだけだ。


「づあっ!?」


 そんなセイギの頭にゴツッと何かが直撃した。セイギの視界が明滅し、白んだ世界が見える。何かが直撃したであろうこめかみに触れてみれば手が僅かに赤く染められた。足元を見回せば拳大の石が落ちている。そのまま視線をあげて周囲を見渡すと、小さな影が逃げるようにして物陰へと隠れるのを見て取ることが出来た。


「ふざけんなよ……」


 その背中を追いかけようとセイギが立ち上がった所、その肩に厚い皮の手が乗せられた。


「子供がしたことだ。許してやれ」


 全くその通りではあるが、だからといってものには限度がある。人に向かって石を投げ付けることは子供であっても許されることではない。セイギは釈然としないながらも、グレンに馬鹿にされるビジョンを思い描き、モヤモヤとした感情を抱えながらも子供を追いかけることを諦めた。物陰からチラチラとこちらを伺っている様子が目に入り感情は更に煽られるが、極力そちらへ視線を向けないことで無理矢理に我慢した。


 そのセイギに向かって黒い何かが投げ付けられた。とは言ってもさほどスピードが出ている訳でもなく、空気抵抗を受けたそれは舞い落ちるようにセイギの胸元へと収まる。視線を上げるとそれを放ったのはグレンであった。


「なんだよ」


 不快感を抑えている上、理由もなく投げ付けるようなグレンの態度にセイギは些か怒気を孕んだ声で威嚇する。

 対するグレンはそんな声もどこ吹く風と言った態度で聞き流す。


「【死神】くんは黒目黒髪だから目立つんだよ。それで顔を隠しときな」


 セイギに放られたのは黒のローブ。これを被れば尚更目立つのではないか、とセイギは考えたのだが、数奇なものを見つめるような視線が鬱陶しくなってきたため、素直にそれに身を納めた。どことなく連行される犯罪者のようで、自身が連行される場面を想像してセイギは少し吹き出した。


「ついでにそれ(・・)も隠して貰えると助かるな」


 グレンが顎で指したのは、セイギが腕に抱えるリズの存在であった。そして愛する存在をぞんざいに扱われたセイギは軽く沸点へと至る。


「なんつった?」

「失礼」


 言葉では謝りつつ、グレンは首を竦めるようにしてまるで溜め息でも吐くような態度を取っていた。

 今すぐにでも眼前の男を塵芥へと変えてやりたい願望に襲われる。許されるのなら、今すぐにでもその首を撥ねて後悔させてやりたい。そんな感情を理性でどうにか抑えつけ、セイギは狂気の灯った瞳でグレンを射抜いた。

 それでもグレンは臆した様子は見せず、何でもないことのように流してみせるのであった。



 グレンがセイギの側を離れていたのには理由があった。ローブを購入していたというのもあるが、どちらかと言えばそれは主な理由ではない。グレンの取ってきた首――まさに賞金首をギルドへと渡してきたのだ。近頃近辺を騒がしていた盗賊達と言うことで、思いの外懸賞金を獲得した。尤も、今回の目的では金を得ることが目的であったのではなく【死神】の名を売ろうとした行為だったようで、実際にグレンがセイギをギルドへと連れて行こうとしたがセイギの強い反対から断念したのだった。断ることに理由があったわけではなかったのだが、グレンの思い通りに動きたくはなかったセイギは、とにかく断っただけだ。そしてその行動はセイギの考えた通りグレンの思惑を外すのには貢献した。しかし実際には、顔の見えない【死神】の像は人々の想像を掻き立て、より大きなものとして広がることに繋がっていたことに気付く者は一切いなかった。

 近くの盗賊が討伐されたこと、【死神】がやってきたこと、竜を討伐するための途であること。そのどれもが小さな村の関心を惹き、変化のない日常を引き立てる。セイギの存在が如何に話題の中心へと登りやすいことか、その当人は全く理解していない。


 そしてあまり大きくはない村の中、噂話が口伝てに広まるにはあまりにも狭すぎた。


 セイギはグレンの背中を見つめて歩く。今日はどうやら宿を取るらしく、その宿屋へ向かって歩みを勧めていた。その背中を見つめる視線は険しく、今でも何かを疑っている様子をありありと感じさせる。

 小奇麗な格好をした老紳士然としたグレンと、その後ろに従う黒のローブを纏って頭蓋骨を抱えた少年。それは主従の関係であるかのようにも見え、そしてその奇抜さからその二人が渦中の人物であることが明確となる。

 そして【死神】の【称号】は、意図しないものまでも引き付ける。



 初めに気が付いたのはセイギだった。

 それは先を歩くグレンに気付けないのは当然のことであり、真っ先に被害を受けているのはセイギであったことにも起因している。

 セイギが感じたのは腕に感じる何かがぶつかる感触だった。幾度かあったそれは勘違いであるとも思っていたが、流石に回数をこなせばそれが意図的な何かであることに気がつくのは当然だった。そして視界の端に捉えたのは飛んでくる小石だった。最初に頭に直撃した石とは違い、玩具のように小さなそれは気を煩わせる程度で、気にも止めずとも問題はないものであった。セイギもそう思っていた。けれど、それが何を意図して行われていることか分かった瞬間、セイギはその人影に向かって駆け出していた。


「お、おい!」


 慌ててそれを静止するグレンであったが、セイギの耳には既に何も届いていない。完全に頭に血が上っているセイギの様子を伺い、グレンは仕方がなしにセイギのあとを追った。



 王都とは違い、村の道は至ってシンプルであり、入り組みもしなければ隠れるような路地もない。セイギはその後ろ姿を見失うことはなく、その目標物までの距離を確実に狭めていく。


「ハア、ハア」


 逃走者の息遣いがセイギの耳に聞こえる。あるいはそれはセイギの息遣いだったのかもしれない。激情に衝動的に動かされていたセイギは、自身の息苦しさなどを忘れて目の前の逃走者を追走することしか頭にはなかった。

 その逃避行為も咎人がその体勢を崩したことで終わりを迎える。近付いて見れば、なんてこともない、十にも届かぬ年端の子供であった。その両目には涙が浮かび、今にも泣き騒ぎそうな表情でセイギを見上げていた。


 獲物を追い詰めたセイギではあったが、目の前の存在にどうするべきか困惑していた。――リズを傷付ける行為。それを感じた瞬間、言いようのない怒りに囚われて目の前の存在を追いかけ始めたのだが、実際にはどうしようと考えて始めたものではなかったため、目の前の処理に困ってしまったのだ。これが分かりやすい態度であったのなら、セイギも迷うことなくその存在を抹消していただろう。だが今セイギの目の前にいるのは分かりきった悪意などではない。むしろ純粋に近いと言ってもいい存在だった。

 声をかけることもできず、かと言って手を差し伸べることもましてや殺すことさえ出来ない。ある種の硬直状態が生まれていた。


 その最中、小さく身を抱える子供を庇う存在が姿を現した。しかしその目に映るのは怯え。その弱々しい姿で精一杯に子供を抱きしめ、まるで盾になるかのように自身の姿でその存在を隠す。


「申し訳ございません!【死神】様!!」


 震える声で女はそう言い、深々と土下座をする。


「私はどうなっても構いません。ですからどうか、どうかこの子だけは……!」


 唐突なことにセイギは言葉を発せない。一方的に見下す者と、それに謝罪をする者。現在の様子を端的に語ればそうなり、そしてその異様な空気を理解したのか、硬直していた筈の子供が嗚咽を上げ始め、女も同時に涙を浮かべて声を震わせる。


「お金でも命でも、なんでも差し上げます。ですからどうか、この子だけはお許しくださいませ!」


 女は頭を地面に擦り付けるように深く下げる。子供の嗚咽は泣き声へと変わり、場の悲壮さをよりいっそう高める。現状を把握しきれていないセイギにはそれに対してどのような言葉を返せばいいのか分からず、結果的には黙してしまった。

 その無言が答えであると感じたのか、女と子供はより声音を高めて泣き喚く。


「ママー!」

「ごめんね!ごめんね!」


 あまりにも異様な光景に口を開きかけたとき、母子とセイギの間に小さな存在がその身を滑り込ませてきた。


「弱いもの虐めはやめないか!!」


 それは軽鎧に身を包んだ中性的な人物で、その頭にはトレードマークのような黒の猫耳をピンと立て、同じように尻尾を真っ直ぐに立ててセイギを睥睨していた。

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