7.恐怖、そして朝
リズは考えていた。
セイギの恐怖に竦み上がった原因を。
実はかつてリズも過換気症候群を患ったこともある。5年にも及ぶ付き合いの末、どうにか今は発症しない程度には割りきることもできた。その疾患経験ゆえ、今回のセイギの発症にすぐさま対応することが出来たと言うのは皮肉なことであろう。
リズの場合はセイギ程ひどいものではなかった。少なくとも泣き崩れ、疲労のあまりに眠りに落ちるということはなかった。更には痛みなのか下腹を押さえ込んだり、全身が酷く震えるということもなかった。
チラ、とベッドの上で眠るセイギを見やる。
手足を折り畳み小さくなって眠っている。そして腕は未だに下腹を押さえている。
手足を小さく折り畳み眠るというのは防衛のための本能である。愛玩動物を飼っている場合は分かりやすいかもしれない。少なくとも安全が保証されない環境では彼ら彼女らは寛いで眠るということをしない。基本的に腹を隠しすぐに立ち上がれるようにしている。小さな物音でもすぐに目を覚まし、いつでも戦える、あるいは逃げられる用意をしている。
昨日の時点では緊張はしている様子ではあったが、少なくとも怯えた様子は欠片もなかった。
リズは"下腹を押さえる"ような"命の危機を覚えるような恐怖"を思い出したのだろうと推測していた。
そしてそれは正しい推測だった。
しかし、流石にリズでもセイギの真の恐怖を推測するには能わなかった。
――殺される恐怖
生きている人間ならば、あっても精々一度しか味わうことのない恐怖。逆に言うなれば最大の恐怖。むしろ経験しない人間の方が多いのかもしれない。
リズは浅い眠りを続けているだろうセイギを眺め、薄く息を吐いた。
* * *
眠りから覚めたセイギの前に並べられたのは昨日と同じ"トイ"だった。
深く眠った気はしないものの、随分と眠っていたようだった。"壁の隙間"から伺える限り、朝方のように見受けられる。
目覚めたセイギに気付いたリズはすぐさま調理に取りかかった。眠そうな雰囲気を見る限り、徹夜でセイギに付いていたのかもしれない。
(迷惑、かけたな……)
今はもう衝立てで見えないリズの背中を思い浮かべながら、セイギはそう思った。
それと同時に激しい恥ずかしさもぶり返していた。
(俺、すっげぇカッコ悪いな……)
セイギはひどく顔を赤面させ、頭を抱えた。
高校生にもなった男が幼子のように少女の腕の中で咽び泣き、疲れ果てて寝入ってしまったのだ。目覚めたばかりで気付いていなかったが、手も握っていた覚えがある。
もはや男の沽券などないに等しかった。
一方で調理に手を回すリズであったが、その頬はわずかに桃色に染まっていた。
同年代の男の子を抱き締め、尚且つその手を握っていたのだ。セイギと違って任意の行動である上、ある程度恥じらいも収まっていたが目覚めたセイギの顔を見るとやはり恥じらいが勝ったのか赤面しつつ台所へと逃げ込んだ。
リズの背後を覆う衝立てはリズの気配りによるものだった。調理している最中にセイギは発症した。であれば調理の過程でセイギのトラウマを呼び覚ます何かがあると察したリズは、調理の過程を隠すことにした。
正解とも言えないが、どの過程がそれに当たるのか判別出来なかったため、すべてを覆い隠してしまうのがもっとも手っ取り早かったのだ。
始めは互いの存在が気になっていたが、食事を進めるうちにセイギは食事に没頭していった。その食指は止まることを知らず、既に4杯目へと手を伸ばしていた。
考え事をしていて作る予定の倍以上の量を作ってしまったリズであったが、既に底が見えている鍋を見て驚きを隠せなかった。それと同時に笑みが零れる。
人間どん底にいようが、満足な睡眠と食事さえ出来れば生きていける。今のセイギは生きようとしていることに間違いがなかった。
そんな二人であったが食事が終わると再び沈黙が舞い戻っていた。
そもそも言葉が通じない人間同士、会話をしようにも碌な会話を出来ない。出来るのは単語を並べた意志疎通で、会話とすら呼べないお粗末なものだった。
(何か言わねぇと……)
("なにか言わないと…")
言葉が通じずとも、考えている二人であった。
「あ、あのさっ!」
先に口火を切ったのはセイギだった。恥じらいもまだ残っていたが、それ以上に告げなければならない思いがあった。
「色々迷惑かけてごめん。でも本当にありがとう」
決して言葉が通じていないことは分かっていた。それでもこの思いを、感謝を告げないでいることは出来なかったため。
そんな様子のセイギを窺っていたリズだが、ついには花開くような笑顔でセイギに笑いかけた。
言葉が通じずとも、気持ちが通じた瞬間であった。
「っ!?」
刹那、セイギの心臓を締め付けるような感覚が襲った。しかしそれはあの下腹を掻き乱すような痛みではない。そしてあの呼吸困難のように息苦しくはない。
セイギはその正体不明な症状を訝んでいた。
既に外は、朝日を迎えようとしていた。




