66.蜂蜜入りのお茶で黒魔術を
世界がセイギ君を追い込んでいく……。
セイギが向かった先はリズの家だった。五年経った今でもその景観は全く変わらず、時の狭間に取り残されているかのような印象さえ与える。
勝手知ったる家であるがため、セイギは躊躇もなく扉を開けた。そこにリズの『おかえり』が無いことに違和感を覚え、代わりにセイギは腕に抱えた頭骨を強く抱き締める。
「帰ってきたんだよ、リズ」
腕の中の存在に語りかける。それでも反応は一切なく、部屋の中にセイギの声が響いては消える。それがよりセイギの孤独を強調していた。
始めにセイギはリズを椅子に座らせた。
「リズは喉乾いてないか?」
セイギはそのまま台所へと立つ。龜に溜めた水が綺麗なことを確認し、水を汲み入れてケトルを火にかける。慣れた手付きでそれをこなしていくその過程は、いたく関心の出来るものだった。
お湯の沸く間にセイギは茶葉とティーセットを取りだし、机上へと広げる。綺麗に着飾ったクロスの上に広げられる光景は、実に優雅さを感じさせるものだった。
セイギはこのお湯を沸かしている時間が最も好きだった。どうお茶を入れるのか、どの程度の味にしようか、温度はどのぐらいがいいか、――リズは喜んでくれるだろうか。刹那にも似たその短時間にただ目の前のお茶にだけ考えを寄せる。それを楽しみにしてくれる人がいる。人のために出来ることがあるというのをこれほど喜んだことはない。だからお茶を淹れるのはセイギの仕事なのだ。
気が付けばケトルからは湯気が立ち上ぼり、中のお湯が今にも弾けようと踊り出していた。セイギは火を止め、ポットとカップ、サーバーへとお湯を注ぐ。十分に温まったところでお湯を捨て、サーバーへと茶葉を落としお湯を注ぐ。久しぶりと言うこともあって蒸らす時間を少な目に設定。いつもであれば少し濃いめに抽出するのだが、今日は薄目で飲みやすくしようと心掛ける。今日の茶葉はフルーティーな香りが良く、抽出時間によっては渋味が良く出るものだ。その分淹れ方はシビアであるが、それに見あっただけの深いコクを味わうことができる。セイギは専らストレートで味わうか、それにミルクを加えて飲む。
「リズは蜂蜜だよな?」
――うん、いいよ。
サーバーからポットへと茶を移し、更にポットからカップへと茶を注ぐ。この手順は手間ではあるが、一度淹れてしまえば味が変化せずに置いておけるというのが利点である。
当初お茶には全く興味を持っていなかったセイギではあるが、リズの薦めで始めたお茶は、今となっては立派な趣味と言えるほどになっていた。
ティースプーン半分ほどの蜂蜜を紅茶へと落として撹拌する。始めの頃は蜂蜜の量を誤ったり、水色が黒く濁り焦ったこともあったが、今となっては味の濃さを把握することも茶葉の種類を見分けることも容易となっている。
「はい、どうぞ」
リズの前へとお茶を差し出す。セイギは自分用に淹れたカップを手に取り、まずは香りを味わう。果実のように幾ばくかの酸味を含んだような新鮮な香りが立ち込める。続いて少量を口に含み軽く舌で転がす。直接口に含んだことで、先程は感じ取れなかった微かな甘酸っぱい香りが鼻を抜ける。そして深いコクが喉奥へと広がり、最後に渋味が味を引き締める。なかなか悪くはない。十分満足のいく出来栄えにセイギも内心で納得する。
「リズはこの五年間どうだった?」
セイギはリズに語りかける。勿論、リズから反応が帰ってくるわけもない。それもリズの反応を期待してでのものでないことはセイギの態度からも分かった。
「俺は殆ど寝てたみたいで、全然覚えてないんだよね」
ははは、と軽く笑う。本気で笑っているわけではないのだが、無理矢理貼り付けた笑みでもない。会話を円滑にするための笑顔というのが最も妥当と言った線だろう。
「目が覚めたらグレンダーとか言うおっさんがいてさー。いや、ホント参っちゃうよね」
苦笑混じりに愚痴を漏らすセイギ。
「おっさんに寝顔見られてるとか、勘弁して欲しいよね」
では、誰が良かったのか。セイギは敢えて口にしない。
そんな繰り広げられる会話の中、不意に部屋へとノックの音が転がり込んできた。
「あ、俺出るからリズは座ってて」
そう言いながらセイギはドアへ向かって声をかける。
「どちら様ですかー?」
「グレンダー・マオリだ」
その声にセイギの表情が一瞬曇るも、一瞬でそれを繕ってリズへと微笑みかけた。
「噂をすれば、ってやつだな」
セイギはそう言いながら、扉越しに声をかける。
「なんの用だ」
「言っただろう?君は逃げられないと」
「あれか?最近流行りのストーカーか何かか?」
「ストーカー……?言う意味が分からないが、私は代表として君を追っている立場だ。君の言葉が追跡者という意味であれば、その通りだな」
聞きなれない言葉にグレンは首を傾げたものの、セイギのペースには乗りはしない。
「ところで君は来訪者に対してドア越しで対応するのかな?」
皮肉げにグレンが言うが、確かにその通りであることに反論のし様をなくす。それにリズにもそんな態度を改めさせられるのも確かだろう。セイギは不承不承と言った様子でドアを開く。
グレンがセイギの肩越しに見たのは、お茶会でも開いていたかのような様子で食卓が彩られ、セイギが座っていたであろうその対面には髑髏が鎮座している様子だった。ともすれば何らかの儀式と勘違いしそうな異様な空間に、グレンが眉をひそめるには十分な理由だった。
「異様な空気だね。黒魔術の練習かい?」
「何が言いたい」
「君がそれで良いというのなら、別に何も言わないがね」
それでグレンはその話題を終える。グレンの些細な一言がセイギを追い込んでいく。一手一手確実に距離を詰め、逃げ道を塞いでは決着への道筋を確立している。まるでボードゲームの定石のようなそれに、セイギは溺れかけて喘ぐような息苦しさ錯覚に陥った。
「それにしても、良い家だな」
急な話題の転換に不穏なものを抱いたセイギであったが、その意図するものが分からず、閉口して頷くことしか出来なかった。
「ああ、そうだろうね。きっと思い出も沢山詰まっているんだろうな」
グレンに反発したい気持ちはあるものの、全くその通りのために反論することも出来ない。
この家にはかなり思い出が、いや、すべての思い出が詰まっている。初めての日のことも、涙した日のことも、笑いあった日のことも、接吻を交わした日のことだって覚えている。
「どうしてこの家はこんなに綺麗なんだろうな?」
奇妙な言葉。普段であれば首を傾げる程度の些細な言葉に違いない。
「……どういうことだよ?」
「君の力は壊すだけの力だ。守ることには向いていない」
「だからなんだって言うんだよ!」
「君の敵は個人じゃない。数だ。私を殺してもそれは変わらない」
要領を得ない問答にセイギは焦れ始める。けれど、言わんとすることのおおよその意味は理解した。
「これでも大分穏便な交渉ではあるんだよ?」
セイギの表情から不満を読み取ったのか、グレンが一言添える。そんな態度にセイギは尚更苛立ちを覚える。そんなセイギにだめ押しを加えるようにしてグレンが言葉を放つ。
「このままここで幻想を追っていれば、君は全部を失うんだ」
セイギの体がビクリと震えた。
「さあ【死神】くん。君はどうする?」
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