65.名前の無い獣
「リズリズリズリズリズ……」
一心不乱に土を掘り続けるセイギの指は、既に爪も剥がれ落ち血も土にまみれて固まりつつあった。柔い指先は裂け、その隙間にも土は入り込んでいる。
そのセイギの指先が不意に硬い何かに触れる。それは天然の物の感触ではなく、明らかに人工物のそれであった。まるで採掘を行うように丁重な手付きで掘り出していく。そのセイギの両手は細かく震えている。
それは一つの黒く大きな壺だった。大の大人が両腕を回してようやく抱え込めるほどの大きさである。周りの邪魔な土を掻き分け、壺を引き上げる。それはガラガラと鈍い音をたて、中の何かが存在を主張する。それがセイギにはリズの悲鳴に聞こえて仕方がなかった。
――こんなところに居たんだ。
壺の蓋を開くと、なんとも言えない匂いが漂う。まるで土のような、腐肉のような、炭のような、複雑奇怪な臭気がセイギの鼻を襲う。しかし、それも気にした様子を見せずにセイギはその壺の中の頂点に鎮座していた頭骨を抱えあげた。
「ごめん、リズ」
それを胸へと抱え込み、ボソリと謝罪を告げる。それは赦しを求めたものではない。救えなかった命に対して自身の非力を、愚かさを詫びているのだ。許して欲しいのではない。むしろ断罪を望んですらいる。
「ごめん、リズ」
再び同じ言葉を囁くと、セイギはリズと五年越しのキスを交わした。
その感触は硬く、かつての柔らかな感覚がまるで嘘であったかのように思える。本来はそこにある筈の下顎さえそこにはなく、未だに壺の中に紛れているという始末。頬を赤らめて恥ずかしがっていた反応を示すこともなく、勝手に口付けたことに対して怒ることもなく、セイギの腕の中にいる存在は物を言わず沈黙を貫き通すだけ。
セイギはそこに現実を見た。
もう笑ってはくれない。もう怒ってもくれない。泣きもしないし照れもしない。拗ねたりしないし呆れもしない。愛を囁けはしないし愛を聞き入れてはくれない。話せない見詰め合えない抱き締められない歩けない繋げない。
――リズはもういない。
「ああああああぁぁぁぁ……」
膝から崩れ落ち、嗚咽に似た声が漏れていく。それはセイギの中に残った喜びも悲しみも、全てを一緒くたに吐き出したように、セイギの尽くが零れていく。
歯を食い縛ろうとして、しかしそれは顎が震えるだけに終わる。声が零れに零れ、セイギの中の何かが失われていく。いや、セイギは既に失ってしまった。最も大切にするべきものを失ってしまった。代わりにセイギを満たしていくのは絶望。暗く昏く底のない闇。明かりの一切射さない深淵。コールタールのように粘つく重い黒。それがセイギの肺を満たし、腸を満たし胃を満たし食道を満たし脳を満たす。
セイギの頬を一条の涙が伝った。当の本人はそれに一切気付いた様子を見せない。
「リズゥ……リズゥ……」
焦点を失った眼差しで虚空を見続け、名前を呼び続けるその動作は、迷子になった子供が両親を探し求めているかのようだった。
――迷子になった【死神】。
それは決してグレンにとって笑えるものではなかった。今までは正気を持って話せていた筈の相手が、話さえ通じない真の化物になってしまったのだから。
理性のない、感情で生きる獣。死んだ人間に執着し、生きるものを蔑ろにする。それはまさに【死神】だ。
「うううううぅぅぅぅぅ……」
獣のように声を上げ続けるセイギ。そこに理性の色はなく、胸に抱いた頭骸骨を慈しむだけ。
グレンはかける言葉を無くし、傍らに佇むだけ。セイギの唸り声だけが周囲に響いていた。
* * *
緩慢な動きながらもセイギが立ち上がり、それにつられるようにグレンは視線を上げる。不安定ながらも歩みを始めたセイギを、グレンは止められなかった。今の【死神】を引き留めることは、あまりにも不安定な行為で恐ろしかったからだ。
緩慢で遅々とした歩み。それは牛歩と呼ぶに相応しい歩みだ。それでもそこには不気味な力強さがあった。何かを成し遂げようとする明確な意志がそこにはあった。
歩いていくセイギの風貌に、時折すれ違う人々は異様さを怖れてセイギの前から飛び退く。それを気にした様子もなくセイギは黙々と歩みを進める。それを遠巻きに人々は奇異の目で噂話を繰り広げていた。
セイギの行き着いた先は城壁、小さな扉の前であった。その扉は小さくも頑丈で、人一人が通るのがやっとと言った大きさだ。それは人目を気にしたようにひっそりと据え付けられていた。当然そこには兵士が着いており、不審な人物を見張っていた。そして当然のようにセイギの容貌は引き留められ得るに値する格好でしかなかった。
「なんだお前は。止まれ」
二人いるうちの片方の門兵がセイギを静止する。その動作を虚ろな目で見返すセイギの動作は、人形そのものと言っても差支えはなかった。その瞳には一切の光は写りこんでおらず、黒の瞳ということもあって全てを飲み込んでしまいそうな深い闇を携えていた。その奇妙な様相に兵士は背筋を凍らせた。
「おい!やめろ!」
グレンの強い静止の声。兵士は別の意味で背筋を凍らせたが、次の瞬間にはその意識も溶けるように消えてなくなった。耳に残ったのはたったの一言。
「――邪魔だ。消えろ」
悪魔の囁きとともに、兵士の身体が瞬時に細切れへと変わり果てた。遠巻きにセイギを眺めていた市井の人々の口から、悲鳴や叫び声が上がる。奇抜なものをサーカスを眺めるように興味本位で見に来ていた筈の黒山の人だかりであったが、平和なはずの日常に突如舞い降りた惨劇に、人々は混乱と恐怖を隠し得ない。
もう一人いた兵士は何が起こったのかを理解できておらず、とにかく目の前にいる人物が危険だと判断したことで剣を向けた。その鋒も兵士の怯えから震えている。
「剣を仕舞え!扉を開けろ!」
グレンの怒声が舞う。兵士はその声に呼応するかのように素早く剣を仕舞い、グレンの指示通りに扉を開いた。思考を停止した脳にグレンの強い指示が飛んだため、兵士の身体は操り人形の如く動いたのだ。それが正しいことなのか、誤っていることなのか、判断する思考は残ってはいなかった。
そんな兵士に一切目を向けず、セイギは淡々と扉をくぐり抜けて城外へと歩き出した。誰もがそれを止めることも出来ず、ただそれを眺めていることしか出来ない。
「……あれは、なんですか」
茫然自失の体で兵士がグレンへと尋ねる。
「あれが【死神】だ。決して『障るな触れるな語るな』、だ」
未だに震えを隠せない兵士に、グレンは悪友の名を使うことでこの場の収集を着けさせるように求めた。まずは他の兵を呼ぶこと。周囲の人間に箝口令を布くこと。兵士の残骸を弔ってやること。それを告げると、兵士はよたよたと頼りない足取りで他の兵士を呼びに歩き出した。到底二つ目の指示は守れないだろうな、そう思いつつ、グレンは兵士から追いかけるべき背中へと視線を移した。
「くそっ、ユールのやつめ。面倒事を押し付けやがって」
グレンは忌々しげにセイギの背中を睨みつけながら、悪友の愚痴を呟いたのだった。
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