61.予期せぬ夢
「気分はどうだ?」
覚醒した意識の中、初めにかけられた言葉はそれだった。
「……別に」
大した意識もなく、なんの感情も抱かないままにそう答える。セイギの枕元に立つグレンは、そんなセイギの態度に気を悪くした様子も見せずに薄く笑う。
「流石は【死神】だな」
そう告げるグレンの言葉は、どこか冷たい響きを内包していた。その刺すように鋭い言葉にセイギが視線を上げてグレンの顔を窺えば、グレンは何とでもないかのような表情でとぼけたように微笑した。どう反応していいものかセイギは言いあぐね、結局は何も呟くこともなく口を閉ざした。
「昨日の賊は捕らえて処分した」
何も語らないセイギに呼びかけるようにグレンは語りかける。
「なんでも【死神】のことを聞きつけた貴族の放ったネズミだったみたいでね」
なんの感情も見て取ることは出来ない。グレンは淡々と言葉を告げるだけで、そのことにセイギは若干の怯えを感じていた。『処分』とグレンは語った。それがどういった意味を含んでいるのか、わからないほど子供でも純粋でもなかった。そのことに気がついたのか、グレンはセイギの表情を舐めるようにして見下している。
「【死神】くん」
グレンはセイギをそう呼ぶ。それにセイギは密かに反発心を覚えながら、けれど名前を呼ばれはしたくなくて自身の名前を告げることはなかった。
「私を批難するのか?」
詰問されるような口調に、セイギは一瞬たじろいだ。
「……自分が化物で、どんなことをしたのか自覚はあるのか?」
クイ、と顎をしゃくるようにしてグレンはセイギの身体を指す。それが何を示しているのか、理解出来ていないセイギは訝しみながらも自身の身体を見つめた。
「……え?」
昨日今日とここ数日違和感に苛まれていた筈の自身の身体は、腕も足も若干短くなっており、慌てて触れてみれば顎に生え揃っていた髭さえもなくなっている。一切の力の入れようのなかった筈の筋肉も一定の力強さの籠った張りを取り戻し、念じた通りの動きをこなす。――セイギは五年前の筈の姿を取り戻していた。
「これは……」
セイギはその事実に愕然とした。五年も眠っていたという時間の経過がまるで夢であったかのように、セイギの肉体は思い描いていたものとまったく同一であった。
夢だった、そう言い切れるのならばそうしてしまいたいような現象であるが、それは黙って見逃せるほど軽い問題ではなかった。魔法、あるいは錯覚。そんな風に割り切れたのならばどんなに良かったことか。
これは人間として、生物として誤っている。時間を遡行するなど、あるはずがない。あってはならないのだ。
「君は忘れているみたいだが、君は死んでも生き返る。これがどういうことか分かるか?」
グレンが問いかけた。小学生に答えを聞く教師のようであった。止まった思考でグレンの顔を見つめていたセイギは、ゆっくりと顔を左右に振る。そんなセイギの顔を覗き込むようにしてグレンは顔を近づけ、囁く。
「お前は危険だ――化物」
今までの調子が嘘であるかのようにひどく冷めた声で、グレンが言う。その言葉、感情に思わずセイギは背筋を凍らせた。――化物。こいつは本気で俺のことをそう思っている。その事実が、セイギをひどく困惑させた。
その一瞬のやり取りが嘘であったかのように、グレンは表情を一瞬で繕って微笑を浮かべる。
「そういうわけで、君は国が管理することになった」
「え?」
「国が保有する戦力、ということだよ」
「ちょっと待ってくれ!」
「ん?」
「それってどういう、え、国?」
「落ち着きなさい」
苦笑するようにグレンはセイギに言う。慌てる子供をあやすような態度ではあったが、セイギはその僅かな怒りのおかげか、先ほどよりも随分冷静さを取り戻した。
「……悪い」
「別に構わない。わかりやすく説明すると、君の力は膨大だ。それこそ、国を滅ぼしうるほどだ」
「国を……」
「そうだ、国だ。そしてこの国は周囲を国に囲まれている」
「ああ、うん」
「知らないのか?……まあいい。君の力は他国に対する牽制として使わせてもらう」
「……牽制?」
「今は大した戦争等は起こってはいないが、いつかは必ず戦争が起きる。その前に、こちらには【死神】という切り札があることを誇示しなくてはならなくてね」
思いがけない話にセイギの頭は混乱を極める。いつの間にか身についていたという力が、国と国の存亡をかけた戦いの切り札とされていたのだ。
膨大な力――そう言われても、記憶が混乱している今の状況では、それは納得できない。かつてのことを思い出そうとすれば、僅かに血の赤が噴出していることを思い出して頭痛と吐き気に見舞われた。
「……うっ!」
素早く口を抑えて吐き気を堪える。胃から食堂へとこみ上げる何かに侵食されるような気色の悪い感覚を味わう。記憶がそれを辿ることを拒絶している。これは触れてはいけないものだ。けれどそれは本当じゃない。その奥にある何か。その何かに触れてしまえば、――セイギは容易く壊れる。
吐き気を必死に堪えているセイギを見つめるグレンの顔は、少しばかり複雑であった。けれどその感情を一瞬で切り捨てると、体調の戻っていないセイギに実の詰まった話をしたところで意味がないと冷静に判断し、ここで話を切り上げることを決めた。
「それじゃあ私はここで失礼するよ」
スッとグレンは身を退くと、踵を返した。その動作に共通点を見つけたのか、普段の生活の中で聞きなれたノックの音が聞こえないことにふと気がついた。
軽い気持ちで、このままの空気でいることが嫌で、そのことを尋ねた。
「……そう言えばあのメイドの人は?」
セイギに呼び止められる形で立ち止まったグレンは、その言葉に若干眉をひそめ、思案し始めた。訝しんだように歪めた表情は険しく、セイギの言わんとしていることが何なのかを理解できていないようであった。その表情もふと忘れていたことを思い出したように明るいものへと変わる。そして何事もないかのように口を開き、言った。
「ああ、あの【奴隷】のメイドなら――死んだよ」
ついにセイギの思考が、完全に停止した。




