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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
斯くも優しく厳しい世界
60/104

60.良い夢を

おかげさまで3万PV突破でございます。

ありがとうございます。

 セイギの屈辱の日々は続いていた。まるで人形、あるいは生まれたての赤ん坊のようにメイドに弄ばれる日々。蹂躙されていく日々。時には流されてしまいそうな感覚に侵されつつ、それでもセイギは抗うことを止めなかった。


「ぐぬぬ……」

「……」


 セイギはメイドの腕を掴んでいた。しかし、当然そこには男女のそれも、親愛の想いもない。そこにあるのはたった一つの(おとこ)矜持(プライド)だけ。今にも消え行きそうな、ひどく儚い心だけ。


「ぐおおおおお!」

「……」


 セイギにとっては死活問題だ。だが、老女と必死に取っ組み合いをしている青年の姿を鑑みれば、如何にそれが滑稽に写るかは自明の理だ。

 まるでパントマイムかコントのような寸劇を繰り返した後、先に折れたのはやはりセイギであった。

『体力の限界』とどこかの巨体な人物が言ってのけたのと同様に、セイギは既に精も根も尽き果てていた。

 そのままセイギは、今日も今日とて服を脱がされて入浴替わりの清拭を施される。当然の如く局部もモロに見られるわけなのだが、幸か不幸か、セイギの息子は元気もなく屍のように項垂れるだけであった。勿論その部位も清掃されるわけではあるのだが、一心不乱に念仏を唱えたり素数を数えることでどうにかその誘惑にも耐え切った。


「……」

「……」


 気不味い空気が部屋を埋める。とは言ってもメイドにとっては話さないというだけで、別段気にした様子をしているわけでもない。ある意味、これが病院にも似た対応なのかと思う。事務的にこなしてくれるからこそ、そこまで思い煩わなくともいいのかとも納得はしていた。

 だからこそ時折訪れるこの無言の重圧が、そんな空気の空間が、一廉ひとかどの不安を抱えたセイギを苛む。


「なぁ、あんた」

「……」


 半分は羞恥心から、半分は抱えた孤独から逃れたいがために、セイギがメイドへと語りかけた。当然のように反応はなく、けれどセイギはその対応を無視するかのように気にすることもなく話を続ける。


「あんたの名前、なんて言うの?」

「……私に名前は、ありません」

「……え?」

「メイド、あるいは【奴隷】とお呼びください」


 セイギは頭をガツンと殴られたように鼻白んだ。メイドはその表情に申し訳なさも怒りも感じてはいない様子で、まるで用事は済んだとでも言いたげに無言でセイギの顔を伺っていた。

 軽いつもりで始めた会話。しかし、それは全く意図しない答えを以てセイギへと返ってきた。――奴隷。言葉だけなら知っている。日本国内では一般の生活を送っているだけでは一生巡り遭うことのない存在。人を金銭で売り買いし、まるで所有物のように人間を扱う行為。その結果が今、セイギの目の前に立っているのだという。


「奴隷って……」

「……」


 言わんとする言葉を曖昧にぼかし、それとなくメイドへと投げかける。けれどメイドはセイギの言わんとする言葉の意味を理解しかねているのか、それとも分かっていながら誤魔化しているのか、その言葉に対して返答をしない。セイギ自身もどのような言葉を続けていいのかわからなくなり、視線と同じように言葉も地へと落ちた。


「それでは失礼いたします」


 不意に終わりを迎えた会話に気を使うこともなく、いつの間に配膳を終えたのか、用は済んだとばかりにメイドは踵を返す。まるで始めからそんな空気は存在していなかったように平常通りに。

 後悔することもなく、躊躇うこともなく。恐れることもなければ怯えることもない。そんな風に。


 何故かセイギは、その背中に向かって言葉を投げかけていた。


「あんたは、幸せなのか?」

「私は――【奴隷】でございますから」


 セイギに背中を向けているせいでその表情は窺い知ることが出来ない。肩が揺れる様子もなく、声が震えることもない。ただ【称号それ】が現実なのだと、受け入れているように。



 メイドは能面のような表情で、セイギにお辞儀をして退室した。



 * * *



 うつらうつらと、眠気がセイギを襲っていた。


『――奴隷でございますから』


 数時間前のメイドの言葉が、何度も頭の中をリフレインしていた。人間としての尊厳を奪われ、道具のように扱われる。そしてその窮屈な生活に一切の疑問を抱くこともなく、日々を淡々と作業のように過ごしている。

 そんな人間がいるだなんて、セイギは思いもしたことはなかった。日々を自身の意思で暮らし、思うように動いて好きなことをする。親や社会など、窮屈なことはあれど、基本的には自由に生きることを当然の如く受け止めていた。


 既にセイギは思考の海に浚われ、今では何を考えているのかさえもあやふやであった。

 脳裏にはメイド、グレン、かつての生活、父、母。そんなとりとめのないものが押し寄せては思考の片隅へと消える。

 そんな中でもただ一つ、金と翡翠に彩られた美しい何かが記憶の片隅をぎる。それがなんだったのかを必死に思い出そうとして手を伸ばそうとするが、それはスルリと手のひらから溢れてしまう。何度も掴めない幻影に焦りが募る。部屋の中にその姿を見た気がして、それに向かって手を伸ばした。遊ぶようにゆらゆらと揺れるそれは、まるでセイギを誘っているかのように指先で揺らめいては逃げていく。


 バン、という派手な音を立てて、扉が一気に開かれた。その音に呼応するかのように影は一瞬にして掻き消えた。熱病のようにだった思考は急激に冷める。無理やり覚醒させられた意識で、セイギは靄がかかったような思考回路で目の前の光景を眺めていた。


 黒い装束を身に纏った一つの影。顔には包帯にも似た布が幾重にも縛るように巻かれ、その相貌を窺い知ることは出来ない。それでもその蒼玉の双眸から、射抜くような鋭い視線をはっきりと見て取れ、その者が決して好意的な人物ではないことが伺い知れた。その姿形はこの白の部屋にとって、それは明らかな異物にしか映らない。

 手に光るそれは決してなまくらとは言えず、鋭利でシャープなシルエットを持った刃物である。それでセイギは目の前に立つ人物の意図を悟った。しかし、以前と同じように怯えを発することはない。腹にそれを突き立てられる感覚も未だに覚えている。けれど感覚の一切が麻痺してしまったように恐怖を覚えることもなければ焦りの感覚を覚えることもない。第一、現在の状況からセイギには逃げ出す気力さえ残ってはいなかった。


 侵入者は素早くセイギの元へと駆け寄り、その凶器を振り上げた。セイギはその刃物の視線を追うこともなく、ただその双眸を眺めていた。そこにあるのは憎悪と――恐怖。セイギを見つめる視線は人を見るような目ではなく、化物を目の前にしたものであるかのようだった。

 そんなことは、セイギにとってどうでも良かった。今にも訪れるそれを、死の苦痛を、今か今かと待ち構えていた。そのセイギの望みを叶えるかのように、銀が翻った。


 これであのの元へ行けるのかな――金と翡翠の幻影の狭間でそんなことを思いながら、心臓を貫かれる激痛を噛み締めて堪え、静かに意識を手放した。

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