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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
世界の在り方
54/104

54.泡沫、あるいは邯鄲の夢

お待たせいたしました。

あと二三話で一部完結予定です。

 セイギが街に辿り着くまでの道のりは遠くそして短かった。

 躍り上がる心はその脈動を隠すこともせず早鐘を打たせる。昨日は眠れぬほど、とは行かないがかなり緊張していたのも確かだ。そのせいか朝の目覚めは悪く、起きた頃には既にリズは準備を終えていた。同時にその装いを見たセイギは、デートの約束をしたことを心の中でガッツポーズしていた。その光景を思い出してにやけるセイギは傍目からすれば不気味とも言えるものだが、当の本人は全くそれに気付いた様子もない。そもそも、セイギの傍にいる人間は門兵ただ二人。そのにやけ面を咎められて拘束されることがなかったことは行幸と言っても差し障りないだろう。

 曰く、『色ボケのクソガキに構っている暇はない』というのも、苛ついた表情からその内心が伺えるというものだ。


 待ち合わせは噴水の(ほとり)。そこに腰を下ろして途切れることなく湖面でたゆたう水の流れを伺う少女が一人。身に纏うのは真っ白なワンピース。薄いピンクの台座に翡翠色の宝石があしらわれたバレッタが少女のブロンドの一部をくくっている。派手な装飾はないものの、その姿は人目を惹き付ける。完全に無垢なその装いは話し掛けることでさえ汚してしまうようで、語りかけることさえも躊躇わせる雰囲気を纏っている。そして純白の衣服に金の絹が合わさる。それはまるで切り取られた絵画のようにカチリと当てはまる。その中で黄金の間から(ささ)やかに見える翡翠は髪留めに負けじと宝石のように煌めき美を完成させる。そして憂慮にも似た表情を浮かべるその様子はまるで深窓の令嬢だ。


 不意に少女が顔を上げ、破顔した。それはまるで雲間から太陽が顔を出したように急速に世界を明るく塗り替える。先程までが深窓の令嬢だったのに対し、今の少女は歓喜に浸る幼子のようであった。

 純粋なその笑顔は見るものを魅了し、更には笑顔を周囲に伝播する力が籠められていた。


「セイギっ!」


 その一言で、セイギは極上の幸福を実感する。


「"待たせた?"」

「"ううん、今来たとこ"」


 少女に対する独占欲を遺憾なく発揮しつつ、自分を除くすべてに優越感を覚えながらセイギは決められていた"合言葉"を口に出す。その"合言葉"にリズも応じる。

 それは二人で取り決めたやり取り。小説をなぞるように、不器用な二人はそれぞれの役柄を演じる。今、二人は憧れたその姿をようやく演じることが出来るのだ。


 その滑稽な姿に、二人同時に笑いだす。

 自身が役どころにはまっていないことを認識した二人は、物語という外枠を捨てて各々のペースを取り戻す。


「なんか変だね」

「そうだな」

「それじゃあどうしよっか」

「俺が考えてきたから――」


 そう言ってセイギはリズに起立を求め、リズはその言葉に従い立ち上がる。それと同時に下に敷いていたハンカチを(はた)くと丁寧に畳みポケットへとそれをしまった。そんな些細な動作でもセイギにとってはとても新鮮で目新しい動作であった。

 そのリズの手が空いたのを見計らい、セイギはリズの手を握る。既に顔はリズから離れ、恐らく向かわんとしてるだろう方向へと目が向けられている。それは出来うる限り然り気無い行為のつもりであったが、勿論リズはそれを然り気無い動作とは感じずに驚いた表情を見せた。それでも直ぐに頬を染め、逆らうこともなくセイギの為すがままになる。文句一つもなく、ただ導かれるように歩く。二人の間に会話はなく、けれどもそれは気まずい空気ではない。そうしていることがまるで当然のように二人共に歩く。そしてリズには見えていなかったが、セイギの頬も同じように赤く染まっていたのだった。



 * * *



 普段では入れないような店舗にリズの興奮も一入(ひとしお)であった。


 現在、二人は喫茶店で一息ついていた。



 見慣れない青果をやいのやいのと批評したり、珍しい調理法の料理に舌鼓を打つなどしながら軽く食べ歩いたりした後は服飾を見て回った。それは勿論高級品で、見た目も良ければ手触りも断然異なっていた。当然手は届かないものの、見ているだけでも十二分に心踊るものがあった。いつかここにある服をリズにプレゼントしよう、セイギはそうひっそりと誓った。


 宝飾品を見る限りでは現代日本と変わらずに高級品ばかりであった。特に魔力の付与された宝飾品と言うものがとみに高級品であった。魔力の付与された宝飾品と言うのは、曰く幸運になる、運動神経が増す、魔力が上がる、といういかにも胡散臭くもありふれたようなものばかりだった。

 それを後に二人で笑いあったことは当然秘密の話である。


 次いでフギーレースなるものを体験した。フギーとは言い換えてしまえば犬だ。つまり二人が体験したのはドッグレースだ。しかしこのフギー、犬のおおよそ1.2倍ほどの速さで駆けるため、臨場感があり非常に盛り上がる。

 そして気になるレースの結果はと言うと、セイギの賭けたフギーは生憎の最下位。リズが可愛いからと賭けた大穴がまさかの大金星でなんと100倍にも跳ね上がった。そもそも賭けた金額は多くはなかったが、それでも10鉄貨が20銅貨に化けたことは非常に大きい。

 本来のリズであれば節制を徹底したはずだが、現在のリズは図らずとも羽目を外している状態にあった。通常の通りであればリズは指定の店舗に寄る以外は許可されていない。しかし今日は初めてのデートと言うこともあってこっそりとその禁を破ったのだ。

 初めは緊張していた。見咎められてしまったら、追い出されてしまったら、罰則を与えられてしまったら。そんな不安がリズを苛ませていた。だがそんな不安も初めて見る景色、初めてする行為、初めて触れる笑顔。そうしたものの前にすべては吹き飛んでしまった。好奇心が押さえきれない。たった一度だけ、そう誓った最初で最後の街でのデート。

 それならば使ってしまおう、とリズが思ってしまうのも仕方のないことであり、ある意味当然の帰結だった。それはつまり――悪銭身に付かず、ということだ。



「可愛かったね」

「そうか?そんなに可愛くなかったけどなぁ」


 ハーブティーの独特な香りを感じながら、二人は先程の熱狂を思い出していた。据え置かれたパイにフォークを伸ばしながらセイギはやや否定的に首を傾げる。


「絶対あのこは可愛かった!」

「んー、俺にはよくわかんねえな」

「セイギ、変」

「いや、リズの方が変だろ」


 さて、ここでそのフギーの話をさせて頂くと、体長は1.7メートルと言ったところ。簡単に言うと世界の男性平均身長やや低めとも言うサイズ。決して小さくはない。そして犬の1.2倍で走るという時点でその体躯がどうなっているのか考えるだに難しくない。

 走りに重きを置いている以上、少なくともそれは肉食獣であることは間違いない。つまり、フギーとは凶悪な爪を(こしら)えて鋭い牙を携えた生き物なのだ。それをどのように解釈するのは人次第だ。けれど、それを可愛いと思う感性もまた物珍しいものであるのは確かだ。

 リズの感性を否定する訳ではないが、セイギの感性を批難するのは流石に酷というものだろう。


「変じゃないよ」

「そうか?」

「そうよ」

「じゃあ仕方ないな」


 適当に流す。別にリズの批判をしたいわけでもないし、自分の感性の主張をしたいわけでもない。単なる軽口の応酬である。喧嘩してしまっては元も子もないわけで、ある程度のところで引っ込めてしまうくらいが丁度いい。

 昔の二人の関係であったらようやく見つけた会話の種、無為に食い付いては手放そうとせずにお互いを傷付けるだけの結果に終わっていただろう。

 しかし今の二人には心の余裕がある。互いの距離、心の境界線を測ることが出来る。近すぎない、遠すぎない。


「このパイ美味しいね」

「うん、美味い」


 それ故リズもあっさりとその流れに乗れるし道を間違えたりはしない。リズはセイギが少し頑固なのを知っているし、そう簡単に意見を変えないことを解っている。けれど全てを否定するのではなく柔軟に受け入れてくれることも体験して理解している。それをはまるで堅い芯がある一方でよく(しな)い、周りのあらゆるものを吸い取っては栄養に変えてしまう植物のようであった。それがリズにとっては非常に好ましくそしてありがたい。


 他愛のない会話はそれでも盛り上がるもので、軽く一刻は過ぎ去る。時折店員の視線が二人に向いていることに気が付いたため、二人はようやく根の張った重い腰を上げたのだった。



 喫茶店を出た二人は時計台からの眺望を楽しみ、河のせせらぎと反射する橋を眺め、図書館の静謐な空気で本の香りを味わった。その一つ一つは決して他愛のないものであって、それでいてかけがえのないものだ。

 そんな風に過ごして気付いてみれば時は既に夕暮れ。もう間もなく一日が終わりを告げようとしていた。

 今日の二人は一日中会話をしていた記憶しかない。二人で見た光景。二人で聞いた音。二人で経験した動作。それらを語り、共有し、血となり肉となり心に刻む。至上の料理のように何度も反芻し、幾度も味わう。

 それはまさに夏の夜の夢の如く、泡沫の夢のようであった。二人ともに知っている。この先こうした経験をそう出来ないことを。今日でさえ相当のリスクを犯していることを重々承知している。もしかすると二度とこうした経験をすることが出来ないとも考えていた。もしも現在の光景を見咎められでもすれば、二人の安寧とした生活さえも、吹けば消えてしまう風前の灯火同然に掻き消されてしまうだろう。

 陽光が弱くなったように二人の心も寂寥感が大半を占める。その中には去り行く一日に対して惜情の念が籠っていたのかもしれない。気付けば二人の歩みは非常に緩いものに変わっていた。


「ねえセイギ」

「なんだ?」

「私、今日のこと、絶対忘れないね」

「……俺もだ」


 セイギは意識を込めてリズの手を優しく、そしてしっかりと握り直した。

 これから先、人が味わうであろう楽しいことも嬉しいことも奪われて制限されて生きていく。息苦しく苦難が多い生活を歩み続けることになるだろう。――不便で隔絶された閉じた人生。



 ――それでも二人ならば。



 ――どんな人生でも歩けるような気がして。




 二人は家路に着く。二人連れ添って歩き出す。

 ゆっくりゆっくりと、プロムナードを刻みながら。


 その先に、黒い影が落ちていることも知らず。

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