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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
世界の在り方
52/104

52.君が目を瞑ってと言ったから

 ――城下町ヴァレンタ


 そこはアールニール王国の膝元。

 一年中温暖な気候で青果の生産が盛んである。基本的には雨季と温暖季があるが、特筆した変化があるわけでは無いため、季節を感じると言うことは非常に難しいことかもしれない。

 表情豊かな日本の四季を知っている場合、その変化のない季節を見極めることはとみに困難なことであった。


 平地の内陸であるために、資産に優れない国家であったが、その住み良さから人材を集めることに困難の一つもなかった。それ故に物品の流通は豊かであり、街道が整備され資金が巡る。物資が多岐に渡り収集されることで新たな物品や食料などが開発・生産されることも珍しくはない。



 そんな国の近隣に住んでいながら、その恩恵に(あやか)ることの出来ない二人の青年少女がいた。


 それは勿論セイギとリズのことである。



 しかし、二人はそれを不快にも不便に感じたことはない。無ければ無いでなんとかなるもので、割りと原始的な様子で日々を過ごしていた。



「セイギー」

「んー?」

「ビクスンの皮剥いどいてー」

「おー」


 日本で恵まれた生活を送っていたセイギにとっては、到底想像もし得なかった生活スタイルだ。料理も(もっぱ)ら母親が行うもので、セイギは気まぐれに手遊び程度に包丁を握る程度だった。

 刃物の扱いも図工や技術の授業でそこはかとなく使用する程度で、当然生き物の皮を剥ぐという行為をしたことはない。そもそも現代社会においても、それを体験することはなかなかに稀有なものではあるが。


 とまれ日々の生活からセイギは著しく成長していた。いや、むしろ進化したと言っても過言ではないであろう。必要に迫られてその性質を変化させると言った意味では、確かに進化したと言い換えても問題はないのではないだろうか。


 既に血抜きと内臓の取り出しは済ませてある。なるべくすぐに済ませないと内臓が腐り始め、腐臭が肉や皮に移ってしまうのだ。

 ビクスンの場合、速さを追求した肉食獣ということもあって比較的脂肪は少ない。その為皮剥ぎをすぐに行える。この度のビクスンはリズが狩ってきたもので、さっくりと準備を終わらせていたのだ。


 俊敏な生き物ということもあって基本的に筋肉が多くため、筋が多くあまり食用には向いていない。しかし、それも長時間煮込んだりすることで柔らかくなり、食すことができるようになる。

 内臓はあまり美味しくなく、寄生虫などの心配もあるために、リズは主に肥料として使っている。命を奪う以上、それに感謝して最後まで面倒を見なければならない。感謝は決して捧げない。二人共に神に感謝を捧げることはしたくもなければ、動物に感謝することもおこがましく感じている。命を奪った上で感謝するとはおかしくも感じていた。故に二人がするのは謝罪。ごめんなさい、いただきます、ごちそうさまでした。謝辞は決して忘れない。忘れられない立場にいる。



「セイギー」

「ん?」


 リズからの呼びかけにセイギは皮を剥ぐ作業を中断し、リズの方へと視線をやった。

 視線の先には翡翠の目をクリクリとさせてセイギを見て微笑んでいるリズの姿があった。


「呼んだだけー」

「っ!?」


 何故かとても嬉しそうにしながらリズはそう言った。その表情、行動が意味するものを全く考えていなかったのだが、それは十二分に破壊力を含んでいてセイギのハートを打ち抜くのだった。

 赤面するセイギ。リズから顔を逸らし、その顔色を窺われないように隠す。そこまで含め、リズはその所作を見て益々笑みを深める。


「セイギー」

「……なんだよ」


 先ほどと違い、セイギの態度はぶっきらぼうだ。まあ、所謂照れ隠しとでも言う奴であろう。そんな態度はリズに少しばかり、イタズラを仕掛けたい気分にさせた。


「大好き」

「っ!?」


 目を見開いてリズの方へと振り返るセイギ。そんなセイギの慌てようにリズは笑いを堪えきれず、つい吹き出してしまった。

 けれどリズのそんな態度には目もくれず、リズをじっと見つめるセイギの視線がリズの瞳を捉えて離さない。その視線に射抜かれて、リズはその笑顔を引きつらせる。


「ね、ねえセイギ……?」

「……」


 無言のセイギの圧力に、リズは黙らざるを得ない。次第にその視線が重くなっているような気がして、リズは思わず視線を背けた。その横顔に未だに視線が突き刺さっているのを感じて次第に頬が紅潮していくのがありありと分かった。


「ぷっ」


 セイギから笑い声が溢れる。リズ同様、セイギもリズのことをからかっていたのだ。これもリズへの意趣返しであったのだ。とは言えど、セイギ自身の頬も紅潮している時点で半分は捨て身の行動ではあったのが見て取れる。



 セイギが笑いながらリズの表情を窺うと、少しリズはむくれた表情をしていた。


「セイギ、ちょっとそこに目を瞑って座りなさい」


 リズがセイギに冷たく言いのける。怒っているわけではないが、どことなく怒気を孕んだ声がセイギを捉えた。その声にセイギは焦りを隠し得なかった。笑って楽しんでいた感情が一息に奥へ引っ込み、反省の色を浮かべた感情が顔を出す。


(やばっ、やりすぎた?)


 大人しくその場にすごすごと正座をして目を瞑るセイギ。初めて見る正座にリズは若干目を丸くしていたのだが、セイギは目を瞑っていたことでその表情を見ることは叶わなかった。


 目を瞑ったことで五感のうちの一つが途絶え、その代わりの感覚が研ぎ澄まされるような感覚をセイギは覚えていた。そのうちの聴覚から得られるイメージで言えば、リズが部屋のうちを歩いているような感覚がしていた。なにか道具を準備しているのだろうか、セイギはそう検討をつけていた。

 ようやくその様子もなくなり、セイギの前にリズが立ちはだかっていることが分かった。次に何が起こるのか緊張していたのだが、リズが両腕を掲げている様子が感じ取ったことで次に来たる衝撃に備え、セイギは首を竦めて待ち構えた。けれど予期した衝撃がセイギを襲うことはなく、逆に優しげな様子でその首に何かを掛けられるのを感じた。その感触にセイギはすぐに目を開き、それが何なのかを確かめる。


 首に掛けられていたのはネックレス状の装飾品。無骨な長方形の金属のプレートの中心には合計四つの渦が複雑に絡まるように描かれ、その下にはリズとセイギの名が刻まれている。


「これは……」

「プレゼント!」


 どこか嬉しそうに、けれど羞恥に染まるその表情はリズの心情を明確に表していた。


「前にバレット貰ったから、そのお返し」

「あ、ありがとう」


 照れた様子のリズにセイギも何故か照れた様子で感謝を告げる。そのまま立ち上がろうとしたセイギだったが、それは次のリズの言葉に押し止められた。


「ちょっと、まだ座ってて!」

「へ?」


 完全に中腰の状態で静止する。目をぱちくりとさせ、不思議そうにリズを見やるセイギ。そんなセイギの視線に答えることなく、リズは言葉を続ける。


「もう一回、座って目を瞑ってて!」

「お、おお」


 リズの強い言葉に思わず即時に正座に戻るセイギ。

 強く瞑った視界の奥に、頬を赤らめたリズが映る。今はそのリズが、部屋を徘徊することもなくセイギの前に立っている情景が目に浮かぶ。

 深呼吸が耳に届く。そのリズの息遣いにセイギも緊張を高めていく。先ほどの緊張とは違った緊張がセイギを占める。先程は叩かれることを覚悟した緊張であったが、今度は何をされるのか全く予想できない緊張だった。


 一刻、二刻、三刻。

 どれ程度時間が経ったのかセイギには全くわからなくなった。それは三十秒とも、一時間とも取れる時間だった。緊張が緊張を呼び起こす、まさにループの狭間はざまにいた。


 再びリズが大きく深呼吸をすると同時に、その状況は大きく変化した。

 セイギが感じ取ったのはセイギの顔に何かが接近する感覚だった。それに対して強く目を閉じて何が来てもいいように準備を整えた。


「あいたっ!」

「きゃっ!」


 そこには二人共に鼻を押さえ、目の端から涙を零す姿があった。それは二人の鼻が正面から強くぶつかった結果だった。


「……リズ?」


 鼻をさするようにしながら少し睨みつけるように見る。その視線にリズはバツが悪そうに視線を反らす。そのリズも鼻の頭を摩って見てみないふりを続ける。


「……リズ?」


 けれどセイギはその追随の手を緩めない。立ち上がってリズの手を引く。


「ちょっ……」


 正面にリズを据える。勿論視線はリズの瞳を正面から射抜くようにして捉える。


「セイギぃ……」


 弱った子犬のように潤んだ瞳でセイギを見上げるリズ。そんなリズにセイギの胸がキュンとしたのはごく秘密だ。


「目、瞑って」


 これはちょっとした意趣返し。その意味を悟ってリズは息が詰まりそうな感覚を覚えていた。

 そして先程まで自身がしようとしていたことを思い出して、更に先程の失敗をも思い出して耳まで真っ赤に染まる。


「無理無理無理無理!」


 全力でセイギを拒絶するリズだが、セイギはそれにめげることもない。


「ホントに?」

「無理無理!」

「ホントに?」

「無理……」

「ホントに?」

「……無理」

「ホントに?」

「……」


 繰り返される問答に、ついに反抗的な言葉を喋れなくなったリズを見てセイギは確信した。


「目、瞑って」


 その曲げることのない度重なる要望についにリズは折れた。セイギの言うまま素直に目を瞑り、少し緊張した面持ちで体全身を固くしていた。今にも罰を与えられそうな態度を取っているリズを正面に、セイギは肩を落とさざるを得ない。これからすることは決してそんな野蛮なことではないのだから。

 そんなリズの緊張を和らげようと、セイギが優しくリズの頭を撫でる。そんな優しい手つきに安心したのか、リズは相好を崩した猫になっていた。

 緊張が溶けたのか、リズは気になっていたことを一言、セイギに告げる。


「優しくして、ね?」


 けれどその一言はセイギを笑わせる。無遠慮なそのセイギの態度にリズは目を開いてムッとした顔で睨みつけた。


「ちょっとセイギ」

「ごめんごめん」

「……もう!」

「鼻はぶつけないように気をつけるからさ」

「バカ!」


 プンプン、と音を立てるようにして怒りを表すリズにセイギは降参の手を上げる。


「本当にごめんってば」

「……もうふざけない?」

「ふざけないよ」

「もう笑わない?」

「笑わないよ」

「優しくしてくれる」

「優しくするよ」

「……じゃあ許す」


 そう言ってリズは再び目を瞑る。先程とは違って緊張の色は見えず、むしろそれを待ち焦がれているようにも見える。その顔にセイギがゆっくりと顔を近づけていく。


(睫毛、長いな……)


 その・・直前、セイギが思ったのはそんなことだった。




 その日は二人にとっての記念日。二人が出会って丁度一年目の日のことだった。

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