5.神と竜と
覚醒直前の世界との境界線が曖昧な最中。体を揺さぶられる心地がする。
眠気と相まって一瞬夢ではないかと勘違いを起こしそうになるがセイギは確かに起床を促されていた。
セイギは気付かれないようにうっすらと目を開く。睡眠を妨げんとする正体を見極めようという魂胆。簡単に言えば『誰だよ寝かせろよ』と言うことになる。
始めに視界に入ったのは黄金だった。サラサラと絹に勝るとも劣らないそれ。部屋の片隅を見つめる犬猫のように何かに興味を抱いたような視線をどこかへ向けている美少女。
急激に意識が覚醒していく中、リズの視線を辿ってみる。
その先は恐らくベッドの上、セイギの足側。
健気なことに主人よりも随分早起きで、大きく自己を主張している息子の姿があった。
「どぅわ!!??」
跳ね起きるセイギ。そんな大きな声を上げるセイギにリズは大層驚いた様子の顔でセイギの顔を見つめる。見つめ合うこと数瞬、自身が何をしていたのか思い出したようにリズは頬を真っ赤に染めてそっぽを向いた。
「"料理"」
一言だけ言うとリズはそそくさと一人食卓に着いた。
恥じらうタイミングを逃したセイギは、立ち上がったままの姿勢で暫く硬直していた。
***
そんな目覚めを体験したせいか、食事風景は昨日とは打って変わって静かなものだ。
それに加えリズの視線が時折セイギの様子をチラチラと窺うものだからセイギにとってはムズ痒くて仕方がなかった。そして何かを思い出したかのようにテーブルを眺めいるリズ。その視線の延長はどう見てもセイギの大事な場所なのだ。リズは何度も慌てたように首を左右に振る動作をしていた。
そんなこんなで食事を終えた二人であったが、肝心の料理の味はさっぱりと覚えていなかった。
今リズは食器を洗っている最中だった。時折首を左右に振っているのは恐らく気のせいであろう。というかセイギの気のせいだと言うことにした。
一息吐いたお陰か、セイギは大分落ち着いた。
(見られたのはしょうがない。だって男の子だもん)
むしろ開き直ってみた。
洗い物を終えたリズがセイギの前に戻ってくると椅子に座った。そしてやはりと言うべきかまたしても頬を真っ赤に染めた。つられてセイギの頬も紅潮する。セイギの言う落ち着きとは大した落ち着き具合だったらしい。
一時間もそうしていたか、リズはわざとらしく立ち上がると大きく声を上げた。
それはまだセイギの聞いたことのない単語であったがすぐにそれが何を意味していたのか理解することとなった。
立ち上がったリズが取り出したのは一冊の本だった。リズはそれをセイギの前に置いた。リズの目がそれを読めと訴えかけていた。承知したとセイギは頷くと本を手に取って目を通し始めた。
本は絵本だった。絵本と言うジャンルの本を読むのはいかほどぶりか、軽く思い出してもみるが小学校の低学年ほどが最後になるらしかった。
この年齢になって絵本と戯れることになろうとは思ってもみなかったセイギは、少しばかり愕然とした。しかしそれも必要なことだと割りきり本の頁を繰る。いつの間に側に歩み寄ったのか、リズはセイギの傍らに立つと絵本を朗読し始めた。
絵本の文字も当然ながら読めないセイギにとってそれはとてもありがたいことだった。
発音が不明な場所は聞き直し、単語の意味が分からなければ教えてもらう。そんなセイギのためにリズは何度も読み上げたり図で示したりジェスチャーを交えたりと説明を繰り返した。
辿々しくも理解した結果によると、これは神様と竜の話らしかった。
竜と言えば非常に強大な存在として有名であるが、記録にも残らないほど遥か昔、竜と言うのは食物連鎖の最下層に属するものであった。今とは違いごくごく小さな体を持ち、強い力や高い魔力、広い知識も持たないひ弱な存在だった。
そんな竜の存在を憐れんだ神様は竜に【双無き者】の称号を与えた。
そうして以来竜は食物連鎖の頂点に達し、以後の歴史にも名を残す程の存在となったのだ。その絶対的な力を畏怖や尊敬される象徴となっていると言う。
(つうか神様とかドラゴンとかファンタジー過ぎるだろ)
この時点でセイギはドラゴンが実在する存在だとは思っていなかった。それゆえリズの言うドラゴンの意味を暫くは理解できなかったのだが。理解した今でもそれをただのお伽噺だとしか感じていなかった。
(それに【称号】ってなんだよ)
真面目に取り組んでいた本が実はお伽噺で、それに加え称号等と言うふざけた存在が物語を根底からひっくり返してしまうと言う結末にセイギは納得出来なかった。
「"称号"、"何"」
それゆえにセイギは聞き覚えのある言葉を繋げてリズに問いかける。
それと同時にセイギは後悔した。こんな馬鹿な事に突っ込んでどうするのだと。そしてそんなものを解説されたとしても到底は理解出来るようなものではないだろうと。
しかし、予想に反したようにリズの口は言葉を紡がない。答えあぐねているのかとも思えるがどうもそれは違っているようだ。
リズの顔には影が落ち、どこか苦虫を噛み潰したように苦悶とも取れる表情をしていた。
「リズ?」
セイギに問いかけられたリズはその表情をサッと戻し、何事もなかったかのように説明を始めた。
そんなリズに歯にものが挟まるような心地を感じつつ、セイギは素直にその説明に聞き入った。
曰く、【称号】とは生まれついて与えられるもの。
曰く、【称号】とは絶対なもの。
曰く、【称号】とは不変のもの。
それは絵本には全く記載されていない内容であったが、それを空で読み上げるリズの姿は堂々としたものだった。
それはまるで知っていて当然、とでも決められているようであった。即ち【称号】とは"常識"であると。
セイギはこれに違和感を覚えていた。
リズの語りによるとまるで【称号】が"実在"しているようではないか、と。
――セイギはまだ気付かない。
ここに至ってもなお"異世界"と言う奇抜な発想は生まれない。
――誰もがまだ知らない。
この二人の出会いが、決して世界に望まれていなかったと言うことに。