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セイギノミカタ  作者: 柏木大翔
世界の在り方
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46.伸ばした手

 そんな繕ったような日々が長く続く道理はなかった。


 リズの心に積もり積もった感情は、その行き場を次第になくしてゆく。


 当たり散らすことも、依存することも、嘆き悲しむこともできない。全てが綯い混ぜになった感情は行く先を知らず、(おり)のように散り積もっていく。



 それは些細な切欠だった。


「狩りは俺がやるから。リズは気にしないで」



 特段なんの変哲もない言葉。むしろリズに気を使ってすらいるようであった。



 ――リズが元に戻るまで、俺が頑張ろう。



 そんな感情が伺い知れる。


 普段であれば、そう、なんの意味もなさない言葉だ。少しばかりありがたく、心暖まるような些細なものだ。しかし、それは現状において全く異なる意味を持っていた。



「ねえ?私をバカにして楽しい?」


 返すリズの言葉は酷く冷めたものだった。初めて聞くその怒りの声は、セイギの思考を止めるには十分すぎるほどの破壊力を有していた。


「え?」

「私をバカにして楽しい?って聞いてるの」


 睥睨するその表情は未だかつてセイギの見たことのない新たな一面だった。驚愕を覚えながら、それ以上に戸惑いを隠し得ない。


 確かにセイギはリズの怒りの表情を見たことはあるが、今のそれは怒りとは似ても似付かないものであった。



 そもそもセイギはこれを恐れていたのだ。

 怒りは仕方ない。どう生きようとも、暮らそうとも、反感を買ってしまうことは当然のごとくあるのだ。


 でもそれは違う。



 ――憎悪。



 それは明確な悪意。怒りとは違い、狙い済ました顔で人を傷付ける感情。

 どす黒いコールタールのように粘つく不快感を纏わせる。視界を全て塗り潰すその色は、全てを悪意で染め上げんとする意思に(まみ)れている。



 セイギの視界が赤く、青く、そして黒く染まる。



「どっ、どうしたんだよリズ……」


 (ども)る。震える。言葉を忘れる。

 まるで幼子のように、伸ばした手を振り払われたように。涙を堪えるように、疑いすら出来ないように。

 セイギはそれしか言えなかった。


 悪意は少なくとも確実に、セイギの心を穿っていた。



「私だって好きでこんなことしてる訳じゃない!」


 リズの見せる感情は黒い。

 見たこともないその色はしかし確実にリズのものだった。


「私だって好きで【魔女】なんてやってる訳じゃない!」


 それはリズの心に巣くうもの。偽りない生身の感情。


「こんな【称号】なんてなければ良かった!」



【称号】を、運命を憎む感情。


 そしてそれを享受するしかない日々も、それを容認してくれようとしているセイギも、それを甘受してしまいそうな自身も、その全てが憎らしかった。



 隠していた秘密を思わぬ形で暴露され、長年のコンプレックスを何事もないかのように受け入れられ、あまつさえリズのことを気遣っている。

 リズにとっては喜ばしいことだ。歓喜すべきことだ。望みに望んだ人の温もりだ。



 けれどそれとは相反する感情があった。



 抱いてきた気持ちがまるで無意味であったかのように、それに囚われる自身がまるで矮小な存在であるかのように思えて仕方がなかった。



 それは劣等感だった。



「こんな、こんな【称号】なんて……」


 リズの瞳から全てをかき混ぜた混沌とした感情が流れ落ちる。


「もう、消えてしまいたい……」


 震える肩を抑えようとリズは自身の身体を抱え込む。

 その慟哭はセイギの心に深く突き刺さり、そしてその言葉を奪った。


 肩を抱いてやろうか、叱ってやろうか、それとも共に泣いてしまおうか。

 セイギの頭を複数の選択肢がよぎる。けれどそのどれもが行動に移されることはなく、セイギは呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。そう出来るほどセイギはリズのことを知っているわけではないし、誇れるほどの人生経験を送っているわけでもない。そしてそこまでの善人でもないことを知っていた。だからそうすることに躊躇い、戸惑い、結局は自身の殻に閉じこもって何もすることが出来なかった。


 リズの感情を理解していれば、理解しようとしていれば、何がしかの言葉をかけるべきだった。どうにかしようとすべきだった。リズの心を救ってやろうとするならば、開かれたリズの心に正直に向かうべきだった。

 けれど、セイギはその悪意に身を竦ませ、恐れるばかりで何も出来なかった。リズの優しさや暖かさに慣れきったセイギの心は、リズのその闇に手を伸ばすことを躊躇ってしまったのだ。



「リズ……」


 セイギの伸ばした手はリズに届くことはなく、ただ伸ばされたそのままの形で宙を漂っていた。それは埋めることの出来ない心の距離のように、近くて遠いそれを表しているかのようだった。


「ごめんなさい……」


 リズは敢えてセイギの顔を見ないようにしつつ、部屋に備えてあった弓を手に取った。そのまま足早に扉へと向けて歩みを進める。


「狩りは私が行くから」


 セイギに反論させる余地もなくリズはそう言い切る。有無を言わさぬその言葉にセイギは返す言葉を見失っていた。


「頭、冷やしてくる」


 リズが家を飛び出し、世界とセイギを隔絶するように扉が勢いよく閉じられる。

 一人残されたセイギは伸ばした手を戻すことも出来ず、未だに伸ばしたままだった。


「リズ……」


 部屋にポツリとセイギの独り言が溢れる。

 返事は勿論なく、すぐに静寂が戻る。


 何も出来なたかったセイギを責め立てるような静寂があるだけだった。

未だに引っ張ってしまってますね……


感想、指摘などございましたら是非ともよろしくお願いいたします。

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