40.脱皮
セイギの先を進むアレックスは何も言わずにただ黙々と歩くだけだ。
若干の気まずさが二人の間に落ちるものの、セイギにはその解決の使用もわからず、等しく同様に沈黙するのみだ。
数多の角を曲がり、路地裏を抜け、長い距離を歩いた。その終着点は巨大な様相で佇む時計台だった。
その時計台を仰ぎ見るようにして立ち止まったアレックス。
「……ここにニポポがいるんですか?」
ようやく出るのは至ってなんの変哲もない無難な確認の言葉だ。それでも無言よりはなお心地よい。
「恐らくな」
それだけを言い切るとアレックスは時計台へと足を踏み入れる。
見張りの兵士などはおらず、恐らくは市民に自由に解放されているのだろう。とは言っても時計台を登る面倒を好んでする者など数も知れている。市民であれば尚更だろう。
恐ろしくも長い螺旋階段を登っていく。ぐるぐると回り続けるその景色に方向感覚を失いかけるものの、時折付いている窓から見える景色がその感覚を正常へと戻させる。気付けばその高さも次第に高くなり、落下防止用の手すりから塔の最下層を眺めれば足が竦んで歩けなることも請け合いだ。
それ以前に、セイギは既に足が張り始めているのがわかっていた。走り込みはしているものの、階段の上りとは使う筋肉が異なる。サッカーが出来る人間が登山に優れているか?と聞かれればそれは断じて否だと答えざるを得ないだろう。つまりはそういうことだ。
そんなセイギを差し置いてアレックスは平然と上り続ける。アレックスのすぐ後ろを付いていたはずのセイギは、既に180度ほど反対側にいるその青年を恨めしく思った。青年はチラともセイギを見ることをしない。セイギを誘った割には、本当にどうでもいいといった感情しか抱いていないようである。
セイギはニポポに若干の罪悪感を覚えてはいたが、正直なところ追いかけてまで謝罪しようとは思わなかった。
セイギがした指摘というのは《竜の墓場》にとって根深い問題だ。高々個々人の問題にも思えるが、パーティー単位としては致命的であるかもしれない。助け合う関係なら兎も角、依存する関係というのは決して褒められた関係ではない。
人はセイギのことを余計なお世話だと言うのかもしれない。だがセイギは決して間違った行動を取ったとは思っていなかった。
そんなことを考えていたセイギの目の前に、眩い光が射し込んで来た。街の中央に聳える塔を遮るものはなく、陽光が直接セイギの横顔を照らしていた。
そんなセイギの視界に一人蹲る少年と、そんな様子の少年を見下ろす青年の図が視界に入る。
決してその二人はいい関係性の人間同士には見えない。なぜなら少年の目はいかにも腹立ったかのような視線で青年を睨んでいたからだ。
「……知ってるよ」
忌々しげにアレックスを睨むニポポの表情は憎々しさにも満ちており、その一方で躊躇いや戸惑い、希望や落胆が込められていた。
「ユニねえが、アレックスのことを好きなことくらい……」
フッと視線を落とすニポポ。空はこんなに青いというのに、ニポポの視線は碧空に向けられることもなくただ陰った一点を見つめるのみだ。
ニポポは子供のように感情の制御が苦手だ。しかしその反面、純粋であるためなのか人の心の機微には敏い。その上ずっと見つめている姉のことなのだ、流石にどんなに視界が曇ろうとも、如何な偏見が加わろうとも、見間違うはずもない、見逃せる筈もない。
パーティーメンバーに対する態度と、アレックスに対する態度。そしてその距離。
ニポポが目を背けなければ、耳を塞がなければ、そんなものは一瞬で露呈するものだ。だからこそ、耳を塞いだのかもしれない、視界を逸したのかもしれない。
「……俺は、ユニアスのことが好きだ」
アレックスがニポポに言い放つ。その言葉が持つ意味は――。
「知ってるよ!だからそれがどうした!」
それはニポポの慟哭。
七年も共にあるのだ、わからないわけがない。
尊敬もしている、信頼もしている、愛好すらしている。
苦手だ、それだけであり嫌ってはいない、憎んではいない。
だから迷う。惑う。正直アレックスは好きだ。それ以上にユニアスも好きだ。ユニアスには幸せになって欲しい、だが離れて行っては欲しくない。《竜の墓場》でニポポと最も近しい二人が付き合ってしまうのであれば、あとに残されるのはたった一人になったニポポだけだ。家族も友人もいないニポポにとって、それは絶望する未来でしかない。
「どうもしない。だからニポポも普通にしろ」
そんな葛藤をするニポポににべもなく言い切るアレックス。如何にも冷静で身勝手な発言。
「普通にしろって……!」
怒りを抑えきれないその表情に僅かに躊躇いが滲む。
身勝手、高慢、独善、強行。そんなアレックスの性格が苦手だった。そんな処に憧れていた。
我侭なだけではない、強い自分。根の張った、大木のような自身だ。決して空虚な人形ではない――
「お前なら出来るだろ」
そう一言だけ言い残し、アレックスはすぐに階下へと下り始めていく。言葉は少ない。それでも短くない時を過ごした二人にとっては理解し合うには十分だった。
「いい加減なこと、言いやがって……」
ニポポの口からブツリと諦めたような愚痴がこぼれ落ちた。
青年に期待されてしまった以上、その期待に応えないわけにはいかない。
少年が巣立ちを決めた瞬間だった。




