39.ヒヨコの逃避行
冒険者を傘にニポポは自由を得た。
あの崩落事故でニポポは死んだ。正しくはニポポの過去の"誰か"が死んだのだ。だからそれはニポポではなく、それは両親に捨てられた少年だった。
今のニポポはただのニポポでしかない。その事実にニポポは満足していた。
それ以来ニポポは《竜の墓場》と共に行動している。もはや全員がニポポの家族だ。
ゴルドスとレイラのことは父親母親とはいかないがそれに近い感情をもって接しているし、アレックスは口数は少なく苦手意識はあるものの尊敬出来る兄だと思っている。当然ユニアスは愛すべき姉だと思っている。
特にユニアスは勉強から常識から人としての振る舞いを教わった。ニポポと最も近しいのは言うまでもなくユニアスだ。
笑えなくなったニポポに笑顔を教えたのもユニアスだ。綻びる花のような笑顔に初めは億劫だったが、それを真似るうちにニポポの顔には笑顔が戻っていた。そして当然憎しみ以外の感情も取り戻していった。
ニポポにとって《竜の墓場》は家族以上に家族だ。
だがそれ故に変化を望まなくなっていた。
もしここで誰かが離脱すると言えばニポポは泣き叫んでそれを止めるだろう。まさに子供が癇癪を起こしたように。
そしてそうなってしまえば誰もニポポのことは無視できなくなってしまう。それほどには強い繋がりだ。
「じゃあユニアスさんに好きな人がいたらどうすんだよ?」
そんなニポポの事情は知らず、セイギは淡々と追い詰める。
「そんな訳あるはず……」
振り返るニポポの視線の先にいたのは頬を紅潮させ身体を小さく竦めるようにしている姉の姿だった。
「え?」
表情が引き攣る。
姉に色目を使う者は追い払った。興味を抱きそうなものからは視線を反らさせた。時には強引に押しきった。
だが姉のその表情はニポポが一度も目にしたことのないものだった。
それは恋する乙女、そのものだった
「まさか、嘘だよね?」
今ではその声にも力はない。微妙に震える声でそれだけを言い切ったニポポの手はきつく拳を握っていた。ユニアスにすがりつくこともしなかったのはニポポの僅かな矜持だったのかもしれない。
そんな矜持も微塵の意味もなさない。
ユニアスは無言。何かを語ろうとしてはその言葉を飲み込み、思案にくれては言葉を発しようとすれど語るべき言葉を知らない。
そんなユニアスの態度は言葉以上に如実に真実を物語っていた。
ニポポは出来損ないのような笑顔を貼り付けたまま、しかしその目は悲哀に満ちていた。
「そんな……」
その一言にニポポの心情が圧縮されていた。
ニポポの相好がクシャリと崩れると同時に、その踵は返された。一目散に駆け出すニポポ。
「ニポくん!?」
驚き呼び止めるユニアスの言葉も振り切り、ニポポはその姿を視界から消し去った。
辺りを無言が占める。
誰もが声の出し方を忘れたように口をつぐんでいる。そんな空気にセイギはバツの悪さを感じていた。紛れもなく現状を生み出したのはセイギだ。謝罪をするなり連れ戻すなりするのが常識だろう。大人気ないとは感じている。それでもセイギが謝罪してそれで終わりというのはおかしい。それは決して正しいとは言い切れない。
火を着けたのはセイギだが、火種は既に燻っていたのだ。
「行くぞ」
そう言ってセイギの肩を掴むアレックス。
なんで俺が、とも言いかけたが罪悪感がその言葉を胸の奥に控えさせた。
「それなら私も一緒に……」
それは純粋にニポポを心配する気持ちなのか、それともどこか邪な思いが籠っているのか、恐らくはそのどちらもが正解だろう。だがそれは現状には断固として吉とは出ない。
「駄目だ。ここで待ってろ」
ユニアスを留める声は強い。《竜の墓場》がニポポを贔屓する中で、アレックスが唯一冷静に現状を把握していたからだ。
叱責にも近い形で拒絶されたユニアスは若干傷付いたような表情を見せたが、已む無しと思ったのかすぐに笑顔に戻る。尤も、その笑顔というのも辛酸を舐めたように歪んでいたが。
「そんな顔するな……すぐ戻るから」
ポンポン、と軽く頭を撫でる。それだけでユニアスの表情は破顔した。
「ちょっと、いちゃついてないでさっさとニポポを追いかけなさいよ」
そんな空気を読んでか読まずか、レイラが二人を催促する。
慌てて二人の世界を打ち消すも、二人ともに恥じらいの様子が伺える。お互いの気持ちが分かっていながら、付き合っていないということも影響しているのかも知れない。まさにそれは純粋な初々しい態度だ。
「それじゃあ、行ってくるよ」
ユニアスにそう言って踵を返すアレックス。
既に行き先が決まっているのか、その足取りは確たるもので淀みなく歩みを進める。
その歩みに置いていかれないよう、セイギは歩調を早め追走する。
「ニポポがどこにいるかわかるんですか?」
セイギの疑問にアレックスは淡々と答えを述べる。
「ああ、7年も一緒にいるんだ。大体検討はつく」
ニポポ対して他人のように振る舞うアレックスだが、心配する表情は家族その物だった。
「さあ、ニポポを探そうか」




