34.home, sweet home
――日本人
アジア圏の東端に存在し、日の出づる国――日の本を意味する国に生まれ育った民族。
着の身着のまま異国に放り出されたセイギにとっては忘れたくとも忘れられない祖国。
煩雑な世界の中で生きることに夢中であったセイギはその郷愁の思いに囚われた。
身の証としては当初着ていたブレザーと、今ここにあるギルドのカードのみがセイギの本当の世界を証明していた。そのブレザーもあちこちが擦り切れ切り裂かれ到底着れたものではない。もはやゴミ同然とも言えるがセイギの心の何処かでそれを遺棄することを拒んでいた。それがセイギの元にあった元の世界との唯一のよすがだったからだ。
まともな形として残るのは現在手元にあるギルドのカードただ一つだ。
カードを眺めて動きを停止したセイギにユニアスが戸惑った様に声をかける。
「ねえセイギくん、どうして泣いてるの」
「え?」
慌てて頬を拭うセイギ。拭った手は確かに濡れていた。
「あれ、どうしたんだろう」
涙を隠そうと剽軽に振る舞おうとするも上手くいかず引き攣った笑みを浮かべてしまう。
そんな様子を会心したのか、少女が一言を添える。
「大方懐かしい文字でも読んだんだろうさ」
その一言に納得がいったのはレイラ一人だった。少女の不足する言葉に会心のいかない仲間達にそれを説明する。
「ギルドのカードでは名前と種族、分類があるでしょう?」
その言葉を皮切りにレイラは説明を始める。
「名前と種族は共通語で記述されるけど分類はその人の最も慣れ親しんだ言語で記載されるのよ。私のはほら、獣人語と共通語の両方で書かれていたじゃない?」
周囲の人間はようやく納得いったという表情をした。同時にニポポがその悪戯心を発揮させる。
「懐かしくて泣くとか、ガキか」
その一言に、しかし同意する者はいない。むしろ責めるような視線を向けられてニポポは戸惑う。
「ニポくん、謝って」
予想外に敬愛するユニアスに叱られたニポポは驚きながらも不承不承と言った様子で謝罪の意を口にする。
「俺が悪かったです」
それに続く言葉はなく、それきりに口を噤んだ。見るからにふて腐れている様子だ。
「うちのがすまねぇ、ボウズ」
セイギの丸きり予想もしなかった声がセイギに話し掛けていた。てっきり嫌われていると思っていたゴルドスが謝罪を告げていたのだ。
ゴルドスも初めは警戒や威嚇もしてはいたが、郷愁の思いはよく知っている。セイギの意図しないその涙に邪気をまるで感じないことからそんな些末な疑いも消し飛んだのだ。
「もし私たちに出来ることがあれば何でも手伝うわ」
レイラがここぞとばかりにセイギをフォローする。レイラたちはセイギが望んで郷土を離れた訳ではないことを悟ったのだ。
裏にあるのが打算だとしても、こうして協力してくれようとする姿勢はセイギにとても暖かく感じた。その一方でセイギの荒唐無稽な事実を話してしまえばどうなるだろうかと言う皮肉にも満ちた考えも浮かんでいた。
「そんな、ご迷惑ですよ」
そつなく断るセイギだが、何を気に入ったのか、ゴルドスがセイギに向ける表情も子供好きのするように和らげ話しかける。
「なあボウズ、行く先がないなら俺たちと一緒に来ないか?」
セイギの否定の言葉は遠慮と取られたのか、それでも親切な言葉は途切れない。
初めの印象とはうって変わって親身になったゴルドスに気味悪いものを感じながらも、それが甘言や裏のある言葉ではなく、表情からも取れるように生来のものであると分かったセイギは一考の余地があるとも考えた。
《竜の墓場》は恐らく有名な冒険者。"ギルド"や門番との会話でもそれはよく分かった。そして冒険者である以上、世界を回る能力には長けている。それは間違いない。
世界のどこかに世界を跨ぐ方法が伝えられているかもしれない。彼らに着いてそれを探して回るのもいいかもしれない。郷愁の念がセイギにそれを思わせる。特段故郷などには何の思い入れもないつもりだった。自身の出身などどうでもいいものだった。そういう生き方をしてきた、それが許されていた。
今の変化の少ないほぼ室内の鬱屈した生活もその要因の内の一つだ。
――外へ出たい
世界を知りたい、そんな思いも募る。
出来ることなら世界を巡りたい。世界がどんなものか見てみたい、そんな少年のような冒険心もある。何でもいい、待つだけでなくできる限りのことはしたい、そんなことも考えていた。
その一方でこの短くも長い期間にセイギの築いてきたものが頭をよぎる。
――リズだ。
一人で生活を送っていたにも拘らず救ってくれた彼女がいなければ今もセイギがこうして街に来ることもなかっただろう。もしくは野垂れ死んでいた可能性も否定できない。それでも無償で救ってくれた彼女がいる。
喧嘩したこともある。完全に心を開けた訳でもない。リズにはリズの考えがある、もしくは企みがあるのかもしれない。それでもリズはセイギの"居場所"なのだ。
世界を旅する、こんな良い機会は二度と来ないかもしれない。これが最後のチャンスだとしたら?そう考えて葛藤するセイギ。
悩んで、悩んで、悩み抜いたその末に最後に浮かんだのはセイギと共に笑い、セイギのために泣き、セイギに対して怒る、万華鏡にも似たリズの表情だった。
「……ごめん」
長く悩んでいたセイギの否定の言葉にゴルドスは些か驚いたような表情をしたしていた。だがそれもすぐに収まるとセイギの肩を叩く。
「ボウズもここに"居場所"があんだな、それなら無理にゃ誘わんさ」
ゴルドスの言葉に今までを噛み締めるように思い返すセイギ。リズと別れるという選択肢が提示されてようやくその存在を感じる。
――リズ
大切な人だ。家族でも友人でもない赤の他人。それでも何物にも代えがたい人。
早くリズの顔が見たい、セイギは僅か数刻前に別れたその人を想った。




