27.そんな雨の日には
食卓は今や教卓と相成っていた。
セイギは未だ知らぬ世界の常識を学んでいた。梅雨の時期ということもあり、主だって外出する必要はなかった。近くに河もなく、崩れるような山もなく、懸念されるような地形では一切ない。だからこそ二人はなんの煩慮もなく教育に取り掛かることができていた。
現在取り組んでいるのは貨幣の価値についてだ。一人で生きていこうにも、何かと金銭の類いは必要になるからだ。
現にリズも様々な物を買いに街へ出ている。とは言っても二月に一度、許可された店舗でのみの買い物だ。国から指定される店であるだけあり、釣り銭を誤魔化したり悪質な品を渡したりなどはない。
街に入るリズは国の手形で街へ入ることを許可されているが、人との接触は最低限に控えるよう制限されている。出来ることは店員との売買の際に僅かに交わすことだけ。世間話さえも許諾されていない。誰が見ているという訳でもないが、誰も見ていないという訳でもない。
ある意味罪人のような扱いではあるが、リズの【称号】を鑑みれば仕方のないことだった。
祖父に固く禁じられていたため、死した今でも忠実に守っている。
そんなリズの境遇を知らないままに、いや、知らないからこそセイギはリズを癒し心安らがせることが出来たのだ。だがリズがそれを打ち明けることもなければ、セイギが尋ねることもなかった。尤も、言葉にせずとも二人はそれとなく感じ取っていた。
それを理解できるほどに二人の距離は近付いていた。
「それで金貨は100銀貨、銀貨は100銅貨、銅貨は50鉄貨、鉄貨は10石貨でいいんだよな?」
「そうそう。単位は覚えてる?」
「スツル?」
「ストゥル!」
「……それぐらいいいじゃん」
「私が恥ずかしいの!」
リズの言わんとすることも確かだ。例えるならば舌の回らない幼児か老人の様なものなのだから。勿論セイギにはそんな愛らしさも老齢さも毛ほどもない。
人が聞いたら一笑に付されるのは必至であろう。
そんなことをリズが許諾するはずもなく、セイギは延々とリズの説教を受けることとなった。
ちなみにリズも知っていることではないが、一般家庭の月収は2銀貨、10万ストゥル程だ。日本で換算すると三分の一程の物価となる。
そうした意味では金貨とは至って貴重な、基本目にすることのない貨銭と言える。
とは言いつつも需要のあるところでは需要があるのもまた事実だ。
貴族であった過去を持つリズにとっては計算というのは必要知識であった。講師に教わった訳でもないのだが、銀貨程度の買い物に関する計算は出来るよう祖父に教育されていた。
これが至って苦痛だと感じていた体育会系とも言えるリズは、ここぞとばかりにセイギに姉貴面をしようと考えていた。勉強とはそれほどに辛いものだったのだ。
だがセイギはあっさりと計算をこなす。当然だ。日本の高校生にとってその計算とは小学生レベルのもの。解けない方が問題だろう。
そんなセイギを見てぽっかりと口を開けたまま意識をどこかへやってしまったリズ。
「……なんで驚いてんだよ」
「……」
「おーい?」
「……」
「無視すんなー」
「……び」
「び?」
「びっくりしたー!」
「うお!」
急に意識を取り戻したリズの叫び声に仰け反る。思わぬリズの行動に些か不満を覚えたセイギはすぐに逆襲を施す。
「俺の方がビックリしたわ!」
「だってだってだって、なんでわかるの!?」
「これくらい分かるだろ。……バカにしてんのか?」
本気で怒っている訳ではないが、すこし拗ねたような態度を見せる。以前のリズであればこれを本気にして慌ててフォローしつつも内心は相当落ち込んでいたに違いない。今はこれがお巫山戯であることくらいは理解できるくらいになっていた。尤もそのお巫山戯という概念を教え込むのにセイギが相当の苦労をしたというのはまた別の話だ。
「ごめんって!そんな意味じゃないの」
「じゃあどういう意味だよ」
「だってちゃんとした教育を受けないと計算なんて……」
「あれ?俺学生だったって言わなかったっけ?」
「へ?」
「え?」
「……」
「……」
「えへへ?」
笑いながら首を傾げて誤魔化すリズ。こういった表情もすることは無かったのだが今では自然と出来るようになっていた。これも冗談やらといった概念を覚えることが出来たことによるものだ。
(あーチキショウ可愛いな)
見目麗しい少女がそのような様相を呈するのであれば、男子たるもの、そう考えてしまうのも仕方のないことかもしれない。まして好意を抱いているのだ、そうならないはずがない。
「ねぇ、またセイギの世界の話、してもらってもいい?」
「え、またするのか?」
「だって凄すぎて全然覚えられないんだもの」
「はぁ……」
これ見よがしに溜め息をつく。ついでにわざとらしく肩を落とす。しかし、あくまでもそれはポーズでありアピールでもあるのだ。決して嫌なわけではない。
そしてそれに対してリズが困ったような顔をする。整った顔が歪められる。言葉を紡ごうとするリズを遮ってすぐさまにフォローを入れるセイギ。
「うそうそ。ちゃんとしてやるから」
「……まったく。セイギのイジワル」
まさにそれは好きな子を苛める悪ガキのようで。
けれどそれを分かって甘えているようで。
これはそんな雨の一日の出来事であった。




