25.知らない温もり、知らない感情
――懐かしい夢を見ていた
――寂しく暖かく、そして悲しい夢だ
リズは暗闇の中目覚めた。同時に零れ落ちたのは涙。
夢現の中に微睡みながら、夢は意識の彼方へと消え行く。そしてすぐに今しがた見ていた夢を忘れる。
外は明け方でようやく太陽が昇ろうとしているところだ。そのためか春の暦とは言えど気温は一日の中でも最も低く、リズも寒気を感じてブルリと一つ身震いをした。
視線を部屋の中へと巡らせると空のハンモックが虚しく吊られていた。そこに同居人の姿を確認できなかったリズは急激に意識を覚醒させる。
慌ててセーターを重ね着ると屋外へと飛び出す。
飛び出したリズの目の前に現れたのは、木の棒を黙々と振るセイギの姿だった。足を下げると同時に振りかぶり、足を進めると同時に降り下ろす。その切っ先はぶれることがなくピタリと静止した状態から一気に動作へと淀みなく続く。
それは武芸の完成された美しさで暫しの間、リズは見惚れていた。
「あ、リズおはよう」
一通り素振りを終えたのか、そこにいたリズに初めて気が付いたようで上気した表情でセイギは挨拶をした。
その反対に挨拶することさえ忘れていたリズは慌てた。
「お、おはよう」
少し赤くなった表情を隠しながらリズも挨拶を返す。誤魔化すように言葉を繋ぎ、セイギの気を逸らそうとする。
「セイギは朝早くから何してるのよ?」
思った以上に拗ねたような声が出たことに内心恥ずかしさを隠せないリズであったが、そんなリズの様子に気が付くことなくセイギは平然と答える。
「いや、素振りしてた。最近身体動かしてなかったし、半分ダイエットみたいなもんだよ」
身体を動かすこと自体嫌いではないのか、セイギは揚々と答える。早朝にマラソンをする人々のように、朝の適度な運動は意識の覚醒を促すと同時に、その日一日を過ごしやすくする効果がある。
実際セイギの精神は高揚気味だった。寝付けなかったせいで暇潰しに素振りを始めたのだが、久方ぶりに握る長物の感触も相まって予定以上に素振りをしてしまった。セイギ自身も悟っていたが翌日の筋肉痛は逃れ得ないだろう。
そんなセイギの様子よりも、リズは聞き慣れない単語に興味を抱いていた。
「ねえ、ダイエットって何かしら?」
「ん?痩せるための活動って意味かな」
「痩せるの?筋肉を付けるって意味じゃなくて?」
「え?いや、特にそんな意味はなかったと思うけど……」
「筋肉を付けないで痩せてどうするのかしら?」
「……痩せた方が綺麗に見えるからじゃないか?」
「筋肉がないと貧相に見えるじゃない」
この時セイギは内心焦っていた。リズの口から放たれるのは筋肉が三割だった。予想もしていなかったリズの筋肉推しにセイギは若干引き気味だった。
「狩りもまともに出来なさそうだし」
つまるところ、リズは少女以前に狩人であった。
次いで延々とリズの筋肉やら美についての談義があったのだが、『ごめん汗流したいから』の一言でセイギは逃げ出したと言うのは余談である。
* * *
昨夜事実を打ち明けたセイギに、子供のような眼差しのリズが食いついていた。世間一般を余り知らないリズにとって異世界の異常とは割りと受け入れ易くあったが、それでも驚愕を隠し得ない程の差異があった。
自身の力を忌避するセイギにとって、近くに人が居ることを良しとはしていなかったが、強引とも言えるがリズのそんな態度に浸かってしまいそうになる。
昨夜はその優しさに甘えて流されてしまったが、セイギには確認しなければならないこともあった。それを尋ねるには僅かな緊張と、大きな罪悪感があった。
「なあリズ、なんで俺を近くに置いてくれるんだよ。はっきり言って相当危ないぞ?」
この言葉をかけた時点でセイギはリズから離れる覚悟を持っていた。リズが拒絶の言葉を発すればすぐに立ち去れるように。
「私は別に大丈夫だから」
あっさりとそう言うリズ。しかしその言葉にセイギを納得させるだけの力も理由もない。流されるだけではダメだと、つい最近誓ったばかりだ。取り返しのつかない間違いは犯したくない、それがセイギの胸の内にあった。
「大丈夫、だけじゃ納得出来ない」
飽くまで言及するセイギにリズは若干眉を潜める。
「大丈夫なものは大丈夫なんだからしょうがないじゃない」
それに対してリズは意地を通し続ける。変化のない応答二人共に苛立ちが立ち込み始め、空気が淀み始める。
その変化を悟ったセイギはすぐに言葉を変えてリズに投げ掛けた。
「リズ。俺も本音で話すからリズも本音で話してくれないか?」
「……」
「無理に話してくれなくてもいい。でも誤魔化すのだけはやめてくれないか?」
「……うん」
バツが悪そうに顔をそっぽに向けるリズに、セイギは柔らかく微笑む。それは子供をあやす親にも似ていた。
「俺は正直に言うとリズと一緒にいたい」
照れつつもハッキリとそう告げるセイギに『ならそれでいいじゃない』といいかけるリズ。そんなリズを制止してセイギは言葉を続ける。
「でも俺はリズをいつか殺してしまうんじゃないかと思うと怖い。……そんな夢を見たこともある」
今も思い出しているのか、辛そうに歯を食い縛りそう告げるセイギにリズは言葉を返せない。
「いくらリズが『大丈夫だ』って言ってくれても怖いんだよ。俺が俺を信じられないんだよ」
「……なによ、そんな格好着けたみたいなこと言って」
突然の責めるような言葉にセイギは一瞬静止する。
「なっ、別に格好着けてるって……」
「私なんてそんな出来た人間じゃないわよ!友達だっていたことなんてないしどうしたらセイギは喜んでくれるかな、とかどこまでならセイギは怒らないかな、とかいつも考えちゃうし、イラッとしたら言いたくないこともつい言っちゃうしもうワケわかんない!ずっとこんなワケわからないのなんて嫌!でもセイギに出ていかれる方がもっと嫌!怖い?私だって怖いわよ!でも一人はもう嫌!私の気持ちだって考えてよ!」
セイギの反論の言葉を遮りリズは一気に捲し立てる。感情のままに口にしたものだから脈絡もない愚痴を吐いているだけにしか聞こえない。しかし紛れもなくそれがリズの本音だ。
セイギの言うことにも納得しつつ、それでもセイギを一人にさせたくないという感情。初めて親しくなった人物に対する独占欲。一人には戻りたくないという恐怖。煩わされたくないと言う身勝手な思い。本音を出しているのにあえて物分かりの良さを示しているセイギに対する腹立ち。一人では感じることのなかったこれらの感情がリズを苛ませ、翻弄していたのだ。
そんなリズに圧倒されたセイギを見て、リズは我に返った。慌てて弁解しようとするが、その耳に微かな声が届いた。
「――なんか嬉しいかも」
たった一言でさえ、彼らの心は浮き立ち腹立ち万華鏡のように遷移する。
互いの本音を晒け出し、ようやくお互いの姿を確認し合うことが出来た二人。
まだこうして赤面し合えるのも、今の二人だけの特権だろう。
雑文ってレベルじゃねーぞ!




