21.対等な関係
森の喧騒はたったの一日で終息した。
リズが様子を伺った限り、灰大熊の討伐が目的であったと判明した。あの絶命した灰大熊らしき部位を持ち去る姿を見ることが出来たのだ。
リズの懸念した第三者の調査もあるのかもしれない、そんな期待はものの見事に裏切られたのだった。
まず森の中でリズが知覚出来なかったのだ、そう目撃者などいるわけもない。それでもなにがしかの展開があることを期待した。しかし弛んだその表情を窺う限り、一から十まで灰大熊を狩ることが目的であったようだ。
そんな兵士の中で、老獪とも取れる壮年の男性の視線がリズの位置を正確に射抜いた。思わず咄嗟に姿を隠したが、本来リズの家は見つからないようになっている。恐らくあれはただこちらを偶然見ただけだ、そんな風に考えることも出来た。だがそう考えるほどリズは甘くはない。少なくともその兵士の目は何かに気付いている様子だった。
それはリズの懸念事項が増えた証拠でもあった。
それからリズは気を張り続けて一日、二日、三日と過ぎる。しかしこれといった変化は起こらない。ここで油断してはならないと更に気を張りつめていたのだが、結局一ヶ月間なにも起こらなかった。
気を張り続けていたことや日が悪かったことも含め、リズはかなりの不機嫌になっていた。例えるならば抜き身の刀にも等しい。
夕飯を終えて食卓の様子が一入静かであったため、リズの様子を勘違いしたセイギは無邪気にもそんなリズに触れてしまう。
「リズ、どうかした?……あれ?ちょっと痩せた?」
セイギとしてはほんの冗談めかしてリズの笑いを取ろうとしただけである。
世の常ならば大抵の女性は細身であることを善しとされている。例外も無くはないのだが、ここ、アールニール王国でもそれは同様だ。これで少しばかり機嫌でも治ればいい、そんな風に考えていた。
実際リズは痩せていた。精神的に張り詰めていたせいか、食事や睡眠さえ十分とは言えなかった。
反面、セイギは過度とも取れるほどに睡眠や食事を取っていた。その癖運動もしないものだから見るからにふくよかになっていた。
それが少しリズにカチンと来たのか、一言言わずにはいられなかった。
「セイギは太ったよね、寝て食べてばっかで」
「なっ」
セイギは驚愕した。リズを和まそうと投げたボールを全力で投げ返されたのだから。
心の機微を悟るというスキルは未だになく、セイギはストレートなその言葉に苛立ちを隠し得なかった。そもそもなぜリズが怒ってしまったのかさえ理由が分からないからだ。
「なにカリカリしてんだよ」
「別に。事実を言っただけでしょ」
「なんでそう言う話になんだよ。言いたいことがあるんならはっきり言え!」
「随分偉そうな口聞くのねー。なんもしてない癖に」
「このっ!」
そう言って立ち上がりながら腕を掲げるセイギ。
その動作に驚いたように目を見開き、けれど直ぐに目をギュッと閉じたリズを見て気が付いたのかセイギはすぐさま腕を下ろす。
「……ごめん」
「……」
「ちょっと外出てくる」
セイギはリズに背中を向け、逃げるようにして扉を開けると後ろ手に扉を閉めた。
セイギの居なくなった空間にリズの文句だけが木霊する。
「なによ、一人で逃げちゃって」
だの、
「女の子に手を上げようとするってどういうこと?」
だとか、
「セイギの方こそ文句があるなら言えばいいのよ」
更には、
「別に手伝えって言ってる訳じゃないわよ」
………………
…………
……
そして最後に訪れるのは沈黙。反論をする相手すらいないのだから当然だ。
「……あーもー、私何やってるんだー!」
突然大声を上げながら頭を掻き乱すリズ。丁寧にブラッシングで整えた髪が乱雑に舞う。普段のリズからは想像できない光景であり、セイギが見たら恐らくは驚愕するところだ。
一通りセイギの愚痴を吐いたせいか、リズはようやく冷静さを取り戻したのだ。
(セイギが来て、話せるようになって、楽しめるようになって、それで喧嘩して……喧嘩なんてしたい訳じゃないのに)
一人ごちるも周りには誰もいない。そのままテーブルの上に上体を預け思いっきり弛れた姿勢を取る。その控えめだが確りと存在する胸が押し潰される。
(セイギ、怒ったよね……殴ろうとしたの、我慢してたし。……もう許して貰えないかも)
リズはこれといった暴力を受けたことがなかった。側にいたのは常に理知的で冷静で正確な存在だけ。暴力を振るおうとする感情を正確には計りかねていた。そのためリズの頭を過るのは最悪のシナリオだ。一人になったために悪い想像しか浮かび上がらなくなっていた。
(私のことキライになっちゃったのかな。セイギ出ていっちゃうのかな。……もう帰って来ないのかな……)
イライラしていた気持ちが全て不安や孤独に変換されていく。もはや何をしたいのか、自身にすら分からなくなっていた。
リズの人付き合いの無さが、この感情の袋小路を作った最大の原因だった。
(どうしたらいいの?教えてよ、お爺ちゃん……)
居なくなってしまった存在に、縋るしかない童子のように救いを求めるリズの姿があった。
* * *
思わず手を出しかけたセイギは頭を冷やすために外に飛び出して街への道を黙々と歩いていた。道以外には森とリズの家くらいしかなく、そのどちらにも寄りたくはなかったセイギは道を辿る位しか選択肢はなかった。
セイギはたかが口喧嘩に手を上げようとした自身を恥じていた。それはセイギが見下していた父親と同じでしかない最低の行為だったからだ。
縛られることの無い環境に、心も体も緩みきっていたことは確かだ。親切に接してくれているリズに甘えきっていたことも確かだ。リズにおんぶに抱っこされて過ごしていたこの日々を思いだし、セイギは恥じ入ると共に落胆した。
その上でリズにあのような啖呵を切ってしまったのだ。
(もう……死にたい……)
死の恐怖を知ってはいるが、思わず消え入りたくなるほどの情けなさにそう思ってしまう。
そんなセイギの願いを叶えようとするかのように、セイギを見つめる双眼が暗闇に潜んでいた。




