17.語らざることは知らざること
繋ぎが難しいです。
家へ戻った二人が真っ先に行ったのは湯浴みと洗濯であった。セイギたっての希望であった風呂は、思わぬところで大きな利益をもたらしていた。
特に正面から血を被ったリズは丹念に血を洗い落としていた。髪にこびりついた血漿を何度も何度も洗い流していた。文句を通り越して泣きを見せる様相ですらあった。今ではどうにか落とすことも出来たが、ぶつくさと文句をセイギに投げ掛けるのであった。
セイギはそんなリズを横目に思い悩んでいた。その姿は既に入湯済みで清潔に保たれている。元よりそこまで汚れていなかったということもあるが。
セイギは自身の"力"を懸念していた。
『致命的な傷であっても直ぐに回復する』。『生物に望んだ通りに死を与える』。
元来のセイギには当然そのような"力"はなかった。怪我をすれば相応の時間がかかり入院もしたことだってある。一学生だとて他人に殺意の感情を抱いたこともある。所詮は妄想程度に終始したが。
それがどうしたことか、現在は実体を持ってセイギの中にそれは蠢いていた。実際にその胎動を感じることは出来ないが、"ある"という確信がセイギにはあった。
それ故セイギは慄いていた。存在するのに知覚出来ない。あるのにない。一体なのに分離している。それはつまり"力"がセイギの制御下にないことを表していた。無自覚に"力"を使ってしまったら?暴走を起こしたら?
それは淵の見えない恐怖だった。正体不明の過度な力を与えられたが故の恐れであった。
――化け物
セイギの頭を過ったのはそんな言葉だった。
一介の無害な一般人であったセイギは得体の知れないものになってしまったのだ。そのような“力“を恐れこそすれ、喜ぶことは到底出来ない。
セイギはこの"力"を【称号】由来のものだと感じていた。この世界に来てから何度も口に、話に上る【称号】。セイギは自身の【称号】の有無を疑っていたが、予期もせぬ事態に発覚した事実を認めざるを得なかった。
竜に与えられたという【称号】もきっと同様のものであったのではないか、とセイギは考えていた。
食物連鎖の底辺に瀕していた竜は、ある日神に【称号】を与えられたことにより【双無き者】となったのだ。
そして彼らもセイギと同様、強大すぎる力に慄き恐れ驕り溺れたのだろう。それ故に彼らは忌避され淘汰されてきた。それがあの絵本の語りだった。あの絵本の結論は結局力を戒めよ、といった教育的なメッセージを含むものだった。
今となっては絵本とはいえ、余りの救えなさに憮然とした気持ちを隠し得ない。実際は何かしらの知識が与えられていないかと期待していた面もあったからである。
「セイギ、ご飯にしましょうか」
そんなセイギの内心を知らないリズの暢気な声がセイギの耳朶を打った。
* * *
リズは躊躇いなく肉を口に運ぶセイギを眺めていた。
そのセイギの姿を見てリズは安堵の溜め息を吐いた。
今回の狩りはセイギに強制的にトラウマを克服させるものだった。しかしその結果は暗澹たるものであった。むしろトラウマを深めた可能性もあるのではないかと考えていたが、セイギの様子を伺う限りは全く問題ないようであった。
それ故の安堵だ。
心配が緩むとやはりリズの懸念する事項は灰大熊の死である。
リズは自身があのような力を所持していないことを知っていた。今までもそうであったし、これからもきっとそうなのだと。
そしてセイギは違うと考えていた。リズが初めてセイギを見つけた際、森の獣から必死に逃げ回った痕跡があった。返り血などの跡もない。そして生き物の死に対する恐怖。あれでは到底生き物を殺すなどという芸当は不可能だ。それ故にリズは真っ先と言っていい程に間髪入れずにセイギを候補から外した。
リズが考えるのは第三の可能性、第三者の介入だ。
灰大熊に襲われた二人を助け、姿すら現さずに去った者。救った礼をねだることも出来るであろうに何もせずに消えるという違和感。
姿を見られたくないと言うだけの理由ならば二人を助ける利点すら有り得はしない。そのまま見逃せば二人はお陀仏で目撃者も消える。
そして最もリズが不審に感じたのはこの森に人がいるということだ。
セイギの場合には傷付いた様子で倒れ伏していた。言葉を聞いてみれば聞いたことのない言語。見慣れぬ衣服に神秘的な黒目黒髪。
初めは神の使いだと錯覚した。次に辺境の希少種族と感じた。今は見知らぬ土地の貴族ではないかと考えていた。
狩りも出来ない、風呂は入る、礼儀は把握している。如何にも箱入りらしいものであった。
リズは祖父が一度だけこの森で遭難した異国の人間を助けたことがあると聞いていた。それ故、焦ることもほぼなく、セイギもそのうちの一人ではないかと考える余裕があった。
セイギに何も聞かないのは、あの森を抜ける程に追い詰められて倒れ伏していたであろうセイギを問い詰めることが出来なかったからだ。
そしてあの生物の死に対する怯え様。セイギ自身がそれにあったかのように見えたからだ。リズは背中を撃つような性格ではないのだ。
それでもリズはそれを間違った行為だとは感じていなかった。現にセイギは紳士的にリズと接し、リズも他人と過ごすことが出来ているのだ。
しかし、森にいるかもしれない第三者は違う。森の生き物を手玉にとるように殺し得る力を持ちながら何故か姿を隠している。セイギとリズを見逃しさえする。追い込まれた人間では決してない。
目的も、手段も分からぬ人を殺し得る存在を恐れ、警戒せざるを得なかった。
それをセイギに悟られまいと故意に緩んだように演技したのだが、予想以上に効果的だったらしく。
「お、このディー旨いわー」
そんなリズの心情に全く気が付かないセイギの間延びした声がリズの耳朶を打った。
二人は深刻に悩みつつ、すれ違うのみであった。




