14.弓射の意味
今回少し年齢制限のある表現があります。苦手な方は読み飛ばしください。
森の中は相変わらず日が差し込まず、日中であるというのに薄暗い。木立も高く上を見上げても見えるのは梢のみ。セイギに感じ取れる匂いは植物の青臭い匂いと獣の生々しい匂い、そしてなぜか芳しく感じられる香りのするリズのものだ。異様な状態だからこそリズの香りが際立って感じられていた。
(リズっていい匂いがするんだな……)
あれほど嫌悪感や恐怖心を感じていた森の中だと言うのに、セイギの精神状態は至って安定……いや、呆けていた。以前と比較して万能感がある上、側にはリズがいる。そして肉食動物が襲ってくることはないという安心感。セイギは完全に腑抜けていた。
そんなセイギを叱責するようにリズの声が飛ぶ。
「セイギ!集中して!」
その半ば怒声のような声にようやくまともな意識を取り戻したセイギ。
「わ、悪い」
リズは真面目に怒っていた。肉食動物が寄ってこないのは確かだが、こちらから近づけば勿論遭遇は免れない。嫌だからといって絶対に道を開けてくれるとは限らないのだ。現にリズは獣がこちらの様子を伺っている雰囲気を感じ取っていた。夜も深まれば決して安全とはいかないだろう。
そして自身の身を守ること程度はできるがセイギを庇って守りきれるとは思っていない。今できるのは獣たちに獲物だと思われない強さを誇示することだ。
リズは立ち止まると木立に向かって弓を引き絞る。女性にしては堂に入った構えである。小さい弓ながらもギリギリとそれを引き絞り、一気に放つ。残心などは一切なく、すぐに歩き出す姿勢へと戻る。
「リズ、今のは?」
「ああ、今のは獣に威嚇したの」
「……獲物じゃなくて?」
「そ、肉食獣の類でしょうね」
ブルリとセイギが全身を震わす。安心しきっていた精神に大きな揺さぶりがかけられた。
「安全って訳じゃないからちゃんと気を付けてね」
「……わかった」
意識を切り替えて緊張を張り巡らせるセイギ。そんなセイギの横顔を見つめつつ、リズは微笑んだ。
(意外と精悍な顔つきもできるのね)
ある意味この森はリズの庭だ。セイギよりも断然、余裕のあるリズであった。
* * *
「シッ!」
強いリズの静止の声にセイギは思わず息を止める。
「あそこに角兎がいるの分かる?」
角兎とは"トイ"の中に入っていた肉のことだ。意外と硬い肉だったため、もっと大型の肉付きの薄い生き物だと思っていたセイギには兎というのは少し意外に感じられた。
「どこ?」
「あの茂みの二本長い枝があるでしょ?その二本目の直ぐ下、角が見えてるのがわかる?」
「んー、あれか?」
指さすセイギにリズが頷く。
直ぐに矢を弓に番えるリズ。既に獲物は射程圏内で目測も測っていたリズは躊躇うこともなく射た。それは角兎までの最短距離を描くようにして真っ直ぐと飛んでいき、そのまま角兎を貫通した。
激しく暴れ、直ぐに痙攣したようにその場を移動できなくなる角兎。大きく二三度飛び跳ねるとそのまま動かなくなる。矢は角兎の顔面を正確に打ち抜いていた。愛らしかったであろう顔貌ももはや無残に潰れている。既に命の灯火も失われたと言うのに、その小さな体はヒクヒクと震えている。小さな体のどこにそんな血があったのか、大量に血が流れ出している。辺りには血臭が溢れていた。散らばっている固まりはその頭に格納されていたものか、ピンクやら黄色をしている。
セイギは嘔吐した。我慢しようと試みたのだが我慢するまでもなく胃が食物を拒絶していた。
獲物を捌いていたリズだったのだが、いつの間に傍によったのか、セイギの背中を擦っていた。
「ごめんなさい、無理だったね」
リズは後悔しながら、セイギに水筒を差し出す。セイギは素直にそれを受け取るが、嗚咽がまだ続くのか蓋を開けることすら出来ない。リズは水筒をセイギから借りると蓋を開けて再びセイギに渡す。
水筒の水で口をゆすぐ。口腔内に残った酸味が少し和らぐ。次いで嗽。何度もそれを繰り返しようやく通常の状態へと戻すことができた。
「悪いけど直ぐに移動できるかしら?血の臭いで獣が集まって来ちゃうから」
セイギは未だに青い顔で、しかしコクコクと上下に首を振った。
現代人のセイギにとって、生き物の死とはそうそう目にすることはなかった。人でさえ生きるものと死別するものは隔離されている。息を引き取る瞬間なぞそうそう目にすることはない。目にするものは精々冷たくなった猫や鳥、他には昆虫程度のものだろう。しかもそれらは寿命や事故であり、意図して殺されたものではない。
だが今は違う。明確な殺意を持って生き物を殺したのだ。自分が直接手を下したのではないにせよ、それを容認したのだ。その事実を見て見ぬふりすることなどできなかった。
「ごめんね、セイギ」
沈んだ目で謝るリズ。その言葉に反論しようとするセイギだが、その反論の言葉が続かない。なんと言おうとも、弓を引いたのはリズなのだ。そしてそれを止めなかったのは自身なのだ。
セイギは肩を貸し与えられるようにして、森の外へと逃げるように帰路についた。




