12.湯の園
セイギが完治してから三日目、セイギは思い悩んでいた。
こちらでは入浴という文化がないらしく、あるのはサウナにも似た蒸し風呂程度。体を洗うには水浴びか濡れた布で拭う程度しか出来ないのだ。
寝込んでいた間、少なくともそのどちらも行うことが出来ず、昨日ようやく出来たのは体を拭うことだ。
セイギは気付いていなかったが、熱に魘されるセイギの上体はリズの手によって綺麗にされていた。リズのとある事情により下半身はそうもいかなかったが。
セイギの気にしているもの、そう、体臭である。
代謝のいいこの年代の若者が一週間も入浴をしなければどうなるのか、考えるだに恐ろしい。
通常、体臭というのは、大抵は自身の畏怖にも似た過剰な心配が気にさせるものである。だが、現在のセイギは自身でも顔を顰めるほどに明らかに体臭を感じていた。
そう、なんと表現すべきか、『男臭い』のである。
ベッドを占有していたせいか、枕からもその臭いが滲み出しているようでもあった。
毎日のように風呂に入っていたセイギとしては、軽く拭うだの水浴びだので体を洗う程度では満足できないのは間違いがない。ともすれば入浴とは日本人のソウルだ、魂だ。熱いお湯に浸かって手拭いを頭に載せ、演歌でも歌いながら汗を流すというのが定説であろう。飽くまでイメージであって全ての日本人がこの通りであるとは決して言わないが。
要約すると『風呂に入りたい』であった。
「なぁリズさんや?」
「なにかしら?」
「"風呂"ってご存知?」
「なにそれ」
「……」
第一段、撃沈。
お国柄が違うのだ。そうそう同じ文化は発展しないだろう。
だがそれに堪えることなくセイギは言葉を続ける。
「風呂というのはですね、湯浴みと言って水浴びの水の代わりにお湯を……」
「あー、あの貴族の道楽」
「……」
第二段、終劇。
そもそも話すらさせてもらえなかった。
それもそうだ。温めなくとも良いものを態々(わざわざ)温め、尚且つそれを掛け流しにしているのだ。見ように依っては贅の限りとしか言いようがない。
実際の所、リズは風呂と言うものを全く知らなかった。セイギに問われ、知らないとしか答えられないような田舎者だと思われたくなかったリズは、知ったかぶった態度を取ってしまったのだ。実物を見たことは勿論、聞きかじりの知識のため、貴族に対する偏見も相俟って異常に瀟洒で煌びやかなものを想像していた。
実際の市井では水回りの整備が非常に優秀に執り行われており、大衆浴場なるものも存在している。確かに贅沢と言われればその通りであるが、一般市民にも流通している。
そんな事情を知らないセイギであるため、リズの言葉がすべてであった。
(貴族の……道楽)
セイギは想像以上にショックを受けていた。目の前にある現実に手が届かないことがセイギに大きな心的ダメージを与えたのだ。
その様子を見たリズは予想外のセイギの虚脱感に驚愕を覚えた。
(え、私なんか悪いことした?知ったかぶりしたの間違いだった?)
贅沢は出来うる限りしない生活を送ってきたのだ、リズには風呂と言う贅沢を選ぼうとする選択肢すら存在しなかったのだ。仕方のないことと言えばその通りであろう。
「えっと、あの、セイギ?」
「あ、いや、大丈夫」
慌てて否定するセイギ。だがそれもなにを示唆しているのか要領を得ない。
そんなセイギをリズは密かに煩慮し、ある決意を固めていた。
* * *
「セイギ、ちょっといいかしら」
「へ?」
リズがセイギにそう声をかけたのは夕飯の数刻前であった。体をどう洗うか延々と悩んでいたセイギにとって、それは唐突な呼び掛けであった。
「ちょっと外に出て貰えないかしら?」
「……何でさ。別に構わないけど」
リズの態度を訝しみながらも、セイギはリズの言葉に従う。
外はもう直に宵闇に包まれようとしている。そんな中、セイギは見慣れない区画が視界に存在することに気が付いた。
「リズ、あれ……」
「ふっふー、何か分かる?」
「……いや、ないな」
「ふふふ」
リズの顔がニヤけている。そんなリズをさて置きつ、セイギはその区画に近付く。気持ちばかりの布で区切られたその中にはお湯の張った大きな鍋のようなものが鎮座している。そして木に吊るされた紐付きのバケツ。
流石のセイギでもこれが何か気付く。
「……風呂、か?」
「当たり!素人だからちゃんとしたのは作れなかったけど、どう?」
えへへ、とはにかむリズ。その表情に思わず見惚れるセイギ。しかし問われたことを直ぐに思い出したのか、セイギは返答をする。
「あ、ああ、凄いな……」
「そ、そう?」
自ら聞いたにも関わらず、大いに照れるリズ。それを誤魔化すように入湯をセイギに勧める。
「じゃ、じゃあ入ったら?」
「お、おう」
「……」
「……」
「……入らないの?」
「リズがいたら入れないんだけど……」
「あっ!」
ようやく気付いたのか、一気に赤面するリズ。
「ごっ、ごゆっくり!」
そう言い残すとその場を飛び去るように駆け出す。
「なんだかなぁ……」
そう言いながらもいそいそと服を脱ぐセイギ。念願の風呂が目の前にあるのだ、我慢する方が無理だと言うものだ。
だからセイギは気付いていなかった。
「あれ?替えの服は?タオルは?……石鹸は?」
現代っ子のセイギには、望む通りの入浴はまだまだ遠いようである。




