103.旅の終焉
リックと別れてから一行の会話はぐんと減った。それに伴ってムードも一変する。一番話す人間が居なくなったのだからそれも当然の帰結だろう。
原因はそれだけではない。セイギとグレン、二人の間に基本的に会話はない。大概の会話はリックを介して行われていたのだから、こうなる事も自然であった。どうにもセイギからは話しかけ辛く、グレンからは全く話しかけようとする気概も感じ取れない。グレンがセイギに話し掛けるのは必要最低限の会話かからかいの言葉程度だ。――アリスが時折挟んでくる質問で無言が掻き消されるのが何よりの救いだった。
「ご主人様、あれはなんですか?」
「ああ、あれは――」
このやり取りも既に何度目か。アリスにとって目に入るものすべて、目新しいものに違いない。見るもの全てに問いが出るのも納得がいく。ただ、飛行船に乗る際の明るさや興奮はなく、一枚オブラートに包んだような、どこか歯に物が挟まったような様子なのが気にかかる。
「眠いのか?」
「ううん……」
コックリコックリを船を漕ぎ出す。数秒もしないうちにアリスは眠りの泉へと落ちていくことだろう。
リックと別れてからのアリスは何故かこうして眠そうにしていることが多かった。そんな様子のアリスを横目に見ながらセイギはリックのことを思い出す。
セイギは胡座をかいて「ん」と言いながら自らの膝を叩いた。リックのように正座のような座り方でもするべきなのだろうが、生憎とセイギは正座に不慣れだ。変な見栄を張った座り方で足が痺れでもしたら格好がつかない。それなら最初から座りやすい方法で座っておくのが無難であろうとチョイスされた座り方だ。
「俺の足、枕にしていいから」
「でも……」
グズるアリスの腕を無理矢理引っ張り傍らに引き寄せる。引く力は強かっただろうか、体勢を崩したアリスに「ごめん」と言いつつも有無を言わさないセイギのその態度にアリスは抵抗を諦め、大人しくその膝に頭を収めた。
柔らかくて暖かい。どうにか逆らっていた眠気が、暴力的な勢いでアリスを眠りへと誘う。
「あ、ちょっとコラ!」
何処かでセイギの慌てたような声が聞こえた気がするが、アリスは既に睡魔に抵抗する手段を失っていた。温もりに包まれて眠りへと、落ちていく。
セイギは硬直する。頭を載せるのに膝を貸したつもりだった。それがどうだろうか、アリスは両腕でシッカリと膝全体を抱えて離そうとしない。子供特有の少し高い体温と、少し甘いような香り。どうにも、嫌に気恥ずかしかった。
服を掴む指を外そうと手を伸ばす。しかし顔を埋めるようにしているアリスがどうにも泣いているように見えて、セイギはその手を止めた。折角寝付いたアリスを無理矢理起こすことも出来ず、セイギは溜息を吐いて今の状況を受け入れた。
何気なしに頭を撫でる。癖のない、柔らかい髪だった。アリスは一瞬身じろぎしたが、眠りが深いのか起きる様子もない。一体どんな夢を見ているのだろうか。膝の上で表情が動いた気がした。それが笑顔であればいいな、セイギはそんな風に思った。
それらを横目で見ていたグレンはククッと喉を鳴らし、セイギに睨み付けられていた。
* * *
アールニール王国城下町ヴァレンタ。グレンの住む街である。
「あれは?」
遠目に見える城を指差して問いかけるアリス。
「あれは……城だ」
大してモノを知らないセイギは、あどけない質問に対して最適な回答を出せない。
「アールニール王城でしょ、普通に考えれば」
横からグレンが補足する。余計な言葉さえなければセイギからの不満はない。
「普通に考えられなくてぇ、すみませんでしたぁ」
厭味ったらしく返すセイギだが、グレンは「そだね」とだけ返す。
今のやり取りを気にすることもなくグレンは馬車を道路の脇へと寄せて停車。セイギが外を覗けば少し先には見覚えのある関門が。様々な思い出が蘇り鼻を鳴らして笑う。
「ご主人様?」
「何でもない。さて、降りよう」
見上げればアールニール王城が。つまりその麓は城下町。旅立ちを決めたヴァレンタ、今その前にいる。復路はここで終焉だ。
自らとアリスの荷物を纏める。とは言ったもののセイギの荷物は僅かだった。道中で増えたアリスの荷物の方が断然多くなっていた。
「ご主人様、私が――」
アリスの言葉を最後まで聞かずにセイギは馬車から飛び降りた。着地の瞬間、勢い余ってたたらを踏む。
背後ではワタワタとアリスが馬車から降りてくる。躓いたセイギを心配するような様子だ。
「大丈夫ですか、ご主人様?」
「ん、ああ、大丈夫」
思ったようには上手くいかないものだ、リックの姿を想像してセイギは心の中で嘆息した。
御者台からグレンも降りてくる。
「これで【死神】くんとの旅も終わりか」
感慨深そうな声でグレンが言う。全くだ、全く面倒な旅が終わってくれたものだ。脅しに屈するような形で旅に出て、予想よりも早く目的を達して帰ってきた。長いような、短いような、そんな道のりだった。
「黒竜討伐も終わったことだから【死神】くんはもう用済みだね」
「あ?」
「怖い顔しない。怖くないけど。約束通り昔の通りの生活が行えるように取り計らっておくよ」
グレンはセイギにピラピラと手を振る。別れの挨拶だろうか、それとも追い払う動きなのか。グレンはセイギたちに背を向けて御者台へと戻ろうとする。
「……昔のままでいられれば、だけど」
セイギから見えないようにしたグレンの小さな呟きは、リックの胸中の質問と同義のものだった。どうして今までと同じでいられようか、と。
「昔の通りになんて、いられるわけないだろ」
「……聞こえたのか」
「まあな」
聞こえるとは思っていなかったグレンが驚きで振り返って再びセイギに視線をやる。
頭を掻き乱してから沈痛な面持ちになるセイギ。
「俺は、リズを見捨ててアリスを助けたんだ」
セイギの独白。【死神】の懺悔の言葉。
「リズが死んだって認めたくなくて、墓を暴いて、最後には、見捨てたんだ」
セイギの傍らには既にリズはいない。リズだった成れの果ては存在しない。瓦礫の中に、眠っているだろう。セイギが死者ではなく生者を選び取ったからだ。
「でも俺は一緒に生きたかったんだ!どうしてこうなった!?何が悪かった!?」
セイギはグレンに訴えかける。何かを懇願するような表情。
「俺が何をした?どうすればよかった?どうして世界はリズを見捨てた?何でだ?何でだ!?何でだよぉ!?」
それは問いかけではなく憤り。やり場のない怒りをグレンへ、天へと剥き出しにして放つ。
「ははは、こんなこと言っておいて?最後にはどこに行ったのか分からない?リズを愛してる?ふざけんなよ!!」
自嘲自嘲自嘲。セイギは許せない。芯を一本も通せない、醜くおぞましく浅ましい自身が。
「ふざけんな!ふざけんな!何だよこの都合の良い生き物は!気持ち悪ぃ!!俺が何より殺したいのは――俺だ!!」
刹那――グレンがセイギを殴り飛ばした。
よほど思い切り殴り飛ばしたのか、セイギの体が二段、三段とはねて弾き飛ばされる。
弾き飛ばされたセイギをアリスは慌てて追いかける。痛みを堪えるセイギを庇うように両手を広げ、グレンに立ち塞がる。しかしセイギは立ち上がりながらアリスの肩を引き、後ろへと下がらせた。
「ご主人様――」
「下がってろ」
心配げなアリスを傍目にグレンと向き合う。
「俺はな、それでいいと思うぜ」
「は?」
グレンは挑発するような目付きでセイギを嘲笑う。
「惚れた女が死んだ?そうか、そりゃ残念だったな」
「てめぇ……!」
セイギがグレンに殴り掛かる。大して喧嘩や決闘にも慣れていないセイギはグレンにまともに拳を合わせることもできない。代わりとでも言うようにグレンの拳が腹や顔に突き刺さる。アリスは今にも泣き出しそうな顔だ。
「なんでもてめえで、出来るとでも、思ってるのかよ、っと!」
「ハァハァ、クッソ!」
がむしゃらな動きはセイギの体力を奪うだけだ。それではグレンに能うまい。
グレンがセイギの足を払って地面へと押し倒す。そのまま馬乗りになってセイギを睨め付ける。
「誰かが罰してくれるのを待ってたんだろ」
「っ!」
「お前が守れないから、お前が弱いから、お前が優柔不断だから、そう言って欲しかったんだろ?」
「そんなこと――」
「そうだよ、お前のせいだ。でもお前のせいじゃない」
「は?」
矛盾した言葉。意味がわからないとでも言いたげな表情でグレンを見る。
「お前のせいである部分もあるが、全部が全部お前のせいでもない」
「……」
「人間には出来る事なんて限られてんだよ。なんでも自分のせいにして悲劇のヒーローにでもなったつもりか?」
「別にそんな――」
「そんな風にしか見えねえよ。甘えてんじゃねえよ。この世の中にはどうしようもねえことも有るんだよ」
「……」
「みんなそれに折り合いつけて生きてるんだよ」
セイギはグレンを押し退けて上半身を起こす。
「今一番大事にするべきなのは今ある命だ。それは間違ってない」
「今ある、命……」
セイギがアリスを見る。殴られたセイギを心配して慌てているようだが右往左往するだけでそれが何の役に立つこともない。セイギはプッと吹き出した。
「また間違えたら何回でもぶん殴ってやるよ」
「……次は殴り返してやるから覚悟しとけ」
「んで、最後に死んで、それで【魔女】ちゃんにしっかり謝ってぶん殴られればいいさ」
「俺が天国とやらに行けるとでも?」
「無理だな」
男二人が笑い合う。今しがた殴り合いをしていたとは思えない和やかな雰囲気だ。
「好き放題殴りやがって、チッ」
「お前が弱すぎるのが悪いんだよ、セイギ」
グレンは地面に座り込んでいるセイギを呆れたように見下している。そのまま手を伸ばし、セイギがその手を取る。よっ、と言いながらグレンはセイギは一気に引き起こした。
加減なく殴り付けられた全身が未だに火照ったようにズクズク痛んでいる。
セイギの抱えるものが綺麗に消え去ったわけではない。相変わらずモヤついたままだ。少なくとも上澄み――何やら分からない鬱屈とした気分――をこうして発散できたこと、それにグレンが付き合ってくれたこと。それに必ず意味はあった。
「ありがと、な」
グレンは一瞬呆けた表情をする。その言葉の意味がわからなかったからだ。セイギはそんなグレンから顔を背けたが、耳が真っ赤に染まっているのが隠しきれていない。
そんなセイギの様子を伺ったグレンはニカッと笑う。
「どういたしまして、だ」
グレンはセイギたちに背を向けて後ろ手に手を振る。サッサと歩いていく姿に未練のような躊躇いは一切ない。実際、セイギとグレンの間に友情や仲間意識など微塵もなく。言うなれば利害の一致、共犯程度の扱いで十分だ。
グレンはさっさと御者台へ登り馬車を出す。馬車の行く末を最後まで見つめるような感傷は必要ない。セイギはグレンの立ち去った方向へ背中を向けて"魔女の森"と向かい合う。
セイギにとっては見慣れた光景でも、アリスにとってはそうではないようで。アリスの手が緊張したようにセイギの手をギュッと強く掴んだ。
セイギがアリスの方へ振り向くと同じタイミングでアリスがセイギの方へと振り向く。不安そうな面持ちだ。それもそうだろう、何を好き好んで人里から離れて森へと向かうのか。常識を知った人間ならトチ狂っていると嘲笑うだろう。そしてセイギもボロボロになった顔で笑う。それは嘲笑ではない。アリスを宥め賺すように穏やかに微笑むと釣られたのかアリスの緊張も解れた。
「さて、行くか」
「はい、ご主人様」
歩く。昼でも暗い森の道。獣の一二匹は現れてもおかしくはないだろう。しかしここに居るのは黒竜をも殺す【死神】だ。臆する必要は、決してない。
蒼間を歩むこと幾ばくか、周囲に溶け込むような小さな家が視界に入る。
――随分と長い間、家を離れていた気がする。懐かしい、いや、それを含めた複雑な思いが胸に去来する。喜び、あるいは悲しみ、そのどちらにも分類できない心地よくも疼痛を伴う感傷。御しがたい感情の渦に囚われたセイギは身動きが取れなくなる。
ぼうっと簡素な建屋を見つめるセイギを、アリスが不思議そうな眼差しで見上げていた。未熟だが、強烈な視線がセイギの頬に突き刺さる。どんな感傷もこの少女には関係ないものだ。それを改めて認識すると、感情の澱を吹き飛ばすようにフーッと息を吐きだした。その瞳に対して「いやなんでもない」と一言だけ告げ、セイギはアリスの手をしっかりと繋ぎ直すと、息を深く吸い込んで扉を開け放った。
「――ただいま」
こうして【死神】一行の"竜殺し"の旅は、一旦の終結を迎えた。
これにて2部完結です。




