100.おかえり おかえり
探し物は特段得意ではなかった。いつ無くしたのかも思い出せないし、思い当たる場所を探しても見つからない。諦めてすっかり忘れた頃に思い出したかのように見つかる。そんな事の繰り返しだった。
――そもそもこれほど必死に探したこともなかったはずだ。今回もまた、きっとそうなのかもしれない。しかし今、諦めるということを選ぶことなど、できるはずもなかった。
悪意があった。セイギの背後、這いよる影。周囲を微塵も警戒しないセイギに忍び寄ることなどなんの造作もないことだった。するりと懐へと潜り込む。ドウ、と脇腹に大きな衝撃が走った。首を傾げて見やれば珍妙な生き物が爪を立てている。理解の範疇にない謎の生き物、その爪は軽く皮膚を貫通し肉へと食い込んでいた。ともすれば致命傷ともなりうる傷だ。――相手が【死神】などでなければ。
子供の大きさはありそうな首のない黒蜥蜴。彼の黒竜の変わり果てた姿。そこには威厳も高貴さも、畏怖さえももはや存在しない。
もし黒竜に顔が残っていたとすれば、唸り声を上げて瞳をグリンと反転させていただろう。脳を失ったことで判断力を失ったのか、逃げることも隠れることもせず、猪突猛進に爪での攻撃を繰り返そうとする。
セイギはほんの僅か、その姿に憐れみを覚えた。
故にひと睨み。それだけで黒蜥蜴は蒸発して消え去り、鼻腔にどこか、野性味がかった臭いがした。
――残虐なる暴威を振るった巨悪たちは、こうして呆気なく終焉を迎えた。
些事に気を取られた。そうとでも言わんばかりに作業を再開するセイギ。その思いとは裏腹にそれを遮るものがもう一つ。
「やあ【死神】くん」
あっけらかんとした、まるで散歩中に挨拶でもかけたかのような軽薄な声。この状況には全くそぐわない。
「セイギ……」
「……」
男に背負われる形でセイギを見る少女、リック。この惨状、躊躇うような声は大凡の想像が付いているだろうことを察知させる。
「……無事で良かったね。……ところで、その……アリスちゃんは……?」
「……」
リックに返答もせずセイギは瓦礫と格闘する。
「【死神】くん。アリスちゃんはどうしたんだい?」
「……」
無心に、黙々と掘り返す。
「黙ってたら何も分からない、違うかい?」
「……」
「……探しているなら、ボクたちが手伝うよ」
「……」
そう言ってリックはグレンの背中から滑り降りる。
きっと心から心配なんてしてもいないのだろう。二人はセイギ以上にアリスと関わり合いがない。ここで協力する必要など、あるはずもない。
「セイギだけじゃ大変でしょ?」
「……」
「もしかしたらアリスちゃんはもう……」
「……」
「そうだとしても、ボクたちみんなで――」
「……だったら」
「……なに?」
「だったらお前らがなんとかしてくれんのかよ!?」
「っ!」
なぜだろうか、そんな情動的な声が上がったのは。ただ黙っていられなくなり、口を開いたに過ぎない。
セイギの剣幕にリックが怯んだ。それを庇うようにして前に出たグレンは小首を傾げながらその行為を咎める。
「レディに声を荒らげるのは良くないね」
「ボッ、ボクは男だ!」
「今そういうのいいから」
「ちょっと!」
「アリスちゃんを探してるんだろう?」
これっぽっちも耳を傾けるつもりもないグレンにリックは頬を膨らませる。誰もそれには反応しない。
「一人よりも二人、二人よりも三人。人数は多いほうが効率はいいんじゃないかい?」
「……」
セイギは答えない。理性ではそれを理解しているからだ。しかし協力を仰ぐのを感情のどこかが抑止する。理性と本能がぶつかり合い、最終的に黙すことしかできない。
沈黙したセイギを横目にリックは周囲を見渡す。かつてここに人家があったとは思えない惨状。ここにあるのはただの瓦礫の山だ。この中であの小さな少女を探す。それは到底無理な話だ。人海戦術で探すのが最も効率よく確実な方法だろう。だがこの惨状だ、助け出すべき命はもっと膨大な数になる。ましてや彼の求める少女は【奴隷】である。命の優先度など最下位、最底辺に間違いない。助けるのなら他人に頼ってはいられない。この三人の手で、早く助け出してやらなければ。
リックはそうして決意する。
「――ボクの『力』で探してみるよ」
「……は?」
その言葉の意味がわからないセイギが聞き返す。リックの『力』とはなんなのか、セイギはその正体を知らない。
セイギの問いを無視してリックは地面へ座り込んで目を閉じて集中する。普段は抑えつけている力。先程【称号】の力を使用した影響からか、あっさりとその枷が外れる。
――声が声が声が声が聞こえる。誰の誰の誰誰ダレノ声?私私ワワワワワワタシ
世界は自分、自分は世界。何も考えずに世界に還ってしまえば、きっと楽になるだろう。でもそれは今迎えるべき未来じゃない。
歯を食いしばって崩壊しそうになる自分を繋ぎ止める。聞こえる声は無限。必要な情報は有限。
数分、地獄とも思える世界にリックは耳を傾け続けた。悪意のない世界と戦い続けた。きっと世界は悪意とも善意とも関係ない形で出来ている。それ故に、だからこそリックを苦しめ、そして傷つけている。その苦痛を、他人は決して理解できないだろう。理解する必要も、機会もないだろう。
リックがゆっくりと目を開く。
「……アリスちゃん……そこの、下……」
瓦礫の一角を指してそれだけ言い切ると、リックは蒼白な顔をして再び目を瞑り、仰向けに倒れ込む。疲労困憊とでも言った様相か。
グレンはその身を案じて駆け寄ったが、セイギはリックの指した方に駆け寄り瓦礫の山を崩し始めた。
「クソッ!どこだ!」
がむしゃらに掘り返す。一心不乱に。もう一度あの少女に出会うために。
「お嬢ちゃんは大丈夫だ」
戻ってきたグレンがセイギにそう声をかけた。しかしセイギの耳には届いていない。
「【死神】くんはお嬢ちゃんが心配じゃないのかい?」
「……」
「アリスちゃんの行方がわかったのもお嬢ちゃんのお陰なのにね」
「……」
皮肉った顔で笑いかけるグレン。いつもの飄々とした表情とは違い、腹に一物抱えたような表情。セイギがそれに気が付くことはない。
「【死神】くん一人でなんでもできると思っているのかい?」
「……俺が助けるんだ」
「助ける?一人で?」
「俺はアリスを守らなきゃならないんだ……!」
「それが出来ると?」
「俺は、【死神】だから……!今度は絶対に――」
「甘えるなよガキ。世界中の不幸を背負ったような顔をしやがって。【死神】?随分大仰な【称号】だがそれがどうした?こうして一人も救えやしない!」
グレンの口調が一変、セイギは愕然とした表情でグレンの顔を見つめる。
それを不快そうに鼻を鳴らし、グレンはセイギから顔を反らし、瓦礫の撤去へ戻った。
セイギは困惑しながらも瓦礫の撤去へと戻る。初めは恐る恐る、次第に先程のペースを取り戻す。男二人、瓦礫との格闘は続く。その行動の繰り返しで掌のみならず脚に、腹部に、全身に細かい傷がついていく。セイギはともかく、グレンはその傷を癒す術を持たない。それでも行為をやめないのは、なぜだろうか。
きっと大した時間ではない。焦りもあったせいか、体感では膨大な時間が過ぎ去った頃。
「いたぞ!」
グレンが歓喜に似た声を上げた。折り重なった石を崩れないように横へ退け、慎重に、かつ迅速に少女を救い出す。その様はその道のスペシャリストのようで、セイギの出る幕は全くなかった。
グレンに抱き上げられたアリス。リックの横に、ゆっくりと横たえられる。セイギはなぜか駆け寄ることができず、そぞろ足にも見えるのったりとした歩み。誰よりも心配していたはずなのに、誰よりも近寄れない。
無駄な抵抗に見える僅かな時間を越えてようやくアリスの傍らにたどり着き、膝を折ってアリスの表情をのぞき込む。体が小さいことが幸いしたのか、埃だらけではあるもののアリスに大した傷は見受けられない。呼吸は安定しており、眠っているようにしか見えない。
「大した傷もなし。一時的に意識を失っているだけ、かな」
グレンが何かをしゃべっている。セイギの耳に入った言葉は意味を持つこともなく、右から左へと流れていく。セイギは傍らにあったアリスの左手を両手で優しく包み込んだ。
「アリス……」
両手で掴んだ左手を胸元に抱えて祈るようなポーズ。そして祈りの言葉。その感触に触発されたのか、アリスの瞼が僅かに震えて反応を返した。
「……ご主人、様……?」
朦朧とした意識で、アリスは初めに視界に入ったものの名を挙げた。
「っ、そうだ、俺だっ!」
アリスが左手を伸ばそうとしたが、ぼんやりと今の左手側を伺い、残った右手をゆっくりと伸ばす。セイギはそれを止めようとはしない。
アリスの小さな手がセイギの頬を優しく撫でる。
「何故、ご主人様は、泣いてらっしゃるのですか……?」
「っ!」
その質問に、セイギは答えることが出来なかった。頬を撫でる優しい感触を感じながら、その手に自らの手を重ねる。重ねた手から自身のものよりも僅かに高い熱が伝わってくる。暖かい、生きている――
「……おかえり」
セイギは小さな手を握りしめ、それを言うだけで精一杯だった。
アリスは不思議そうにそれを眺めている。
「おかえり……っ!」




