幸運な人形
私の名前は、メリー・ゴードン。
祖国アメリカから、日米の親善活動で友情の証として遠い大日本帝国にやってきた。
港から車に揺られ小学校へ到着すると、学校中の児童が更に街中のたくさんの人が集
まって笑顔で歓迎してくれた。最初は言葉も分からなかったし戸惑うことも多いけど、
この国の人たちは温かくみんな親切にしてくれる。
青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセールロイド
女の子達は私を見てそう歌う。
本当は、私はビスクなのだけどね。そして胴体だけ抱き心地のいいように布製。
大事にガラスケースに入れられ十年、小学校の教員室で女の子たちの羨望の眼差しを
集めていたの。本当は抱っこして欲しいけど、贅沢な悩みよね。
「宝石のように青く大きな瞳をしているのね。」
「私も黄金色の髪だったらな~。」
「ああ~、一度だけでいいから抱っこしてみたいわ。」
そんなに大事にされるような、高価な人形ではない事は私だけの秘密。
でも、突然始まった戦争は私の運命を大きく変えてしまった。
最初の変化に気が付いたのは、ガラスケースに布が掛けられ用具室の隅に追いやられた事。
次第に頻繁に鳴り響く空襲警報。校庭から聞こえる本土決戦に向けた軍事訓練の声。
そして次第に子供たちの叫び声が聞こえるようになった。
「憎き敵の人形をぶち壊せ!」
「叩き割れ!」
「処刑だ!」
「処刑!処刑!処刑!」
どうしてしまったの?
私はお友達だったのではないの?ここへ来た時はあんなに笑顔で歓迎してくれたのに。
友情の証としての務めはとっくに終わっていたのね。
子供たちの愛国心と士気を上げるため、仰々しく全児童の前で私の破壊式が執り行われる
事になった。今度はどんな眼差しに囲まれるかと思うと少し怖いけれど、平気。
私は十分大切にされたもの。私と一緒に作られた仲間達は、もうとっくに乱暴に扱われて
壊れているか飽きて捨てられているはず。私は幸せだったわ。
そして、迎えた最後の夜。
相変わらずガラスケースには布が掛けられていて、今日の夜空はどんなかと考えていると
カラカラとゆっくり窓が開く音がする。誰か待てずに私を壊しに来たのかしら。
近づいてきた人は掛けられた布を脇に落とし、ガラスケースの扉を開けそっと私を抱き上
げると、もと来たように窓から外へ降り走り出す。
久しぶりに見た夜空の美しさ、月が照らす彼の白い顔、私を抱き運ぶ温かい腕。
やっぱり私は幸せだわ。たとえこれから彼に壊されるにしても、狂気に満ちた視線に晒さ
れ明日壊される事を考えるとずっと良いもの。抱き人形なのにまともに抱かれた事のない
私を包む初めての優しいぬくもりに感謝した。
彼は町はずれの雑木林まで来ると歩を弛め、今は使われていないようなあばら家まで来る
とその脇にある井戸の側に私を降ろした。支えを失った私はだらしなく寝転んでしまって
「メリー!」
寝かせると話す仕掛けが作動して、かろうじて聞き取れる間抜けな声を出す。
まだ少し幼さを残す彼は、驚いたように微笑み優しく語りかけてくれた。
「そう、君の名前はメリーさんだったね。しゃべれるとは知らなかったな。」
久しぶりに向けられた優しい眼差しに、冷え切っていた心に温かさが沁み込んでくる。
「君が来た日の事は覚えている。先帝陛下が御崩御され、国中が祝い事を控え沈んで
いるところに君は街中の笑顔を取り戻してくれた。まだ小さかった妹はもう君の虜だった。」
私は初めて小学校に来た日の事を思い出す。溢れる笑顔、楽しげな子供たち、大きな拍手。「ハロー、メリー!」と全児童で挨拶してくれたこと。
こんな日々はもう戻らない、全ては変わってしまったと思っていた。でも、彼は変わらず
優しい目で私を見てくれる。
彼は井戸の横にスコップで穴を掘り、おそらく用意していたブリキの缶に私を入れると、
「今君を所持するのはとても危険なんだ。戦争が終わったら、必ず君を見つけるから。
多少の爆撃じゃ井戸の跡は無くならない。待っていて。」
そう言って蓋を閉め、静かに私を土に埋めた。
いつの日か彼と暮らせる日が来る、なんて幸せなのかしら。
私、いつまでも待つわ。だってずっと誰かに独占されたかったんだもの。その誰かがあんな
に素敵な人なんて夢のよう。早く会いに来て。
**********
私は待った。もうどれだけの時間が過ぎたのかもわからない。
水に強いと言われるブリキも土の重みで潰れかけどこからか腐食が広がり、雨水と泥が入
り込む。布で来た胴体部分はどんどん虫が湧き腐り朽ちて行き、潰れかけた缶はぐいぐい
頭を圧迫していく。
ああ、このままでは彼が私の事分からなくなっちゃう。
早く会いたい。会いたい。会いたい。会いたい会いたい会いたい……。
そうだ。逢いに行けばいいんだ。
私の願いが天に通じたのか気付くと、私の体は自由になっていた。
たまにボロボロ体の中身が落ちてくるけど拾って詰めれば問題ないし、ひび割れてしまっ
た頭部は髪で隠せばきっとわからない。
それにしても、便利な世の中になったわね。電話が持ち歩けるなんて。だから盗んだ携帯
電話で掛けまくっちゃうの。やっぱり再会はドラマチックなモノにしたいわ。
たくさんの中からあなたを探すのは大変だけど無限じゃないから、負けないわ。人違い
だった時、また同じ人の所へ行く間違いを犯さない為の対策も立てあるし。
少しずつ近づいて、今この時かもしれないって言う瞬間を徐々に味わうの。
「わたし、メリーさん。今、あなたの……。」