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カフェから出ると雨が降っていた。通勤用のかばんを探りながら、さっきしまった文庫本が濡れないように奥へ押し込む。天気予報を見ておいてよかったなと思いながら折りたたみ傘を取り出した。仕事帰りで体は疲れているはずだけど、不思議と軽い気がする。読み終わった小説が面白かったからかもしれない。
今日は昼休みに同期が友達とトレンドのテーマパークへ行ってきたという話をしていた。最新のパレードがすごかったとか期間限定のフードを食べたとかで、見せられた写真は楽しそうで眩しかった。私とは縁のないキラキラした世界のものだ。憧れすら抱かない。それでも肩身が狭くなった感じがしたから、気分転換して帰ろうと仕事終わりにカフェへ寄った。
一緒に出掛ける友達はいないけど、私には本がある。今日みたいに写真を見せられたり他の人の仕事を回されたりしても、本さえ読んでいれば大丈夫だった。今までそうだったしきっとこれからもそうだ。私には物語があればいい。
(思ったより早く読み終わっちゃったな……今日はもう遅いし、明日の帰りに本屋寄ろう)
そんなことを考えながら赤信号で足を止めた。車が雨を弾きながら通り過ぎていく。傘に雨が当たる音に耳を傾けていると、遠くからクラクションの音が聞こえてきた。だんだん近づいてくる。どうしたんだろうとクラクションが鳴っているほうを見れば、トラックがこちらへ向かって勢いよく走ってきていた。
(え?)
トラックのヘッドライトに目がくらんで体が動かなくなった。車道ではなく歩道に立っている私へ向かってきている。わかっているのに逃げられない。足がすくむというのはこういうことかと、冷静に考える自分がいた。クラクションの音が耳をつんざく。体が動かない。だめだ。目をつむったとき、体に強い衝撃が走った気がした。
(嘘でしょ)
気づいたときにはアスファルトの上でうつ伏せになっていた。雨のせいでやけに冷たくて、体がどうなっているのかわからない。このまま目を閉じたら死ぬんだろうということは漠然と感じた。でも目を開けていられない。終わってしまう。こんなふうに終わるなんて理不尽だ。助けてほしい。そう思いながら目を閉じた。
ゆさゆさと体が揺さぶられている。続けて小さな声が聞こえてきたけど、その声に聞き覚えがなかった。誰だろう。手を動かしてみるとアスファルトの固い感触ではなく、ざらっとした土の感触があった。違和感を覚えながら目を開けると確かに土があって、そのまま体を起こして周りを見回す。目の前にあったのは畑だった。畑に沿って土の道があり、畑の向こうに木々が生い茂っているのが見える。土の道は私がいるところにも繋がっていてどこかへ行けそうだけど、道の途中から木が茂っていてその向こうはまったく見えなかった。
都会にいたのにビルもなければアスファルトの道路もない。明らかにさっきまでいた場所ではなかった。それに夜だったはずが昼間になっている。もしかしたら死後の世界だろうか。体が痛くないことに気づいて慌てて自分の体を確認してみたところ、ちょっと足首が痛いくらいで他は何ともなさそうだった。ただどうして痛いのか心当たりがない。服についた土を払っているとふいに横から視線を感じて、そちらへ視線をずらしていった。何かとばっちり目が合った。
「うわっ!?」
「ひゃっ」
子どもがいる。小学1年生くらいの女の子だった。私と目が合った途端怯えたのがわかって「ごっ、ごめん」と謝る。その子は肩まである金髪をハーフアップにしていて、深い赤のエプロンドレスのようなものを着ていた。どう見ても外国人だ。ファンタジーの世界の子どもが着る服みたいでよく似合っている。「大丈夫?」と尋ねるとこくんと小さく頷いて、緑の瞳で私をじっと見つめてきた。言葉が通じるあたりハーフなんだろうか。
「えっと……ここって、東京かな? 私、事故に遭ったはずなんだけど……」
「?」
「あれ、違う? ……東京じゃない?」
「……?」
女の子がきょとんと目を丸くして首を傾げた。東京なんて知らないというような表情を見て不安が押し寄せる。ここはどこなんだろう。周りを見ても見覚えのない景色で家屋も見当たらないし、どこに行ったらいいのかも見当がつかなかった。それにこの子はどこからきたんだろう。「あなたはどこからきたの?」と問いかけたら、私たちがいる前方のほうを指差した。
「あっち? じゃあ、私も一緒に行っていい?」
「……ん」
「ありがとう」
そう言って立ち上がった瞬間、ズキッと右の足首に痛みが走って思わず「痛っ」と声を上げてしまった。ちょっと痛いくらいだと思ったのに結構痛い。足をくじいた記憶はなく、トラックが突っ込んできた後にどこが痛かったかとかも覚えていなかった。何で痛いんだろう。これでは歩けない。しゃがみ込んだ私と同じように女の子もしゃがみ込み、私の様子を心配そうに窺ってきた。
「ご、ごめんね、何か足首が痛くて……何でかわかんないけど、これじゃ歩けないな……」
「……て」
「え?」
「まってて」
小さな声で私に告げると、意を決したように立ち上がって走っていった。さっき指差した方向を進んでいってゆっくりと遠ざかっていき、その子の姿は森の中に消えてしまった。更に不安が強くなる。改めて周りを見回してみてもやっぱりどこだかわからない。ここでただ待っているのも申し訳なくなってきて、もう一度立ち上がって進んでみようとしたけど、数歩分しか進めなかった。
進むのは諦めて、自分の状態を改めて確認する。足首以外に怪我をしているところはなさそうだ。服も破れたりしていないけど、何だか違和感がある。何だろうと思ったときにようやく気づいた。
(かばんがない!)
使い慣れた通勤用のかばんが見当たらない。ということは連絡手段がないわけで、サッと体温が下がったのがわかった。今着ている服にはポケットもないから本当に身一つだ。どうしよう、いよいよ本格的にまずいことになってしまった。どこかわからない場所で誰にも連絡できないなんて、と思ったとき、遠くから何かの音がした。その音が次第に「おーい」と言っているんだとわかる。
「ああ、本当にいるじゃないか。そこの人、大丈夫かい?」
「えっ? あ、あの」
「ノアから聞いたよ。足を痛めているとか……おや? 何だか見たことのない格好の人だね」
「えっと……足は、痛いです。歩けなくて……」
「ほう。ちょいと触らせてもらうよ」
何が何だかわからないものの、おじいさんといって差し支えのなさそうな男性が私の足首に触れてきた。痛いところを押されて「いっ、痛いです」と正直に伝えると「ふむ、捻挫かな」と頷き、「それならうちにくるといい」と言って私に背中を見せてきた。どうやらおぶっていってくれるつもりらしい。
「え、いや、その」
「さあ、遠慮せんと」
「というか、あの……おじいさんはいったい、どこのどなたでしょうか……?」
「ああ、名乗るのが遅れてすまんな、儂はこの村の村長をしているエドガーという。さっき女の子に会っただろう? あの子の祖父だよ」
そういうことかと納得した。村長とか理解しきれない部分もあるけど、あの子は大人を呼びに行ってくれたんだろう。「ほれ、とにかく村に戻らんと」と促されて、ありがたいやら恥ずかしいやらの気持ちを抑えつつおんぶされることになった。
「ちょっとの辛抱だからね」と言って村長さんが歩き出す。何もわからない状況でどうなってしまうのか、不安が募っていった。




