バカにされたら否定しよう
あなたはバカだろうか
もしバカでないならバカにされた時、否定するべきだ。それはあなたがバカでないからだ。例えば会社の同僚があなたのことを仕事のできないバカだと言ったとする。その時あなたは否定するべきなのだ。仕事ができなくてもバカではありませんよね?仕事ができない人間であっても、それだけで僕がバカになる証拠は不十分ですよね。と。
すると相手は黙って去るか、悪態のある戯言を吐いて雰囲気の悪くなった場をあなたのせいにするだろう。けれどあなたをバカにする場だったのだからぶち壊してオールOKなのだ。相手が去ってくれれば鼻歌でも歌って煽ればいい。最悪なのは曖昧に頷いて否定もせず後でうじうじと自分を責めることだ。
悪口が好きな人は一定数いる。でもそれは、この人がいかに悪い人間なのかを伝えたいというよりかは、もっと簡単な理由が多い。バカにすることで自分がバカにされない少し上の位にいると思いたいのだ。そんな弱者的な理由が普通の人間に悪口を言わせているのだろう。
だから否定するのが最高なのだ。バカにされれば否定する。相手はそれ以上言ってこなくなる。悪口を言う理由は自分の優位性を確立したいからであって、否定してこられると自分の言っていることが間違っていると言う自己嫌悪が彼らの中で始まってしまうからだ。
だから否定しよう。否定すれば相手はもう言ってこなくなる。そうすればあなたはバカにされることのない人間になれる。
よく社会で言われることがある。バカにされたくなかったから頑張った。バカにされるのが嫌で本気で努力した。そんなことを成功者は言い、それを大衆は信じている。それがいかにバカなことか。どれだけ頑張ってもどれだけ優秀になっても経済面で富豪一族には勝てないし整形して美人、美男になっても生まれつき美形の人々には勝てない。どれだけ勉強しても鉄緑会出身の人や海外大学在籍の人には勝てない。どんな人よりも優れて誰からもバカにされないと言うのは不可能である。
バカにされたくないなら否定すればいい。それでバカにされなくなるのだ。裏でバカにされていたとしても自分がその場にいなければどうでも良いだろう?最初から人に好かれているのが当然と考えるのはいかに愚かか。人間は正味、自分以外の相手、まして血縁関係も幼馴染でもない人間などどうでも良いのだ。金儲けができれば協力するし同僚なら仲良くして損はないだろう。けれどその縁がいついかなる方法で切れることになってもあんまり悲しまないのではなかろうか。
だから否定して嫌われればいい。ただ嫌われるのではなく否定をして嫌われるんだ。自分をめんどくさい奴だと思ってもらうべきだ。もし自分が上位存在だと他人に思われても後が辛いだけだ。有名人は不倫が公になれば困るし健全有名YouTuberは問題発言に注意している。上位存在になって権威を得れば得るほど、その権威を失わないように緊張しなければならなくなる。
それはめんどくさくないか?
すごい人だと思われるのはそんなに重要か?
楽に生きる。社会のインフラはどんどん進化している。餓死者は減り医療も充実している。生きやすい世の中になっているはずなのだ。なのに人々はその生きやすいはずの社会で自分が上だと思いたがったりあるいは上になろうとする。上になってもめんどくさいし大変なのに。有名人は最後まで公に立つなんてあまり聞かない。だいたいが隠居する。それは体の不調か、精神の安らぎを求めているか。高齢になってもうすぐ死ぬと言う時に自分のやりたいことが社会的な圧力でできないなんて最悪だ。
だからそんなに高く物を見なくて良いんだ。それくらいには社会は僕らに優しくなっている。だからバカにされたくないのなら、バカにされないくらいの成功を成し遂げるよりも、ただバカにされた時にその都度否定するべきなのだ。否定してめんどくさがられて悪口を振ってこなくなる。そうなれば何の努力もなしでただ言葉だけでバカにされることがなくなる。成功するには莫大な努力が必要だ。でもバカにされたくないだけならそんな努力、本当は必要ない。
画期的すぎないか?
けれどそれに気づく人は少ない。実際に実行できる人も少ないだろう。人間関係がどうとかいってオドオドするのがほとんどだろう。相手が自分をどう思うかなんて自意識過剰とは思わないか?いちいちあなたは他人を批評したり気にかけているか?あなたが他人に無関心なら、本当は他人もあなたに無関心だ。
それならば人間関係のいざこざを気にするのは全くもって無駄だと言えないか?勝手な自意識過剰が作り出した幻想に気を取られて、大事な自分の人生を無駄にするのは非常に勿体無い。
僕が言いたいのはあくまでも一つだけ。それは極めて実用的で効果的な手法だ。
バカにされたら否定しろ。
それだけであなたはバカにされない。




