第九話 ウェヌスタ滝で昼ごはん
シルヴァン聖堂から外へ出たジェイド達は、そのまま宿舎へ戻る予定だった。
「俺、バケットサンドを持っているんだが、遅いお昼を一緒に食べないか?」
「えっ……?」
「近くに、綺麗な滝があるんだ。今からそこへ向かうぞ!」
ダグラスのはつらつとした声とは裏腹に、ジェイドは部屋に籠りたかった。
「でも……今は、そんな気分ではないので……」
「つべこべ考えるな。そら、乗れ!」
ダグラスは軽々とジェイドを鞍に乗せると、ワンショルダ―のマントをバサリと広げ、軽やかに軍馬に跨った。マントを広げて乗り込むその姿がとても凛々しくて、黒のマントがまるでコウモリのように見えた。
「ふふっ、君たち、まるで親子に見えるね」
カルロス隊長の『親子』という言葉に、ジェイドは全力で否定をする。
「そ、そんな……カルロス隊長!!からかわないでください」
「ジェイド、またな!副隊長、俺たちの分まで楽しんできてください」
アレン、ジェイク、レオの3人がこちらに手を振る。
「それじゃあ、行くぞ!しっかり捕まってな」
しなやかに手綱を振ると、軍馬は嘶いて前足を高く上げる。大きな動作に驚きつつも、ジェイドは鞍の取っ手に食らいつく。
シルヴァン聖堂の敷地を出ると、ダグラスの馬は吊り橋を渡らず、崖の道を左に進んだ。
山登りの砂利道を軍馬は軽やかに悠然と駆け抜ける。しばらくして分かれ道を馬は右へ曲がった。
すぐに木漏れ日のトンネルに入ると、馬蹄が湿った土を蹴り上げ、四拍子の速度に落とした。ひんやりとした風を全身に浴びて、肌にこびりついた玉のような汗が気化していった。
「夏の日差しが暑かったからな。ここはとても涼しい」
「はい。そうですね」
ジェイドの頬が緩むと、ダグラスもそれに合わせて微笑んだ。
高いもみの木の森。
鳥の声が近くで響く。
カワセミだろうか。仲間に合図をおくっている。
木漏れ日の長いトンネルをくぐり抜けると、鬱蒼としたけもの道へと変わっていた。先ほどとは違い、もみの木が密集している。
「ここからは、歩いていこう」
ダグラスは馬を引きながら、上流へと草むらを進む。ジェイドは馬の尻尾を左右に振るのを眺めながら、後を追った。
「遅れるなよ?」
「分かってます」
もみの木は、どれも大柱のように高くそびえ、所々で夏の矢が零れ落ちる。影と光のコントラストは神秘的で、厳かな森の聖域のようだ。
足元には深緑の苔やキノコが生えている。草花も所々に生えており、可憐なスミレに、ジギタリス、ヤグルマソウが小さく咲き誇っていた。
土と雑草と木の香り。サクサクと落ち葉踏む音が冒険心をくすぐる。
やがて滝の瀑声が近くに聞こえてくると、辺り一面、涼しい空気を漂わせていた。もみの森を抜けた先にそれはあった。
「見えてきたぞ。あそこに見えるのが、レメール川だ。そして、向こうにあるのが、乙女の滝と言われているウェヌスタ滝だ」
「横幅の長い滝で、1本の滝ではなく、三段に分かれて落ちていることから、令嬢のドレススカートに見立てて、そう呼ばれているのですよね」
「ははっ、そうだ。物知りだな」
「一度来てみたかったんですよ」
緑豊かな崖の間から、幾筋もの白い水しぶきがカーテンのように流れ落ちており、中央部には勢いよく水が流れている。その周囲にも繊細な白いレースのような滝が優雅に広がっていた。
滝の周りは鮮やかな深緑の植物や艷やかな苔に覆われて、生気に満ちている。流れ落ちた水は、透明感のある美しいピーコックブルーの滝つぼに溜まっており、瑞々しい空気が身体に染みる。
ダグラスは、手綱と背中の鞍を外して、馬を自由にしてやった。馬は機嫌が良さそうに川辺で水を飲んでいる。
「馬は逃げないのですか?」
「ああ、逃げないさ。俺の相棒だからな。彼女は賢いんだ」
「メスだったんですね。凛々しいからオスだと思った」
「確かに気性は荒いが、いい馬だぞ」
ジェイドたちも馬の後を追って、足元に気をつけながら川辺へと近づいた。川底まで透き通った水は、目を細めるほど銀色の日差しを反射させていた。
「お前、泳げるか?」
「いいえ、全く泳げません」
「じゃあ、落っこちないように気をつけるんだぞ」
「はい!」
「もう少し、滝寄りに行こう。大きな岩の上でランチとしようか」
大きな花崗岩が幾つも折り重なる川辺を、飛び石のように移動するのだが、5歳児の足では岩と岩の間が飛び越えられない。見かねたダグラスはジェイドを軽々と抱っこする。
「ダグラス副隊長!俺、大丈夫ですから」
「いや、ここは大人の役目だ。黙って抱っこされとけ」
ダグラス副隊長は、素早く岩から岩へと飛び移ると、平らな一枚岩の上までやってきた。ジェイドは、逞しい胸筋に抱かれ、頬に熱を感じながらも、手はしっかりダグラスの服を握りしめていた。
「ここでいいだろう。ちょうど日陰だし」
ジェイドを下ろすと、ダグラスはドカッと座り、シワだらけのブーツを脱ぎ始めた。
「なんで靴を脱ぐのですか?」
「暑いし蒸れるからな。滝の水で少し足を冷やしてくる。お前も来い」
ジェイドも真似をして革靴を脱ぎ始めた。
「じゃあ、そこまで抱っこをお願いします」
両手を上に差し出すジェイド。
「フフッ、ようやく普通の子供のように図々しくなってきたな!」
ジェイドをさっと抱っこをして、岩から岩へと飛び移る。滝つぼの近くまで来ると、2人は腰を下ろした。
轟音の中、滝つぼは落ちてくる水をただ悠然と受け止めている。底はかなり深いだろう。側にあった小石を落とすと、ドボンと低い水音をたてて、あっという間に青緑色の中へ消えていった。
「深そうですね」
「足をつけてみろよ。気持ちいいぞ」
小さな足先をそっと水面につけてみる。氷水に浸けているかのような冷たさに、すぐに足を引っ込めた。もう一度その足を水面につけると、水流が指と指の間を滑らかにすり抜ける。
二つ並んだ大きな足と小さな足。足だけなら、親子のように見える。
「川の水が心地いいです」
「だろうな。お前水属性だし、おまけに水の精霊までついてるもんな」
「副隊長は、何属性ですか?」
「俺は、風と土の二つだ。どっちかって言うと風のほうが得意だな」
ダグラスが人差し指の上で小さな竜巻を起こすと、水面に投げつけた。すると、風が水の上を滑り、透明な直線を描いた。
「魔力コントロールがお上手ですね」
「お前もやってみろ」
ジェイドは、へそにある魔力臓器を意識した。
(流動的で瑞々しい魔力……へそから、胸へ、そして肩から指先へ……)
ジェイドの小さな人差し指から水滴が零れ落ちる。
(回転させて、形を維持……)
指先をくるくる回すと、やがてコインぐらいの水の塊に膨れ上がった。水の玉をさらに超加速で回転させる。遠心力で楕円になった水をジェイドは水面に投げつけた。
「それっ!!」
ジェイドの水の玉は水面を何度も跳ねて、向こう岸へ消えていった。
「上手いぞ。水で水切りするとはな」
「いいえ。全然ダメです。水の魔力コントロールは、まだ慣れないから」
ジェイドは手の平の皮膚から水が溢れ出した。それを魔力で水を螺旋状に捻じ曲げたり、伸ばしたり、水の感触を確かめる。
すると、いきなり横からダグラスの手がジェイドの手を掴んだ。驚いたジェイドは、手の平の水をバシャリと水面に落とす。
「実はな、団長からお前を俺の家で預かれと言われているんだ。今日はそのことについて話そうと思ったんだ」
ジェイドの瞳の奥にぐるりと光が潤った。
「ダグラス副隊長の家?」
「そうだ。お前が嫌じゃなかったら、そうしてほしい。それにうちには10歳になる娘がいてね。いい話し相手になると思う」
「……」
「どうした?」
ジェイドは、そっとダグラスから手を離した。
「よそ者が家に来るなんて、俺、邪魔になりませんか?」
ダグラスは、ジェイドの頭を強く撫でた。
「お前。チビのくせに、変な気遣いしやがって。なんでもっと素直に大人に助けを求めないんだ!?」
見上げると、ジェイドの眉間にシワが寄り、鼻頭が赤くなっていた。ダグラスはどこか痛そうな表情をしている。
「大人が信じられないのは分かる。お前は、とんでもなくひどい目に遭ったからな。でも、それでも、もう少し俺らを頼れよ。お前一人ぐらいどうにかなるから!!」
ダグラスの言葉に心が揺らいだ。
「ダグラス副隊長。俺は……誰かに期待してしまうことが怖いんです」
「何、怖いだと?」
「期待して……期待しすぎてしまった後に……現実を突きつけられるのが、怖い」
頭に触れたダグラスの手がそっと離れた。
「それに俺は、行かなければならない場所があります」
「アクメリア公国か?」
「はい」
ダグラスは深いため息をついた。
「今はやめろ。5歳のお前が獣人の国へ行くのは自殺行為と同じだ」
「……その間にも、俺の両親が探していたら?それを考えると、早めに動かないと……」
「焦る気持ちもわかるが、今はカンタルス辺境大公の動きが読めないから、お前はしばらく身を隠したほうがいい」
その言葉に眉を歪めた。
「まだ狙っていると?」
「もしもの為だ」
轟く音が激しくて、胸の内にまで滝に打たれているようだった。
「……お前、今日の夜。俺の家へ来い」
「……えっ!?」
「その前に、腹減った。そろそろ飯にしよう」
ダグラスが立ち上がった。ジェイドは、鍛えられた二頭筋に脇腹を担がれると、そのまま先ほどの革靴が脱ぎ捨てられた岩場まで軽快に移動する。
ダグラスが亜空間収納から紙袋と水筒を取り出すと、袋の中身はバケットサンドが入っていた。レタスにスモークハム、トマトに卵が入った豪華な昼ご飯。
「お腹が空いていたら、いいアイデアも浮かばないだろう。ほら、お前の分だ。しっかり食べろよ」
「……いただきます!」
ダグラスから手渡されたバケットサンドは、香ばしい小麦の香りがジェイドの食欲をそそらせた。
二人は黙って、バケットサンドに勢いよく食らいつく。互いに食べっぷりを目で確認し合うと、自然と笑みが溢れ出た。
来週の土曜日、18時30分頃に投稿します。




