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第八話 父親の裏の顔

視線の先にある祭壇には、この間見た数人の神官が集まっていた。一人の老女がその輪の中に混ざっている。


老女は身分が高いのだろう。他の神官とは違って紫色のストラを首にかけており、豪華な白のプリーストローブは金糸や銀糸であしらった百合がとても映えていた。


「あら、君がジェイド君ですか。こちらへいらっしゃい」

 

柔らかな声で、呼び掛ける。


ダグラスに背中を押され、ジェイドは老女の近くへ駆け寄った。


「初めまして。わたくしはロザリー。ロザリー・オルガレオン大司教と申します」


「初めまして、ジェイドです」


ステンドグラスがまるで後光のように輝いた。ロザリー大司教は慈悲深くにこりと微笑む。


港町に沈む夕焼けの空に、バターとガーリックの香りがする小さな食堂。


以前、母さんと一緒に旅をしたときに出会った、港町の親切な食堂のおばあちゃんにそっくりだ。


「ジェイド君。君にとっては、とてもつらい体験をしました。それが、創世主ゼロニウス神に仕える大神官の仕業だったという事実は、教団にとってこんなに恥ずかしいことはございません」


ロザリー大司教の毅然とした声が聖堂に重く響き渡る。後ろの神官たちは、無言で唇を引き絞める。


「神官の衣を纏った悪党共は、以前から貴族から違法に金品を巻き上げ、非道な行いをしてきたの。今回は世の理から外れた禁忌を犯そうと、幼い命を狙うという罪深いことをしたわ。これは、魔術協会の刑法とバーモント帝国の法律に則り、裁かれなければならないの。ここまでの話は理解できますか?」


「……はい、理解できます」

「……君は、記憶を失っているそうね」

「はい。ここに連れてこられる前の記憶がどうしても思い出せません」


すると、ロザリー大司教は、視線を落とし、憐れんだような表情をみせた。


「でも、そんなに悲しんではいません。今を生きることで精一杯なので」


「そう。君は強い子なのね……」


ジェイドは首を横に振り、赤い絨毯に視線を落とす。


(その逆です。とても弱くて卑怯なんです……)


「お聞きしたいことが一つあります」

「何でしょう?」

「カンタルス辺境大公は、今どうなっているのでしょうか?」

「気になるの?」


「はい。自分の子供の魂が天に召されたというのに、俺を殺してまた命を吹き込もうなんて……。それが本当に親心なのでしょうか」


ロザリー大司教は、視線を落とした。光をなくした瞳には、憂いの陰りが窺えた。


「……親もいろいろなのよ。カンタルス辺境大公に事情を聞いたわ。愛が強いほど、人は愚かになるものなの」


「愛!?それは、誰に対してですか?身重の侍女を屋敷から追い出したくせに」


一瞬、聖堂内が静寂に包まれた。


「……ジェイド君。君、何処からその話を?」


ロザリー大司教の声が厳しくなった。


「あっ。……えっと、逃げる時に、向こうの騎士たちの会話をこっそり聞きました」


(俺がシリウスとして生きてきたことは絶対に言えない)


「……ずっと探していたようなのよ。最愛の女性ユリア様と生まれたであろう赤ん坊を。カンタルス辺境大公が隣国との紛争を締結させるために、4年間屋敷を空けている間に彼女は行方不明になっていた」


「行方不明!?あの人が追い出したのでは?」

「勝手に家臣が動いた……という可能性がある」



未来が見えない夏の日。

楓の木に力なくぶら下がる両足。

皺だらけの唇。


『お前さえ……生まれて来なければ、……私は……まだ、あの方の……侍女で……いられた…のに』



記憶の蛇が心を抉るように噛みついた。ぐらりと歪んだ世界。止まらない体の震え。暴れる心臓。冷や汗を掻きながら、必死に腕に爪を食い込ませる。


「大丈夫?」

「……」


「一年近く探し続けて、やっと見つけたのに遅すぎてしまった。ユリア様は亡くなり、そして息子さんは、飢餓状態で虫の息だったと聞いたわ。すぐに探してやれなかったことを、カンタルス辺境大公は悔やんでいた。あの大きな肩をがっくり落とした姿は見るに堪えなかったわ」


思いもよらない言葉にジェイドは硬くなった喉を動かした。


「悔やんでいた!?……本当に?」

「ええ、本当よ」


ジェイドは臨界で会った『五才のシリウスの魂』を思い出していた。



小さく痩せた体に、小枝のような手足。

頬はこけ、目の周りは窪んでいる。

パサついた前髪の奥に、限りなく深くて無垢な、アイスブルーの瞳が微かに潤っていた。


『肉体と魂は本来、常に対なんだ。結ばれていた肉体が死んで、ようやく魂は天界へと行ける』


シリウスの魂は、あの何もない白と黒の世界でどれほどの長い時間、孤独をかかえていたのだろうか。シリウスの魂はずっと、自分の肉体が死ぬのを一人でじっと待っていたのだ。生きていたあの頃だって、一人で辛かったはずなのに……。



母親がぶら下がっている木の下で、シリウスは一人、燃えるような茜色の夕日を眺めていた。突然降ってきた黄金色の粒がシリウスを濡らす。



《あぁ、金色の世界に溶けてなくなりたい――》



ジェイドの目から一粒の涙が頬を伝った。


「……あの子は、……あの子は、もう疲れていたんだ。休みたかったんだよ。なのに……今更、愛していたとか、悔やんでいるとか……もう、いい加減、やめてくれよ。どうか、穏やかに眠らせてやって――」



ジェイドはしゃがみ込み、顔を両手で塞いだ。背中を丸め、小刻みに震えている。


しばらくして、ロザリーの手が小さな背中にそっと触れた。それは孫に向けるような温かい手つきだった。


「そうね。そうよね。君の言う通りよ。天に召された魂は、光の中で安らかに眠りにつかなければ、心が報われない。ルドルフは親として悲しい現実に向き合わなければいけなかったの。蘇らそうなんて、親のエゴだわ」


ロザリー大司教の声はとても柔らかで、落ち着いていた。


「国王は……カンタルス辺境大公をどうなさるおつもりでしょうか?」


眉間にしわを寄せ、考えている様子を見せる。


「それは……わたくしにも分からないわ。でも、バーモント国王もそのことについては心を痛めていらっしゃると思うの。ことが事なだけに、情状酌量の余地ありとされるかもしれないわね」

 

ジェイドは黙って袖で涙を拭う。


ロザリーが一拍打つと、その乾いた音は、聖堂の天井に跳ね返った。


ジェイドの体がビクンと跳ねる。


「さて。もう一ついいかしら?」


ロザリー大司教は、ポケットからハンカチを取り出し、ジェイドの手に渡した。潤んだ世界をハンカチで拭う。


「ジェイド君。君は、ここで立ち止まっている暇はない。君は、君の人生を歩まなくてはならないの。今後の事を考えるためにも、魔力検査を受けましょう」


ジェイドは、ハンカチを握りしめ、静かに頷いた。


ロザリー大司教は祭壇の上にある大きな水晶玉の前に立った。その水晶は西瓜ぐらい大きく、透明度が高いものだ。


「ジェイド君。ここに両手をかざしてごらんなさい」


ジェイドは鼻水をすすりながら、両手を水晶玉の前にかざす。すると、水晶玉に小さな気泡がぷくりと浮かび上がった。


次第に大きくなると、水晶玉から目に刺さるような青白い閃光が走った。水晶から飛び出したのは、魚の形をした水だった。胸ヒレと尾ヒレが長いフナのような魚の形をしている。


「「おぉ〜〜!!」」


隊員達の感嘆する野太い声を聞きながら、ジェイドを除いた全員が、水の魚に視線が釘付けになる。水の魚は優雅に宙を飛び跳ねながら、辺りを一周すると、ピシャンと水晶の中へ入っていった。


再び静寂が戻ると、辺り一面湿気を纏っていた。それは不快なものではなく、まるでミストシャワーを浴びたような清々しい余韻を残して。


ロザリー大司教はこの光景に口を押えている。後ろの神官はひそひそ話を始めた。


ジェイドは、何も考える気力と余裕がほとんどない。


「……ジェイド君」

「……」

「ジェイド君、聞いてる?」

「……あっ、はい。すみません」


「君の魔力量は、既に一般の下級魔法使いと変わらない量を持っているわ。しかし、その年齢にしては凄いことなのよ。そして、何より君は水の精霊に愛されている。きっと家系が水属性なのね」


「……家系?」


「この国で水の属性というのは珍しいの。あと神はもう一つ君にギフトも与えたみたい」


「神からのギフト?」


「貴方のギフトは【復活の恵み】ね。自分の魔力や生命力が枯渇しかけた後に養生すると【復活の恵み】によって、全てのスキルが二倍から三倍に跳ね上がるというかなり珍しいレアなギフトなの。知識として知っていたけど、実際こうして会うのは初めてだわ」


ジェイドは深呼吸をして、重い口を開いた。


「あの……ロザリー大司教。水属性の多い集落とか、一族の話を聞いたことありませんか?」


 ロザリー大司教は、自分の顎に手を触れて、視線を左上に向けた。何か思い出そうとしている……。


「記憶があるけど……。確かこの国には水属性の家系の始祖はいないと断言できるわ。縁があるとすれば、カンタルス領の北部に面する国……」


「オーレリア王国。獣人の国ですか?」


「いいえ。オーレリア王国の更に北にある、アクメリア公国……その昔、少数の水を極めた者たちが住むと言われているわ。もしかすると、君の先祖様と関わりがあるのかもしれない。でも、そこに君のご両親がいると確信できないけど……」


「……それだけ聞けたら満足です。ありがとうございます」


ジェイドはロザリー大司教にきちんと頭を下げた。


タイミングよく、カルロス隊長が近づいてきて、ロザリー大司教の前で愛想よく敬礼を捧げる。


「大司教、本日はいらっしゃって下さり、ありがとうございました。今後は裁判所でお会いすることになるかと思いますが、よろしくお願いしますね」


「ええ、あなたもお疲れね。カルロス様」


ジェイドは、早くここから出て、外の空気を吸いたかった。今は、上手く感情が働かない。それもそうだ。母と過ごした壮絶な時間は、父親のことを恨むには十分すぎるほどだった。


それなのに、回帰して初めて憎しみのベクトルが狂ってしまった。切っ先を向ける相手には、母への愛があった。


ジェイドの奥歯が軋んだ。が、首を横に振って深呼吸をする。


(今の俺はジェイドだ。カンタルス辺境大公から命を奪われそうになった、ジェイドなんだ。俺は自分の人生を生きるためにも、余計な感情はこの聖堂に置いていく!!)



聖堂の鉄の重扉が軋みながら薄っすらと開く。真夏の日差しが聖堂内へ差し込むと、ジェイドは振り返らずに光の方へと歩き出した。



第九話は19時に投稿します。

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