第三話 命の瀬戸際
一部暴力的な描写があります。
(痛っ……!!)
右腕が焼けるように痛い。ドクドクと脈を打っている。
低い声が、何重にも脳内に響いている。何を言ってるかは分からない。ただ、一人二人でないことは確か。
冷たくて固い石のようなものに寝かされている……。
湿った感覚、お香のような甘ったるい匂いが鼻の周りに纏わりつく。
腕が動かない、縄のようなもので縛られているようだ。
そっと、ジェイドは静かに目を開くと、白いローブをつけた太った男が、目の前で短剣を振りかざし、銀光が走った。
「くっ、我に力を!!【フィジカル・ブースト】」
――――刹那。ジェイドに波紋のような熱気が走った。
楔を切ったかのように、両腕両足の縄を引きちぎり、短剣を持った太い腕を両手で掴んだ。
鋭い短剣の切先が5歳のジェイドの服を裂く。
小さな両足をブヨブヨとした腕に絡ませ、俊敏に一回転し、関節技を決める。
「痛ってぇぇーーー!!!」
短剣が落ちて、ガシャンと乾いた音が鳴り響いた。
右肩を押さえた男は、地べたで悶絶している。
「こっ、こいつ、身体強化を使いやがった。みんなで押さえつけるんだ!!」
周りは大人5人。台上から見て分かったが、複雑な魔法陣が血で描かれている。
真っ赤な血がジェイドの右腕から滴り落ちる。
ここは薄暗く、地下牢屋のようだ。出口は一つ。
部屋には石の台と、明かりを照らすロウソク、そして神像と5人の神官。
一人の男が襲いかかってきた。男の顔にその血を飛ばし、視界の隙をついては、男の手首を掴んだ。軸をずらし、鋭く一回転。
悲鳴と共に体勢が崩れると、素早く男の背中を取り、太い首に足で挟んだ後、【身体強化】で締め上げる。
白目を剥いた男が泡を吐いて意識を失うと、男の首根っこを持ち上げ、他の三人に投げつけた。
その隙に、部屋の隅に向かって走り出し、直角の壁を左右交互に、連続で蹴りながら上へと上がると、天井の排気口の鉄の柵にぶら下がった。両腕に力を込めて、【身体強化】で隙間を押し広げる。腕の力だけで体を引き上げるその時だった。
――グサッ
左足に鋭い痛みが走った。投げつけた短剣が掠ったのだ。急いで排気口の奥へと逃げるジェイド。
「バカモン〜〜あの小童を逃がすなぁぁーー!!!」
男の怒号と、慌てふためく男たちの声が聞こえる。
その声が小さくなるまで、この狭くて長い排気口を忙しく這いずり回る。しかし、右腕の失血が酷く、激痛で冷や汗が体中から湧いてきた。纏わりつく血の匂いに死の恐怖が押し寄せる。
(子供の体だからか、魔力量もそんなにない。今の身体強化で魔力が半分以上失った)
「生命エネルギーを自然治癒力へ変換せよ【セルフキュア】」
ジェイドの左手が新緑色に光ると、朝露のような清水の玉が指先からいくつも滴り落ちた。ジェイドは傷口にそれを当てると、傷口の汚れは消え、傷はかさぶたのような血の塊となった。完ぺきとまではいかないが、応急処置はできた。
そのまま左足のふくらはぎにも治癒魔法を施す。左足のふくらはぎの傷はそこまで深くなかったので、上手く治せた。
ジェイドは自分の両手をじっと見つめる。
「体に巡る、柔軟で流動的なこの感覚……そうか、ジェイドは水属性なんだな」
サージス魔法学園で学んでいた頃のシリウスは、学年一位の成績を持つ頭脳明晰な男だった。魔法理論学の授業では、六つの属性の魔力感覚を体験したことがある。
再び、ジェイドは蜘蛛の巣だらけの暗い排気口を突き進んだ。僅かな風を頼りに右へ左へと這いずり回り、肘や膝はすり傷だらけに。しばらく土竜のように前進し続けると、鋭い光が目に差し込んできた。はやる気持ちを押さえつつ、土香る向かい風の方へと進んだ。
「はぁ、はあ、やっと外へと出られる……」
やっとのことで鉄格子を覗けば、外では、複数の兵士と大勢の魔法使いが相対していた。魔法使いのなかに、神官が複数混っている。
(どういうことだ、何が起きている?)
『カルタルス辺境大公!!ビクター大神官を大人しく差し出しなさい。あなた方が行おうとしている禁忌魔術は、違法です。魔術刑法第105条により、魔法城主アルテリス・ヴォル・ヘイムの名の下にあなた方を確保します』
はっきりと厳格な声で容赦なく言い放つ老女の神官。多分、拡張音声だろう。ここまではっきりと響いてくる。
「ガハハハハッ、やれるもんなら、やってみろ!!儂は、必ず息子を蘇らせてみせる。その後に捕まってやろう。それが親心というものだろう!!!」
(親心だと?身重の母さんを屋敷から追い出しておきながら……何を勝手なことを!!!)
ジェイドは、怒りに震えながら【身体強化】で鉄格子をギリギリとこじ開けた。シリウスの記憶を思い出す。
母さんと二人で激しく軋む乗り合い馬車に揺られ、街から町へと旅したあの日々。
冷たく固いパンを2人で分け合い、過ごした寒い夜。いつまでもそのパンを咀嚼し続けて、空腹を紛らわせていたあの頃。
元凶となったあの村と荒れ果てた最後の住処。
乾燥した唇にベリーを一粒触れさせた。
固く閉じた唇から、それは零れ落ちる。
『お前さえ……生まれて来なければ、……私は……まだ、あの方の……侍女で……いられた…のに』
寝ている母さんは、枯れた薔薇のような目をしていた。その瞳は俺をすり抜け、空虚を覗いているようだった。
あの言葉は蛇だ。薄皮を鋭い牙で突き破り、猛毒で激しい痛みと寒気と吐き気に襲われる。
これまで幾度となく襲われ、奪われる生気。
全ての原因は、向こうで暴れるあの男。シリウスの父親、カンタルス辺境大公。
強く握りしめた手から一筋の血が零れ落ちる。
奥歯をギリギリと噛み締めながらも、誰にも見つからないように、近くの茂みに身を寄せた。
しかし、ここで魔力が尽きたのか、酷い目眩がする。土から伝わる爆発音、地響き、怒号する声、剣と剣が交わる音……。まるで地獄にいるようだ。
(あぁ、もう、無理だ。……意識が揺らぐ……)
ジェイドは意識をズルリと引っ張られ、深い闇に堕ちていった。




