前髪……邪魔じゃない?
青空が広がった日曜日。
朝から、掃除機の音が紀子の部屋から響いていた。
居間では、大地がソファーに寝そべってテレビを見ていた。
テーブルを挟んだ、向かいのソファーに座った父親は新聞を読んでいて、母親は台所で朝ご飯の片づけをしている。
「朝から賑やかだな」
「姉ちゃん。今日の午後、男を連れて来るから」
「男ぉ!」
父親は新聞紙から顔を上げて、大地をみつめた。
「男って、何処のどいつだ!」
「ドイツ人じゃないよ。日本人だよ」
「大地!お前、何か知っているのか?」
「昨日、初めて会ったばかりだし」
「どんな人なんだ?年は?」
「背が高くて、かっこいいよ。性格も良いし」
「そ……そうか」
「年は、俺よりいっこ上って聞いたよ。大学二年生」
「紀子より年下で大学生?学生なんて、遊んでいるに決まっている!駄目だ、駄目だ!そんな男は!」
「ボーズさんは、そんな人じゃないよ」
「ボーズ?ボーズって言うのか?その男。へんな名前だな。ボーズ頭なのか?野球でも、やっているのか?」
父親の言葉に、大地は思わず「はぁ?」と言う顔をした。
台所で、二人の会話を聞いていた母親は、くすくす笑っていた。
大地が、自分の部屋に行ってしまい。
父親と母親は、台所の食卓で向き合って、お茶を飲んでいた。
「紀子が男を家に連れてくるなんて、初めてのことじゃないか」
父親の言葉に、母親は静かに答えた。
「そうですね」
「どんな男なんだ?変な奴だったら、俺は許さない!」
「大地は良い人だって、言っていたじゃない」
「しかしなぁ~」
「大地が認めるような方だから、紀子は家に連れて来るのよ」
「そうだが……」
父親は面白くなさそうに、お茶を飲んだ。ゆっくり湯呑みをテーブルに置くと、真剣な顔で言いだした。
「紀子が男を連れて来た時、それとなく顔を出した方が、良いんじゃないのか?」
「あなた!」
父親は思わず、首をすぼめた。
約束の時間に、ボーズは紀子の家にやってきた。
ボーズを自分の部屋に入れた紀子は、振り返りながら言った。
「迷わなかった?」
「大丈夫だよ」
言いながらボーズは、ベースをケースから出した。
二人は早速、阿部とボーズが作詞をして紀子が作曲をしたコミカルなラブソングを、昨日に引き続き練習を始めた。
練習をしていると、あっという間に時間が過ぎて行った。
そっと息をついたボーズは、紀子に言った。
「これなら、大丈夫だね」
「うん」
「ライブハウスに、集まった時。皆で、音あわせをしようよ」
「そうね」
返事をしながら紀子は、ギターを片付けた。片付け終えた紀子は、立ち上がりながらボーズに言った。
「疲れたでしょ。飲み物を、持ってくるわ。何がいい?」
「あのさぁ!」
「ん……何?」
なかなかボーズが言い出さないので、ベッドを背に床の上に座っているボーズの隣に紀子は座った。
ボーズはあぐらをかいた膝の上にベースを乗せ、低い音を鳴らしていた。
紀子は、黙ったままボーズをみつめた。
紀子の部屋に入った時から、紀子の口元に貼ってある絆創膏を、ボーズはずっと気にしていた。
……あれから、加持野と何かあったのでは……。
亜希とヤスから、加持野のことを聞かされたボーズは、ずっと加持野のことが頭から離れない。
「あのさ……昨日のあの男……」
「えっ?」
「ほら、紀子ちゃんを送った時、金髪の男が絡んできたじゃん。あいつ……加持野でしょ?」
だんだん小さくなっていったボーズの声に、紀子は思わず叫んでいた。
「……どうして……?どうしてボーズが、加持野のことを知っているの!」
「聞いたんだ。紀子ちゃんと別れた後、亜希ちゃんとやっちゃんから」
あまりの紀子の驚きように、ボーズは慌てて言った。
紀子は目を見開いたまま、ボーズをみつめている。
「……ボーズ……亜希ちゃんとやっちゃんから、何を聞いたの?」
ボーズはしばらく黙り込んでいたが、やがて思い切ったように言い出した。
「加持野は、元々バンド仲間だったんだってね。紀子ちゃん、加持野とつきあっていたんだよね」
「亜希ちゃん、しゃべったんだ」
「俺が亜希ちゃんから、聞いたんだよ!」
「昔のことよ。どうでもいいわ」
そっけなく言った紀子は、うつむいた。
……何故、加持野とつきあったりしたんだろう……。
そんなことを思っていると、紀子の視線にボーズは気がつき、顔をあげた。
「な……何?」
紀子にみつめられ、ボーズはベースを抱え込んだ。
「……前髪……邪魔じゃない?」
「えっ?」
「前髪。目の辺りまでかかって、邪魔じゃないのかなって」
「ああ……これ?」
ボーズは言いながら、目の辺りまでかかっていた前髪をかきあげた。
すると、少女マンガに出てくるような大きな目が現れた。
紀子は、初めて間近で見るボーズの顔に驚いた。
「前髪たらして、可愛いなぁって、思っていたけど。本当に、可愛い顔をしているんだ!」
「からかうなよ!」
ボーズは慌てて、前髪で目を覆った。
「だから、やなんだよ……小さい頃からよく女の子に間違えられて、それが嫌で前髪を伸ばして、顔を隠すようにしているんだ」
「そうだったんだ……でも、前髪たらしていたら、余計に女の子っぽく見えるよ」
「そっ……そう?」
慌てるボーズに紀子はくすくす笑い、そんな紀子にボーズはそっと言った。
「ねぇ……」
「何……?」
「作った曲、二人で歌うんじゃん」
「うん」
「服とか……揃えない?」
「ええ――っ。まさか、今時ペアルック?!」
思いがけないボーズの言葉に、紀子は声をあげた。
ボーズは、爆笑しながら言った。
「俺とペアルック着る?」
「やだぁ~」
紀子の笑顔に、思わずボーズは紀子の頬に触れながら言った。
「ほら、やっぱ。笑った顔の方が良いよ」
ボーズの手は、頬から絆創膏が貼ってある口元に触れていた。
「その絆創膏、加持野に殴られたの?」
紀子は黙ったまま、ボーズの手をそっと外した。
「……ごめん!」
我に返ったボーズは、慌てて謝った。
そんなボーズに、紀子は言った。
「私を笑わす為に、服を揃えようなんて言い出したの?」
「それもあるけど。せっかく一緒に歌うんだから、服揃えた方が盛り上がると思ったのも本当だよ」
「私なんかと、揃いの服着て歌っても良いの?」
「何、言っているんだよ!そんな言い方よせよ」
紀子は、ボーズをみつめていた。
「行こうよ、服買いに!」
「えっ?」
「一緒に歌う時に着る服を、買いに行くんだよ」
「でも……」
「揃いの服着て、皆を驚かそうよ!」
紀子は、しばらく考え込んでいた。そんな紀子を、ボーズは急かした。
「ねっ、行こう!」
紀子は、やっと顔を上げた。
「そうね……皆を、驚かしちゃおっか」
いたずらっ子のように言う紀子を、ボーズは笑った。




