第87話 証拠
女の手に握られたグラスの水面が
僅かに揺れていた。
「それに。
八木明人の顧客名簿を見ると、
今年になってから
あなたが店を訪れる回数は減っている。
あなたの言い訳と矛盾してるわね」
黒いドレスの女の視線がグラスの水面を捉えた。
「あなたは店に通わなくても
彼の行動を監視できるようになった。
盗聴でもしてたのかしら?
そのためにあなたは八木明人の近くに
引っ越した。
違う?」
黒いドレスの女は「ふふふ」と笑った。
女は黒いドレスの女に気付かれぬよう
そっと息を吐き出した。
「・・お話になりませんわ。
盗聴ですって?
そこまで仰るのなら
証拠はあるのでしょうね?」
「残念ながら。
盗聴器はあの日、
八木明人が捕まった日に
あなたか大烏亜門のどちらかが回収した」
「つまり証拠はないということですね?」
女は口元に手を当てて「おほほ」と笑った。
「そうね。
今更あなたの自宅を調べたところで
証拠が残ってるとは考え難い。
でも八木明人があなたのストーカーだという
あなたの主張は嘘」
「また想像ですか?」
女は呆れたように大きく溜息を吐いた。
「注目すべきは、
なぜあなたが
そんな嘘を吐かなければならなかったのか?
ということ。
それは八木明人が大烏亜門に
ストーカー被害の相談をしていたから」
女は目を丸くした。
そして一瞬の後、
込み上げてくる笑いを必死に堪えながら
女は口を開いた。
「仰っている意味がまったくわかりません。
その理屈でどうして私が
嘘を吐く必要があるのです?
それに主人は彼からそんな相談は
受けていないと言ってました。
当然、
警察にもそう話したと聞いています」
「でも2人は頻繁に会っていた。
『シュガー&ソルト』という喫茶店で。
その事実に尤もらしい理由をつけるために
大烏亜門は逆転の発想を思いついた。
八木明人がストーカーであなたが被害者。
大烏亜門は八木明人に
ストーカー行為をやめるよう
説得するために会っていたと」
黒いドレスの女はグラスを手に取った。
そして一口飲んでから女の目を見た。
「すべては貴方の想像でしょう?
仮に貴方のその想像が当たっていて
私が彼のストーカーだったとしても。
私が2件の殺人事件の犯人だという証拠は
ありませんわ」
女は黒いドレスの女の視線を
正面から受け止めた。




