第82話 10月22日。土曜日。
この日の稲置市は
朝から秋晴れに澄み渡っていた。
浜ノ町西3丁目の裏通りに
年季の入った2階建てのアパートがあった。
アパートの前の古い館銘板に
『葉隠荘』
の文字が辛うじて読めた。
10月22日。土曜日。昼下がり。
2階の角部屋のドアが開いて女が姿を現した。
女は階段を下りると
そのまま表通りへ歩を進めた。
通りを挟んだ向かいに
『空き日と』
という名の小さな店があったが、
数日前から閉まったままだった。
女は店の前を通り過ぎて
その先にあるバス停で足を止めた。
バス停には誰もいなかった。
しばらくしてバスがやってくると、
女はそのバスに乗り込んだ。
すると女の後からもう1人、
黒いドレスの女が駆け込んできた。
前から3列目の席に座ろうとした女の後ろを、
黒いドレスの女は素早く通り過ぎて
最後部の座席に座った。
バスの中には数人の乗客しかいなかった。
突然現れた2人の美女に
他の乗客は目を奪われていた。
バスは静かに走り出した。
バスが稲置駅に着いた時、
乗客は2人だけだった。
女が先に降りて、
黒いドレスの女がその後に続いた。
バスを降りた女は駅ビルとは反対の方向へ
歩き出した。
駅前の大通りの赤信号で女は足を止めた。
人通りは少なく大通りは寂しかった。
近年。
稲置市は郊外に相次いで大きな商業施設が建ち、
そのため市街地の活気がなくなりつつあった。
車社会でもあるこの街では、
駐車場の心配がない郊外へと人が流れるのは
或る意味必然だった。
信号が青に変わり、
女はゆっくりと歩き出した。
すれ違う男達の視線が
自分に注がれていることを女はわかっていた。
横断歩道を渡り終えると、
女はアーケード街の入り口にあるコンビニへ
足を向けた。
しかし。
女はコンビニへは入らずに、
その横の狭い階段を上っていった。
階段の脇には小さな看板が置かれていて、
『珈琲無愛想』の文字が読めた。
階段を上がるとすぐ目の前にドアがあった。
ドアノブにかけられた小さな黒板には
「ホットプレスサンドセット 780円」
「本日のスペシャルティ ゲイシャ」
と書かれていた。
女がドアを開けて中に入ると、
カウンターに座っていた2人の男が振り返った。
1人は30代くらいの男。
もう1人は還暦を過ぎたであろう白髪の男。
2人は女の美しさに目を奪われた。
女は男達の視線を認めつつ
店内を見回した。
狭い店内には目の前にカウンター席が6つ、
左手には壁に沿ってテーブル席が
L字型に4つ並んでいた。
手前から2番目のテーブル席には
若いカップルが座っていた。
女は奥へと進んだ。
テーブル席に座るカップルの横を通り過ぎる時、
男の方と目が合った。
それは一瞬だったが、
その一瞬で女は魅力的な自分の容姿に
男が目を奪われたことを悟った。
女は一番奥のテーブル席へ向かった。
女が席に着くと、
店内でただ1人、
女の美しさに何の反応も示していなかった
坊主頭のマスターがやってきた。
「いらっしゃいませ」
マスターは無駄のない動きで
テーブルに水とおしぼり、
そしてメニューを置いた。
女はメニューを見ずに
ホットプレスサンドセットを注文した。
マスターがメニューを持って
カウンターに戻ると、
ふたたび入り口のドアが開いて
黒いドレスの女が入ってきた。
店内にいる3人の男性客の視線が
ふたたび入り口に集中した。
3人は黒いドレスの女の美しさに
目を奪われたものの、
同時にその格好に唖然とした。
流行に敏感な30代の男は、
ハロウィンの仮装には
まだ少し早いのではないかと首を傾げ、
白髪の男は、
外国の人形さながらの姿に圧倒されていた。
カップルの男は
目の前に座っている彼女と見比べて
小さな溜息を吐き出した。
そして3人は
黒いドレスの女の大きく開いた胸元に
頬を緩ませた。
そんな3人の視線に気付いていないのか
黒いドレスの女は
ゆっくりと奥へと歩いていった。




