第59話 10月13日。木曜日。
10月13日。木曜日。
この日。
太陽が沈みかけた頃にスマホが震えた。
画面に表示された名前を見て
僕の心臓が跳ねた。
僕は小さく息を吐いてから震える指で
「応答」ボタンをタップした。
「・・安倍瑠璃です」
聞き慣れた懐かしい声がした。
「い、いつも・・
あ、ありがとうございます」
声も僅かに震えた。
「予約を入れたいのですが・・」
「しょ、少々お待ち下さい」
僕は一旦スマホを離して唾を飲み込んだ。
頭が目まぐるしく回転していた。
「じゅ、16日の日曜日は・・
ど、どうでしょうか?
じゅ、19時以降なら、
な、何時でも空いていますが・・」
ドクッ。
ドクッ。
ドクッ。
自分の心臓の音がはっきりと聞こえた。
「・・それなら。
19時でお願いできますか?」
獲物が餌に食いついた。
「で、では16日の19時で予約しておきます」
「よろしくお願いします」
そして通話が切れた。
僕はしばらくの間、
その場にぼうっと佇んでいた。
それから我に返ると急いで外に出た。
そして大烏に連絡した。
「も、もしもし。
い、今彼女から連絡がありました」
大烏に繋がると僕はすぐに報告した。
「16日の19時に予約を入れたので、
施術が終わるのは
20時30分くらいになると思います」
「ふむ。
それなら彼女を野分岬に連れてくるのは
21時を過ぎるか」
大烏の声は至って普通だった。
それはまるで世間話をしているかのようだった。
「問題は犯人をどうするかだが。
君もわかっているとは思うが、
この計画において我々は
犯人を警察に引き渡すことはできない。
彼女が襲われている時間、
君は宿禰にある私の自宅を訪ねていることに
なっているからね」
そう。
この計画において
犯人を警察に引き渡すという選択肢は
端から存在しないのだ。
「前にも少し話したと思うが、
私なら犯人の口を封じてしまうがね」
「そ、それは・・」
その先を自分から口にする勇気はなかった。
僕は大烏の言葉を待った。
沈黙が流れた。
「も、もしもし・・大烏さん?」
その沈黙に耐え切れず僕は大烏の名を呼んだ。
「・・殺すんだよ」
冷静で沈着な大烏の声が聞こえてきた。
僕はスマホを耳に当てたまま、
知らず知らずのうちに歩き出していた。
「野分岬ということなら。
・・灯台から死体を投げ込めば
しばらくは見つからないだろう。
念のために重しを着けて沈めてしまえば
海底で魚の餌だ。
そうか。
どうせなら死体は発見されないほうがいいか」
大烏は1人で勝手に話を進めていた。
「ま、待ってください」
僕は慌てて口を挟んだ。
「ふむ。
何か問題でもあるかね?
本来。
人の命を奪った者は、
その命をもってのみ償うことができるのだ。
まあそれを我々の手で執行するのは
問題かもしれないが、
この犯人は2人の人間の命を奪っている。
人の命が等価交換であるなら、
この犯人は当然、
死ぬに値する。
それに。
司法に委ねたところで
どうなるかわかったものではない。
善人ぶった人権派が
死刑反対を唱えるのは目に見えている。
それにたとえ死刑になったとして、
刑が執行されるまでの生活費は
我々の血税から賄われるわけだ。
臆病で無責任な法務大臣は
己の職務を全うせずに
分不相応な報酬だけを得ているのが現状だ。
この犯人を殺すことは
そういった点でも効率的なのだよ」
大烏はそう断言した。
「君は罪が露呈することを
心配しているだけだろう?
つまりはその後の罰を恐れているのだ。
だが。
その心配はない。
この国の無能な警察を欺くことなど簡単さ。
事故を装った殺人。
自殺に見せかけた殺人。
死因不明は心不全。
死体が出なければ行方不明。
逃げ道などいくらでもあるのだよ」
そして大烏は笑った。
「殺人事件を扱う
ドラマや映画が多い理由を知ってるかい?
これはメディアを利用した洗脳だよ。
警察は優秀で悪いことをすれば罰せられる
という幻想を
国民の意識下に刷り込ませているのだ。
広義の意味でのサブリミナルさ。
しかし実際のところ。
世の中未解決事件ばかりだ。
それでも。
事件になっているだけマシだと
彼らは口を揃えて言うだろうがね」
大烏の言葉が呪文のように
僕の頭の中を駆け巡った。
「君にとっては犯人の存在こそが脅威であり、
その脅威を取り除くには、
犯人を殺すという選択肢以外ないのだよ。
それとも他にいい方法があるのかね?」
その時。
ふとした疑問が頭をかすめた。
もしかしたら。
大烏はこれまでにも
人を殺したことがあるのではないか。
僕は深呼吸をした。
ここで犯人を殺せば大烏も共犯になる。
そうなれば今後、
この男が僕を裏切ることはない。
そして。
大烏が味方であれば
これほど心強いことはない。
「・・わかりました」
気が付くと
『シュガー&ソルト』の看板が見えてきた。
僕はそのまま店の前を通り過ぎた。
窓からカウンターにいるもしほの姿が見えた。
「ふむ。
それならば。
むしろ彼女を別の場所で襲い、
犯人を野分岬に連れていくほうがいいだろう。
そうすれば。
犯人の死体を処理することも簡単だ」
たしかに大烏の言う通りだった。
死体の処理において
野分岬ほど適した場所はない。
そこで僕は『千代丸急送』のことを話した。
「ふむ。
運送会社の倉庫か。
なかなか良い場所に目を付けたね。
では君は彼女を連れてそこに行き給え。
そして彼女を堪能した後で
野分岬に向かうのだ。
私は現れた犯人を捕まえて
野分岬へ連れていこう」
こうして僕達2人を乗せた列車は、
先の見えないトンネルへと入った。
この暗く長いトンネルを抜けると
そこには何があるのだろう。
純白の雪国か。
それとも太陽が眩しい南国か。
そもそも出口はあるのだろうか。
ただ暗い穴が
果てしなく続いているだけかもしれない。
それでも。
もうこの列車から降りることはできない。




