第31話 満月に感謝する
体が凍り付いたように動かなかった。
僕は2人に気付かれないよう小さく、
そしてゆっくりと息を吐き出した。
コーヒーカップに手を伸ばそうとしてやめた。
微かに手が震えていた。
彼女は僕の発言に疑問を抱いているのか。
脇汗が腹斜筋を伝って落ちるのがわかった。
何か答えなければと
焦れば焦るほど頭は混乱した。
僕は姿勢を正して正面の2人に向き合った。
その時。
安田が口を開いた。
「夜といってもよほどの田舎道でもない限り
街灯はあるでしょう。
それにコンビニや
ガソリンスタンドの灯りもありますからね。
ずーと尾行されていたとすれば
どこかで確認もできたでしょう」
「は、はい!」
安田の発言に僕の緊張が解れた。
「ふーん。
ま、いいわ。
それよりも1か月も前のドライブの日を
よく覚えていたわね?
気分でふらっとドライブに行くような人が」
僕の試練はまだ続いていた。
「そ、そうでした!
あの夜は満月だったんです!
そ、それで覚えていたんです」
偶然とはいえ満月だったことに
僕は心の中で感謝した。
それにしても。
彼女は油断がならない。
全く興味のないようなふりをして、
しっかりとこちらの話を聞いているのだから。
「まあまあ、
いいじゃないですか。
情報は多いに越したことはないですから。
褒められることはあっても、
責められるのはお門違いですよ、
ねえ、八木さん?
石が流れて木の葉が沈む。
牛は嘶き馬は吼え。
犯人の自首で事件解決と言いますから」
「は、はぁ・・」
「何よ、あんたたち。
2人がかりなら
私に勝てるとでも思ってるの?」
武衣に凄い形相で睨まれた。
それでも彼女の美しさは健在で、
こんな表情で睨まれるのなら、
僕は彼女を女王様と呼ぶことに
何の躊躇いもないと今この場で神に誓える。
「実果さん。
ここは警察ではないんですよ。
取り調べじゃあるまいし。
何よりも八木さんは被害者なんですから」
「ふん。
ちょっと疑問に思っただけでしょ」
彼女は多少の不満をその表情に残しつつも、
ここは矛を収めてくれたようだった。
「ところで郵便物の紛失についてですが、
これが事実だとすれば被害が出ているわけで、
やはり警察へ届けるのが
一番だと思うのですが・・」
安田がもっともなことを口にした。
「は、はぁ・・」
「まぁいいでしょう。
それらのことが起こり始めたのが、
1カ月くらい前からということですよね?」
「はい」
僕は力強く頷いた。
「まだ1か月という短期間で、
ストーカーだと断定するには
早すぎると思うのですが。
こういう言い方は失礼かと思いますが、
郵便物の紛失は
八木さんの勘違いという可能性もあります。
ドライブ先の車にしても、
ポルシェのような目立つ車で
尾行をするとは考え難い。
直接ストーカーから接触してきた事実でも
あれば対応もできるんですが、
そうなるとこれはもう警察の仕事です」
たしかに安田の言う通りである。
僕はぐうの音も出なかった。
その時。
彼の隣で退屈そうにしていた武衣が
大きく背伸びをした。
「ねぇ。
それって全部あなたの被害妄想じゃないの?
もしくは単なる虚言か。
あなたってどちらかといえば
ストーキングする側の人間でしょう?」
「なっ!」
ふいに鋭利な刃物で
背後から突き刺されたような衝撃が
身体に走った。
僕は急に息苦しさを覚えた。
「実果さん!
何を言ってるんですか!
今の発言は八木さんに失礼ですよ。
すみません。
彼女に悪気はないのですが、
言葉使いに少々問題がありまして」
そう言って安田は僕に向かって頭を下げた。
「ちょっと、武。
私のどこに問題があるっていうのかしら?」
当の武衣は横目で安田を睨んでいた。
僕は2人に気付かれないよう
そっと額の汗を拭った。
そして。
改めて武衣の言葉を考えた。
自分では意識してなかったが、
冷静に考えれば
僕の行動こそストーカーそのものである。
ストーカー気質のある僕が、
今こうしてストーカーの餌食になっている現状は
皮肉としか言いようがなかった。




