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ストーカー  作者: Mr.M
一章 文月
3/94

第3話 『稲置市営温水プール』

7月18日。月曜日。

この日は予約が一件も入っていなかったので

僕は午後から店を閉めて

車で5分の距離にある

『稲置市営温水プール』

に行くために家を出た。

白のタンクトップに下はハーフパンツ、

裸足にサンダルという恰好で車に乗り込むと

エンジンをかけた。


30を過ぎてから

増え続けてきた体重に危機感を覚えて、

半年前からダイエット目的で通い始めたのだ。

そしてもう1つ。

ここに通い始めた理由がある。


蝉丸空せみまる そら


『稲置市営温水プール』の女性職員である。

年齢は20代前半。

塩素によりやや脱色された髪の色が

それとなく水泳経験者を物語っていた。

色白で小柄だが、

そのプロポーションの良さは

水着姿の彼女を見れば一目瞭然だった。

『稲置市営温水プール』は

火曜日が休館日で

それ以外で彼女がいない日は水曜日。

つまり。

今日は彼女がいる日だった。



『稲置市営温水プール』

の受付にいたのは


二四八にし わかつ


という男性職員だった。

年齢は20代後半か。

短髪で体が大きく

クマのぬいぐるみのような男だった。


受付の前の箱に回数券を入れるとき、

二四の体越しに事務所の中が見えた。

3人の職員がいたが、

その中に蝉丸空の姿はなかった。

この時間、

彼女はプールの監視に立っているのだろう。

自然と頬が緩んだ。

僕は二四と軽く言葉を交わしてから

更衣室へ向かった。


『稲置市営温水プール』

には25mのコースが8つあった。

そのうち1、2コースが

歩行者用に指定されていて、

僕は1コースに入った。

歩き始めてすぐに

監視台に座っている蝉丸空を見つけた。

僕はゆっくりと歩きながら

さりげなく蝉丸空を盗み見た。

彼女は口元に手を当てて欠伸をかみ殺していた。

監視台に近づくと

こちらに気付いた彼女が笑顔になった。

彼女と目が合って動揺した僕は

慌てて視線をそらした。

その時。

遊泳者コースで泳いでいる男が目に留まった。

最近よく見かける男だった。

この時間の利用者が高齢者ばかりなので、

どうしても同年代の人間が目につくのだ。

さらに男はいつも激しく泳いでいた。

きっと水泳経験者に違いないと思ったが、

彼の体つきは

水泳選手とは似て非なるものだった。

広い肩幅に逆三角形という

水泳経験者特有の体型とは若干雰囲気が違った。

どちらかと言えば格闘家に近い。

水泳選手はある程度の脂肪を体に抱えているが、

彼の体には余計な脂肪が無かった。

減量の終わったボクサーのような

肉体をしていた。

歩行者コースと遊泳者コース

という隔たりがあったものの、

僕達は顔を合わせると

挨拶をかわす程度の間柄ではあった。


この日は2時間ばかり歩いた。

シャワーで塩素をよく落としてから

更衣室へ入ると先客がいた。

男は僕に気が付くと軽く手を挙げた。

「お疲れ様です」

僕は慌てて頭を下げた。

そこでようやくその男が例の男だと気付いた。

プールで泳いでいるときと

随分と印象が違っていたので、

すぐにはわからなかったのだ。

おそらくスイミングキャップのせいだろう。

人は髪型1つで

その印象はガラリと変わるんだと思った。

いつもは家の近くの

1000円カットを利用していたが、

たまには美容室に行ってみるのも

いいかもしれないと思った。

「君はいつも歩いてるが、

 泳がないのかい?」

ふいに男がそんなことを言った。

僕は泳がないのではなくて泳げないのです

と説明した。

「それなら今度泳ぎを教えてあげよう。

 心配しなくてもさほど難しくはない。

 コツさえ掴めば誰でも泳げるようになるさ」

今更泳ぎを覚えたところで

どうなるものでもないが、

僕は「よろしくお願いします」と答えた。


それから僕達はロビーへ場所を移した。

自動販売機で飲み物を買って

長椅子に並んで座った。

こうして男とゆっくりと話すのは

初めてのことだった。

お互いにまだ名前すら知らないのだ。

僕は自己紹介を兼ねて財布の中の名刺を渡した。

男は名刺をじっくりと眺めながら、

「ふむ。

 整体かね。

 ほう完全予約制か。

 今度お願いしよう」

などと独り言ちていた。

男は名刺を持ち合わせていないようだった。


男は大烏おおがらすと名乗った。


年齢は35歳。

3歳しか違わないということに僕は少し驚いた。

正直泳いでいるときは同年代と思っていたが、

こうしてみると随分と年上に見えた。

話し方や雰囲気に落ち着きと貫禄があった。

大烏は隣の宿禰市から通っていると言った。

宿禰市にも市民プールはあると思うが、

何故わざわざ稲置市まで足を運んでいるのか

謎だった。

その疑問が解決せぬまま

話題は他愛もない世間話に変わった。

朝から何も食べないままここへ来て

約2時間の運動。

歩いただけとはいえ僕は空腹を感じていた。

「大烏さんは昼食はどうするんですか?」

「ふむ。

 これから食べようと思っているんだが、

 どうしたのかね?」

「それなら一緒にどうですか?

 料理の美味しい喫茶店を知ってるんですよ」

僕はこの大烏という人物に親しみを感じていた。

「行きたいのは山々だが、

 今日はこの後予定があってね。

 また今度にしよう」

そして大烏は何かを思い出したのか、

慌ただしく帰っていった。

僕はスポーツドリンクを飲み干してから

『稲置市営温水プール』を後にした。

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