第六話:年上カノジョの作り方、なんて聞かないで
航くんの小説は、私が少しだけ「取材協力」した甲斐もあってか、目覚ましい進歩を遂げていた。特に、ヒロインである弥生(仮)のキャラクター造形は、以前の「完璧なお姉さん」から、ドジで怖がりで、でもやっぱり優しくて頼りになる、という人間味あふれる(そして、かなり私自身に似た)魅力的な存在へと変化していた。彼がその変化を、純粋に「弥生さんのアドバイスのおかげです!」と信じ込んでいるあたりは、相変わらずの鈍感ぶりだけれど、まあ、それはそれで彼らしいのかもしれない。
自分の弱点が、彼の物語の中で「ギャップ萌え」として昇華され、読者(主に私)をキュンとさせているという事実は、少しだけ複雑な心境にさせられるけれど、彼の才能が花開き始めていることを実感できるのは、素直に嬉しかった。私は、彼の「一番の読者」であり、「頼れるアドバイス役」として、彼の夢をこれからも応援していこう、と改めて心に決めていた。そう、「頼れるお姉さん」として……。
(……本当に、それだけでいいのかな……?)
時折、そんな疑問が胸をよぎる。
彼とメッセージを交わすたびに、彼の書いた小説を読むたびに、私の心の中に占める彼の存在は、確実に大きくなっていた。弟分? 相談相手? それだけでは、もう説明がつかないような、温かくて、切なくて、そして独占したくなるような感情。それは、紛れもなく「恋」なのだと、もう認めざるを得ない。
でも、その気持ちを、彼に伝える勇気は、まだなかった。年の差もあるし、彼はまだ高校生だ。それに、彼は私のことを、おそらく「憧れのお姉さん」くらいにしか思っていないだろう。この心地よい関係を壊してしまうのが、怖かったのだ。だから、私はまた、「頼れるお姉さん」の仮面を被り、自分の本当の気持ちに蓋をする。
そんな、もどかしい日々を送っていたある日のこと。
航くんから、またしてもメッセージが届いた。今度は、どんな相談だろうか? また、ヒロインの描写についてかな?
『弥生さん、こんばんは! お忙しいところすみません! また、小説のことで壁にぶち当たってしまいまして……』
文面からは、かなり切羽詰まった様子がうかがえる。珍しい。いつもは、もう少し楽観的なのに。
『こんばんは、航くん。どうしたの? 私で力になれることなら、いつでも聞くよ(^-^)』
私は、心配な気持ちを抑えつつ、いつも通りの優しい返信を心がけた。
『ありがとうございます! 実は……今、主人公とヒロインの関係が、少しずつ深まってきて、主人公がヒロインのことを、より強く意識し始める……っていう段階を描こうとしてるんです』
『それで、ヒロイン(年上のお姉さん)の、何気ない言動に、主人公が「ドキッ」とするようなシーンを入れたいんですけど……』
ドキッ、とするシーン……ね。いいじゃない。ラブコメの醍醐味だわ。
『……その、「年上の女性」が、年下の男の子に対して、どんなことをしたら、あるいは、どんなこと言ったら、相手を「ドキッと」させられるのかなって……。全然、想像がつかなくて……』
……え?
いま、なんて……?
私は、スマホの画面を凝視した。
彼が聞きたいのは、「年上の女性が、年下の男の子をドキッとさせる方法」……?
(……ちょ、ちょっと待って! それって、つまり……!?)
これは、単なる小説の相談、というレベルを超えているのではないだろうか?
彼は、もしかして、私をドキッとさせたい、と……?
いやいや、まさか。そんなはずはない。彼は、あくまで小説の主人公の気持ちとして、それを知りたいだけだ。そうに違いない。うん。
(……でも、それにしても、この質問は……反則すぎる……!)
心臓が、ドクン、ドクンと、警鐘のように鳴り響く。顔が、じわじわと熱くなっていくのが分かる。
だって、そんなこと……私に聞かれても困る!
だって、私は、あなた(航くん)の、何気ない一言や仕草に、いつも、いつも、ドキッとさせられっぱなしなのだから!
『……弥生さんは、もし、年下の男の子に、どんな風にされたら、ドキッとしますか……?』
追い打ちをかけるような、彼の無邪気(?)な質問。
もう、ダメだ。平常心を保てない。
(ど、どうしよう……! なんて答えればいいの!?)
正直に、「あなたにされること全部にドキドキしてます!」なんて、言えるはずがない。
かといって、「さあ? 分からないなあ」と、はぐらかすのも、なんだか彼に対して不誠実な気がする。彼は、真剣に悩んで、私に相談してきているのだから。
(……落ち着け、私。あくまで、一般論として答えるのよ。そう、一般的な、年上女性の意見として……)
私は、必死で深呼吸を繰り返し、乱れる心拍数をなんとか鎮めようとした。そして、慎重に、言葉を選びながら、返信を打ち始めた。
『うーん、難しい質問だねぇ……(笑)』
まずは、少しだけ、とぼけてみる。時間稼ぎだ。
『そうだなぁ……。人によると思うけど……。一般的に、年上の女性が、年下の男の子にドキッとさせられる瞬間、かぁ……』
あくまで、「一般的」を強調する。
『……やっぱり、普段は頼りなかったり、子供っぽいところがあるのに、ふとした瞬間に、すごく男らしい一面を見せられたりすると……ギャップに、キュンとしちゃう、とか……?』
これは、まあ、よく言われることだろう。セーフ、セーフ。
『あとは……そうだなあ……。一生懸命、何かに打ち込んでる姿とか? 真剣な横顔とか見ると、普段とのギャップで、ドキッとするかも』
これも、まあ、一般的な意見の範疇だろう。航くんも、小説を書いている時は、真剣な顔をしているんだろうな……なんて、想像してしまって、また少しドキドキする。
『それから……意外と、ストレートな言葉に弱かったりするかもね、年上って』
『普段は、年下扱いしてたり、からかったりしてる相手から、不意に、真剣な顔で、「綺麗ですね」とか、「頼りになります」とか、褒められたり、感謝されたりすると……』
(……あ、これ、私が航くんに言われて、実際にドキッとしたやつだ……!)
まずい。つい、自分の経験が漏れてしまった。
『……い、いや、まあ、人によると思うけど! そういう、普段とのギャップとか、不意打ちに弱いのかもしれないね、うん』
慌てて、一般論に引き戻す。
『あとは……物理的な距離が、不意に近くなったりとか……? 例えば、何か物を取ろうとして、手が触れちゃったりとか。あるいは、狭い場所で、体が近づいちゃったりとか……?』
(……これも、相合傘の時の……!)
ダメだ。考えれば考えるほど、彼との出来事が頭に浮かんできてしまう。私のドキドキ体験談になってしまっているじゃないか!
『……まあ、あくまで、一般論だから! 全然、参考にならないかもしれないけど! ごめんね!』
私は、半ばパニックになりながら、そう締めくくって、慌てて送信ボタンを押した。
もう、顔が熱くて、耳まで赤くなっているのが分かる。スマホを持つ手が、少しだけ震えていた。
(……大丈夫だったかな、今の返信……。変に思われなかったかな……)
不安な気持ちで、彼からの返信を待つ。
もし、「弥生さん、もしかして俺のこと……?」なんて勘付かれてしまったら、どうしよう……!
数分後。彼からの返信が来た。
恐る恐る、メッセージを開く。
『弥生さん!! ありがとうございます!!!』
またしても、感嘆符の嵐。どうやら、杞憂だったようだ。彼は、全く気づいていない。
『めちゃくちゃ参考になりました! なるほど……ギャップ、不意打ち、ストレートな言葉、物理的な距離……! そうか、そういうところに、年上女性はドキッとする可能性があるんですね!』
彼は、私のしどろもどろなアドバイスを、完全に、純粋な「情報」として受け取っている。その、ある意味、清々しいほどの鈍感さに、私は、安堵と、ほんの少しの落胆と、そして、やっぱり大きな、もどかしさを感じずにはいられなかった。
『特に、普段とのギャップっていうのは、意識してませんでした! 主人公くんにも、普段はちょっと頼りないけど、いざという時には頼りになる、みたいな設定を加えてみようかな……!』
『あと、ストレートな言葉も……! 主人公くん、ちょっと照れ屋な設定なんですけど、勇気を出して、ヒロインに褒め言葉を伝えるシーンとか、入れてみようと思います!』
彼は、私の言葉を、どんどん自分の小説のアイデアへと変換していく。その吸収力と、発想力は、本当に大したものだと思う。作家としての才能は、間違いなくあるのだろう。
(……まあ、いっか。私の気持ちは伝わらなくても、彼の小説が良くなるなら、それで)
私は、少しだけ自嘲気味に、そう思った。
「頼れるお姉さん」としては、それで満点なのだろう。
でも、「恋する一人の女性」としては、なんだか、すごく、切ない。
『そうですか! 良かったです! 頑張って、素敵なドキドキシーン、書いてくださいね!(^-^)』
私は、平静を装い、応援のメッセージを送った。
『はい! 頑張ります! 弥生さんのおかげで、また一つ、壁を乗り越えられそうです! 本当に、ありがとうございます!』
彼からの、純粋な感謝の言葉。
それが、今の私には、少しだけ、眩しく、そして、チクリと痛んだ。
(……この気持ち、いつまで隠し通せるのかな……)
彼への想いは、日増しに強くなっている。
「頼れるお姉さん」の仮面は、もう、かなり薄くなってきているのかもしれない。
いつか、この仮面が剥がれ落ちて、私の本当の気持ちが、彼に知られてしまう日が来るのだろうか。
その時、彼は、どう思うのだろうか。そして、私たちの関係は、どうなってしまうのだろうか。
そんな、答えの出ない問いを胸に抱えながら、私は、スマホの画面に表示された、彼の無邪気な感謝の言葉を、ただ、ぼんやりと見つめていた。
外は、いつの間にか、綺麗な夕焼け空が広がっていた。その美しい色が、今の私の、複雑な心模様を、映し出しているかのようだった。